A-2

 大友町はすでに死んでいる。これはあまりにも衝撃的な事実だった。先ほどの発言を受け、初めに想定したのは誘拐事件はすでに決着がついているという最悪のシナリオ。誘拐事件は実際に現実として起こっていたもので、俺たちが考えている間に行方不明の彼女は遺体として発見されていたということ。これだけは起こしてはいけない、そのために早急に事件の有無を確認したかったのだが、まさかもう遅かったのか。


 俺の心臓は急にバクバク言い出して、体が乾き始めるような感覚に襲われた。しかし、これはすぐに否定された。俺はこの想定が俺の思い込みだということに気付くまでに少し時間がかかったが、それでもなんとか乾いた声を絞り出した。



「大友が死んだって、それ本当なのか?」



 俺は気が付けばため口で話しており、いつも通りの疑り深い口調になっていた。これにはダイスケも少し警戒した表情になったが、あまり気にせずに、思い出しながら答えてくれた。


「ああ。一週間ほど前のことだよ。脇道から出てきたタクシーと出合い頭にぶつかったらしい。ついこの前葬儀が行われたばかりさ」


 どういうことだ。大友は誘拐されたのではなかったのか。


「交通事故? ……その、大友が何か事件に遭っていたとか、そういう話は聞いたことなかったか?」


「いや、特には……うん、特にそういった話は聞かなかったな。学校があったから葬儀にはいけなかったけど、サキの、大友の母には挨拶に行ってきたんだ。その時に交通事故だって聞いた」


「私は聞いてないよ、そんなの……」


 ミズキは涙声でそう言った。ダイスケは


「それは本当に悪かった。きっとどこかで聞いてるんだろうなって、思い込んでてさ。それとあまりバンド内でそういう話題だしたくなかったんだ。練習の時にやる気下げたくなくて」


「サイトウとウッチーも知ってたの?」


 このバンドの他のメンバーである二人は聞かれて互いに顔を見合わせたが、「知らなかったよ」「ホントについさっき聞いたんだ」と答えた。今度はダイスケという男の番だった。


「ええと、その、実は時々サキのバンドにはヘルプで出てたんだ。だからエースエッジから情報が回ってきてさ。俺もショックだったんだよ」


「そっか……ダイスケって、さっちゃんのバンドと掛け持ちしていたんだ。知らなかった。でも、そういうことなら教えてほしかった。さっちゃんとはせっかく友達になれたのに」


 俺は一つ咳払いをして、会話にもう一度割り込んだ。


「ええと、その。サキさんとは仲が良かったの……ですか?」


 ミズキはすでに目を真っ赤にしていたが、こちらを向いて小さく頷いてくれた。ダイスケも他のメンバーも頷いた。話によると、彼女のバンドは「エースエッジ」という名前で、市内のアマチュアバンドしては名のあるバンドだったそうだ。中でもサキ、大友町の歌唱力とギターの演奏はレベルはいつプロにスカウトされてもおかしくないほどの評判だったという。



 少なくともどこかのバンドのメンバーであるサキと呼ばれる人物がここ数日のうちに亡くなっているのは確か。ただ、この〝ミズキ〟という少女が何を勘違いしていて揉めていたのか。俺は裏を取る前に知る必要があると思った。

 

「なあ、さっき何を揉めていたんだ?」

「ああ、えっと、」


 ダイスケはミズキの顔色をしきりに窺っていたが、やがて話しても大丈夫だと察すると少し躊躇いながら言った。


「その、恋人なんだよ俺達。それでさ、俺がサキの家を訪ねていた話をサイトウが始めて、こいつがサキの本名が大友町っていう名前だったって知らなかったから色々勘違いしたんだ。早とちりなんだよ、こいつ」



 なるほど。そういうことか。



「そうか、ありがとう。その、邪魔したな」

「なあ、ちょっと」

「ん?」


 俺はダイスケに呼び止められた。それから彼は三人に一言、二言声をかけて防音室に戻した。どうやら二人きりで話したいらしい。彼さっきまでの穏やかな表情を消して真剣な顔つきで俺に向かい合った。


「おまえ、本当は何が目的だ」

「えっ……それはどういう、」

「こっちが聞いているんだ。マチに友人がいたなんて、それは嘘だ。俺はずっとマチのことを知っているが、行方を心配するような友人など知らない。なんで行方を捜していたんだ」

