二幻目「過剰幻(オーバードライブ)」
A-1
市内にある音楽スタジオは全部で三十店舗ほどあり、そのうち中央区にあるのは八店舗。専用のスタジオが学校にあるのであれば話は別だが、そうでない学生は基本的に音楽スタジオという場所で練習するらしい。防音設備と機材一式を借りられて、一時間四百円ぐらい。アンプやドラムセットが十何万もすることを考えれば割安な金額だろうか。
愛想のない受付の店員から不審な目で見られながらも、根気よく情報収集をすること四軒目。全く話を聞いてくれなかったり、写真を出すと顔を覗かせてくれたので少しは興味を持ってくれたかと思ったが、写真を見たのか見てないのか分からない素振りをするだけだった。どの店員も知らないと言う。確かに学生の顔など、一々覚えてなどいないのかもしれないが、頻繁に利用していれば何となくでも覚えていていいはずなんだが。
四本目の取り消し線を引き終えると、その下の住所を確認した。次のところまでは歩いて行けそうだ。地下鉄の一日券をしまったまま、スマホに閉じ込めた少女の笑顔をもう一度見てから歩き出した。
家も知らない、通学している学校も知らない。名前と容姿、性格は知っているが趣味や好みは推測程度。これだけの情報で人を探すというのは、思った通り骨の折れる作業だった。探偵らしい仕事内容ではあるが、新人向けではない。
手がかりが無さすぎる現状に、新人見習探偵は、ライブハウスや音楽スタジオを巡るしかないのだが、こんなことをしていても事態は改善しないし、解決しないことぐらいわかっていた。もしも、これが本当に誘拐事件であるのならば、彼女の身が時間の経過とともに危険性が増していくことになる。それこそ早期の解決が必要だ。一方で、知っているのは被害者を心配する榊原の叫び声だけ。いるかもしれない犯人と声を上げられないでいる彼女のことはさっぱりだ。
もちろん、最低限の下調べは外回りの前に終わらせた。スマホでなんでもな時代だ。そこで有益な情報が得られれば、このような無益労働をしなくて済むのだが、ダメだった。インターネットやエスエヌエスを検索しても本人の書き込みはまったくなかった。ほとんど利用していないということは、スマートフォンやパソコンを持っていない、若しくは意図的なのか。
二つの憶測のうち、前者のスマホ未所持の可能性は榊原の証言から否定できる。ならば自然と後者の考えになる。ネットに疎い可能性も考えたが、その場合スマートフォンを使いこなせていない可能性も大きくなる。さすがにそれはどうにも腑に落ちない話だ。榊原とはチャットでは頻繁に連絡を取っていたようなのでこの線も却下である。自然と意図的な不使用があるのだろうと推測できるのだが、彼女は秘密の安売りを好む近年のネット社会若者住民ではなく、世間に自分という存在そのものをひた隠しにしているように思えたのがどうにも引っかかった。ただの気分的理由であれば、それは俺の考えすぎによる徒労になるのだが、ここまで自分の情報を誰にも晒さずにいるというのが、どうしても何らかの意図を感じられずにはいられなかった。
このことはまだ誰にも話していない。音スタめぐりが終わってから、調査報告のついでに話そうと思っていた。憶測による情報は混乱を招くかもしれないので、確かな情報のついでぐらいが良い。
四軒目のスタジオから歩くこと約十分ほど。着いたのは生きた化石と呼ばれる深海魚の名前をそのまま店の名前にしている音楽スタジオだった。頭に残るネーミングだが、防音設備で周囲との交流の一切を断ち切り、自らの空間で鍛錬に励むというのは一種の深海にいる状態とさして変わらないのかもしれない。
重苦しいドアをそっと開き、ビジネスホテル並みの狭い受付に俺は入った。受付のカウンターには長髪で茶髪の女性が一人いて、俺が入ってくるのをみて何やら紙を確認しだした。きっと予約のチェックとかをしているのだろう。普通の人は通り過ぎてしまうような建物の中にあるスタジオでも、予約しないと利用できないような場所が大半らしいのだと、五件目にしてようやく俺は理解し始めていた。
