三幻目「多重幻(カッティング)」
D-1
教室に着くや否や、先輩は俺に早口で説明を始めた。その様はまるで今日一日の外での出来事を話したがる幼稚園児のようであった。
「あのね、この写真を見てたんだけどね」
写真? ああ、誘拐の証拠として榊原が誰かにポストへ投函されていたという、あの写真か。確か、チェリーサンバースト色のギブソンのレスポールが写っていたやつだ。
「よく見て、このギター。上から二本目の弦が切れてるの。切れて、無くなってる。なんか不思議だと思わない?」
おかしい? 俺にはどこがおかしいのか分からなかった。
「そうですか? ただ劣化して切れたものをそのまま放置してたっていうだけじゃないですか。理由は……そう、例えば手元に替えの弦を持っていなかったとか。ギターの弦を変えるときって六本全部替えることが多いらしいので」
「六本?」
「えっと、ギターの弦の数です。全部で六本ですよ。このギターだって、五弦目が切れて五本しかありませんが、本来ならば六本張ってあるはずなんですよ。ベースだと、四本らしいです」
これはスタジオ巡りの際、なんとか話を合わせようと思って付け焼刃で得た知識だった。
「ふーん」
色内先輩は大人に正論で言いくるめられた小学生のように頬を膨らませていた。なんだろう、大発見をふいにされたとでも思ったのだろうか。決してそんなことはない。たとえ俺が見つけたとしても、たかが弦の一本ぐらいどうでもいいだろ、と一蹴してしまうだろう。だから、俺はどうフォローしようかなと思案していると、この話を聞いていた榊原が口を挟んできた。
「いや、それは五弦だ。ギターというのは手で持つところ、ネックって言うんだけど、ネックを左にして弾くんだ。弦はその状態から下から数字を順につけていく。写真のレスポールも同じで、上が六弦。一番下が一弦。上の方が太くい弦になっていてベース音の低い音が出て、下の方が細い弦で高い音が出る。そのレスポールに足りないのは五弦だ」
「レスポール?」
俺はすかさず補足を入れた。
「ギターの名前です。とても有名なギターですよ。名前くらいなら俺も聞いたことがあるぐらいに」
「ふーん、そっか」
「五弦かぁ」という呟きが教室に残った。その呟きのおかげで俺は自然とギターの五弦について調べ始めた。手元のスマートフォンで軽くさらっただけの簡単な物だけだが、俺でも想像しやすい言葉が出てきた。ギターの音は上、つまり六弦から順にミ・ラ・レ・ソ・シ・ミという音階になっており、レギュラーチューニング、つまり通常の音階やコードを鳴らすときの調律はE・A・D・G・B・Eの順で表される。バンドマンである彼女が愛用のギターをそのままに、弦が切れたままの状態にしておくだろうか。仮に弦がなかったとして、一時的にその状態になってもすぐに買いに行くはずだ。それとも代わりのギターがあったのか、これが予備のギターだったのか。俺は同じ種類のギターを検索すると、新品の値段でで二の後にゼロが五つも並んでいるのをみて
「えっ」
と、つい声を出してしまった。俺の金銭感覚からすると、このギターが代用若しくは練習用ってことはないだろう。どちらにしても写真の重要度が増した。解決の糸口となる有用なヒントがきっとこの写真にある。それと、白紙に書かれた「たすけて」の文字。この二枚から一体何が分かるのか見当もつかないが、それでも、もしかしたら他にも何か紛れ込んでいるかもしれない。写真に写り混んでいる物を今一度見直してみようと、俺は写真を手に取った。
「あっ、そういえば恒の方はどうだった? 行方が分かるかもしれないとか言ってなかったっけ」
ああ、そうだった。忘れていたわけではないが、実は大友町はすでに死んでいました、なんて話をすればますます話を複雑にしてしまうこと間違いなし。俺は写真の方がいかにも重要であるかのような素振りで言った。
「ええ、そうなんですけど、これがまたややこしくなりそうな話で……」
ちらりと二人を見ると、これまた予想通りにややこしくなりそうだった。榊原と先輩は同時に表情を変えていたからなのだが、一方は曇った表情で、もう一方は笑顔。興味深い情報ではあるけど、人を笑顔にするような情報ではない。俺はもう一度視線を手元に落としてから言った。
「大友町さんは、すでに亡くなっているそうです」