「それは……守秘義務だから、答えられない」

「なんだよそれ、探偵じゃあるまいし」


 その通り、俺は探偵でもなければ警察でもない。俺はすっかり黙ってしまった。情報に振り回されすぎて、自分が何をしたくてここにいるのか、本当は何がしたかったのかということまでが曖昧になり始めていた。興味本位だけで首を突っ込んだら、人の死に直面したのだ。謎を解くってこと自体普通の人の日常にそうそう現れるものではなく、きっと非現実的な幻覚に自分がヒーローになったつもりにでもなっていたのだろう。そこに有り余る現実を見せてくれたのだから、ヒーローとしてはそれと対峙して向き合う必要性が出てくる。しかし残念ながら俺はヒーローになるつもりも覚悟もなかった。気分に浸っていただけなのだ。


 探偵じゃあるまいし。


 この言葉は今の俺にとって深く刺さる言葉だった。


「マチはすごい才能を持っていた。聞けばわかるんだ、理屈なんて必要ない。でもマチはまじめすぎた。そして謙虚だった。いや、卑屈だったんだと、今なら思う。きっと目標とか、自分の理想像は持っていたはずなのに、それが他人の評価によって惑わされ、考えすぎて分からなくなってた。贅沢な悩みだけど、その贅沢さが本人には分からないんだろう。『本当の自分はこれじゃない』って言ってプロのオファーが来た時も断っていた。音楽は好きだからやっているのか、プロになるためにやっているのか。好きでやるならプロを目指す通りはなく、プロになるのであれば周囲の期待に応えていく必要が出てくる。まじめに努力してきたマチはまじめに考えてしまったんだ」


 自分のことを自分で客観視することなどできない。情報源が多ければ多いほど、良くも悪くものめり込んでしまう。俺にもよくあてはまりそうだ。


「結局頭のおかしな奴が勝てる世界なんだよ。ギターのことしか考えていないやつとか、漫画が好きすぎるとか、世の中の常識が嫌いすぎるやつとか、そういった無神経すぎるやつとか。余計なことを考えないで、好きと嫌いをはっきりと言えるやつ。例えば、ほら、普段ギター弾きながら歌ってるくせに、間奏とかで歌う「ラララ……」の部分が好きすぎてそればっか歌ってるやつとかいるだろ? つまり、そういうことなんだよ」


 そうかもしれない。ラララってのは歌うっていうより囀るって感じだしな。俺は彼自身のことが少し気なり、余計な質問をした。


「誰か憧れのアーティストがいるのか?」

「もちろんいるさ。でも、俺にはまだまだ遠い。近づける気もしない」

「そうか」


 どうやら彼もまた、まじめな性格のようだった。


「そういや、観客にならいたな。頭のおかしな奴。前のバンドの時だけど」

「観客にも天才がいるのか? ノリが良すぎるとか?」

「いや、そうじゃない。迷惑なほうでの頭のおかしな奴。当時はそれだけ注目されているんだと勘違いしていたんだが、今ふと思い出した」

「そうか、大変なんだな……おっと、申し訳ない、随分と長居してしまった」


 受付のところにある時計がもうすぐ五時を指そうとしているのが目に入り、俺は彼に礼を言って一度帰還することにした。


 大友町は死んでいる。


 話がやや逸れて本題を見失いそうになったが、これが有力な情報であることには変わりない。誘拐されたかもしれないという情報を元に動いていたため、にわかには信じがたい話だが、俺が今後の判断を独断できそうにはなく、裏を取る必要も含めて先輩に委ねようと電話を掛けようとした。すると、俺のスマホがすぐに震えだし、画面には先輩からの着信があることを表示していた。どうやら、先輩も何かを掴んだらしい。俺は電話を取った。


「もしもし、恒? どう、何か分かった?」

「ええ、大友さんの行方が分かるかもしれません」


 この世にいるかどうかはさておき、だけどな。


「ホントに? それじゃあ、私の発見は無駄になっちゃうのかあ。残念」

「発見? なんですか、それ」

「取り敢えず、こっちに戻ってきてよ。直接話したいし、その話も詳しく聞きたいから」

「分かりました」


 俺は「通話が終了しました」と表示されている画面を閉じてポケットにしまった。何が現実で、何が幻なのか見分ける必要性がある。

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