「こんにちは」
俺はその女性に声を掛ける。
「お疲れ様です。お名前よろしいですか?」
バンドマンに対する礼儀なのかは知らないが、たまにこのような接客があることも俺は学びつつあった。日々の活動に対するお疲れ様なのだろうが、俺は市内スタジオ巡りスタンプラリーのご褒美ととらえることにした。
「すいません。実はこの人を探してるんですが、知りませんか?」
俺はスマートフォンの画面に映った大友を差し出した。茶髪の女性は用紙から目を離し、呆けた顔で俺を見た。もう一度写真を指さすと、首だけ動かして確認し、それから首を傾げ始めた。残念ながらこの女性からもあまり有益な情報は得られず、見たことがあるような、ないようなと言う曖昧な表現に留まった。少なくともここ最近一ヶ月は利用してはいないらしい。同じく、大友町という女性の名前にも聞き覚えはなく、利用者名簿にも記されていなかった。
礼を言い、早々に諦めて五件目に線を引きながら次のスタジオへ向かおうとした、まさにその時に部屋の一つの扉が開いた。誰かが喚きながらこちらへ走ってきた。部屋の中からは閉じ込められていたシンバルの音などが漏れ、やがて音が止んだ。何か喚きたてながら飛び出してきたのは一人の少女だった。年齢不詳の場合、女性と呼称すべきだったのだが、その容姿から思わず俺は少女と心の奥で呼んでしまった。
少女は俺を盾として隠れ、扉の方を指差した。突然のことで行く末を見ていることしかできなかった俺がその指差す方向に視線を向けると、そこからまた人が出てきた。今度は男二人が続けて現れ、その後ろから遅れて女性が一人、慌てながら出てきた。
どうやら、なにか揉め事らしい。
今すぐにでも俺はこの厄介事に関わるまいと思い、逃げ出すための策を考え始めた。しかし、結果的にそれを途中で中断することになる。言い訳を作って次のスタジオに行かなかったのは、俺が聞きたがっていたワードが目の前から聞こえてきたからだ。
「最低最低。大友町って誰よ、この下衆野郎。このバンドも今日限りで解散よ」
「まてよ、ミズキ。だからそれは誤解だって――」
「だったらその写真は何なのよ。おかしいじゃないの、説明して――ん? ちょっと、あんた誰?」
俺を盾にして隠れていたミズキという女性を俺は前へと連れだした。
「間に挟んで痴話げんかを始めて、今更何を……。あなたが誰なのか、聞きたいのは俺の方なんだけど。――それより、大友町って言った? 彼女のこと知ってるの?」
「あんた誰!!?」
女性は俺からようやく離れ、それからより一層険しい目つきで俺を見て言った。
「……あんた、誰?」
ようやくこっちを向いてくれた。俺は大友が今、行方不明になっているため友人に頼まれて探しているのだと伝えた。彼女たちは何も言わずに、俺のその後を待っていたのでスマホの写真を見せて、何か知らないかと尋ねた。途端、そこにいた四人全員が表情を変えた。どうやら、名前に覚えがなくとも顔に見覚えはあるらしい。
「これ……さっちゃん、もしかして、ねえ、ダイスケ。……ホントにどういうこと?」
ミズキという少女は不安を隠せずに聞きたくなさそうな表情でダイスケに説明を求めた。ダイスケと呼ばれた少し大柄な男は、
「さっちゃんの本名だよ。大友町っていうんだ、さっちゃんの名前。バンドではサキって名前で活動しているけどな」
と答えた。やはり、その告げられた事実は彼女にとって都合の良いものでなかったらしく、みるみる顔色を青色に変化させていった。
「――そっか、じゃあ、そういうことなんだ」
よほどショックだったのか両手で顔を掴んでふらふらとしていた。もう一人の女性がすかさず彼女を支えたので、体の不安定さは薄れたがミズキという少女の動揺は相当のようだった。そしてまた、誤解から始まったもめ事の終わりに俺も動揺させられることになる。
「だから言ったろ、全部お前の勘違いだ。サキは、大友町は死んだんだよ」
――え、なんですと?
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