「えっ……」
「そんな……嘘だ、そんなはずはない!」
先輩は言葉を失ったようだが、それは同時に思考を巡らせ始めた合図でもあった。ここで二人の思考を完全に止めたのが榊原だった。先輩と俺は一際大きな声で否定を叫びだした榊原に思わず視線を向けた。
「そんなはずはないんだ!これを、これを見てくれ。そう、ほら。ここにチャットをした記録がある。三日前だ。三日前には町は生きてる。おい、なあ! なあ、おまえの情報では、町はいつ死んだことになってるんだ?」
「え、えっと、一週間前に交通事故でだって聞いたけど……」
「誰から」
「大友町のことを知っているっていうバンドのメンバーから。確か、エースエッジとかいうバンド名だったような……」
「ああ――――っ!!」
榊原の表情が再び、劇的にまた一瞬にして変わった。それはさっきの癇癪を起こしたような物ではなく、人格が変わったかのような変わりようだった。さらには何か独り言まで言いはじめたので、俺はひどく困惑した。自分の世界に入ってしまい、他人のことはまるで見えていないような、そんな変化。怯えているようにも見えるし、喜んでいるようにも見える。恐々としているのか、嬉々としているのかは本人のみ知るところ。どちらにしたって俺からすればその豹変ぶりは恐ろしく感じるもので、俺はそっと声をかけ直した。
「……大丈夫か?」
「ああ、ああ! 大丈夫、大丈夫だ。それよりも、俺の言ったことの方が信憑性は高いだろ? なあ、一週間前に事故で死んだってのは嘘だ。嘘に違いない。この誘拐が、ああ、考えたくもないが最悪の結果で終わったのならまだしも、それ以前に町が死んだなんてのはありえないんだよ」
榊原はまだひどく興奮していた。俺は近くによって落ち着くように言い、椅子に座り直させてからペットボトルの水を渡した。まだ未開封の、教室に入る前にさっき買ったばかりのやつだ。
榊原は一口で半分以上飲むと、ようやく落ち着きを取り戻した。
「……ありがとう。ごめん、つい感情的になってしまった」
「いや、構わないさ。どれほど本気なのかが今の言葉で十二分に伝わった。ヒントも順調に見つかってきている。もしかしたら、この事件案外すぐに解決するかもしれない」
「本当か? 町は、大友町はどこにいるんだ」
「その、少し待ってくれよ。すぐって言っても今日中じゃない。考えてみろ。俺は推理に関しては小説読んだだけの素人丸出しでしかないんだ。助手って立ち位置だからね。でも先輩は違う。同好会を作り、正式な部活の申請も着々と進めているんだ。探偵部なんて、正直胡散臭いところもあるのに、それでも部員二人から創部しようとしている。それ自体が実力そのものさ。円滑に物事を進めるためには、物事の本質を見極める必要がある。今目の前で起きていることは本物か、嘘か。聞いた言葉は現実か、幻覚か。必要なのは冷静な観察眼だ。少なくとも先輩にはそれが備わっていると思うし、あてずっぽうの推理をするよりかはましだろう」
「だから、」と俺は言った。そこでこの俺も感情的になっていることに気付いた。それを驚いた顔で見ている榊原と、ただただ微笑んでいる先輩に見られて俺は恥ずかしくなった。何を一人で熱くなっているのだ、もう子供ではないのだ。大人と呼べるほど度胸も悪知恵もないが、決して子供というほど無知でもない。まったく、めんどくさい存在というのはいつもめんどくさい。
「だから、すぐには答えを出せない。でも、必ず答えを出す。たとえどんな形でもな。一度引き受けた以上、そこは責任を持つ」
榊原はただ頷いた。彼は「よろしく」と言ってから、荷物をまとめて教室を出た。
「随分と高く買ってくれるのね」
「……事実です。それ以上でも以下でもないです、たぶん」
「たぶん?」
「俺の主観がだいぶ入っていましたんで、だから、たぶんです」
「なるほど」
「はい」
先輩は少しうつむいてしまった。俺は顔を見ることができず、もしかしたら変なことを言ったのかもしれないと思った。だが、結局すぐに顔を上げてこう言ったので、その真相は不明である。
「じゃあ、優秀な探偵の期待の助手くんに推理を披露してもらおうかな」
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