水晶が見つめ合う 2


 歩いていた三階から一階へ。こわごわと階段を踏み降りる子どもの手を取ったまま階段を降りて、よひらは一番近い応接室に子どもを通した。淡い生成り色の二人掛けソファ二つと、間には黄土色の一枚板のテーブル、その上には硝子の兎の置物が三つ置かれている。耳をそばだてているもの、耳を倒して寝ているもの、そして客を迎えるかのように見上げているもの。どれもよひらの手の上に乗る大きさのそれらは、どれも気に入りの品だ。

 しかし子どもは迎えてくれた兎と目が合うことはなく、入って正面、テーブル席の向こうにある、一面の窓に視線を小さく投げかけるに終わった。

 北側の玄関から一番遠い西面の応接室の外に広がるのは、中庭の庭園。硝子越しには、花を付けるにはまだ早い紫陽花の葉が、ゆったりと生い茂る様が広がっている。

 小さな子どもの手を繋いだまま、よひらは右側のソファに向かい、手を離す。

「立ったままお話しするほど、時間がない訳ではないからね」

 子どもはよひらの言葉の意味が読み取れないのか、小さく首を捻ったものの、ややあってからソファの真ん中に浅く腰掛けた。

「さて」

 向かいの、全く同じソファに深々と座り足を組み。組んだ手を膝の上に乗せて、よひらは真っ直ぐ子どもを見つめながら軽い口調で言う。

「今日から、きみはここに住んで貰うことになったんだけど」

 言葉を句切り、よひらは真っ直ぐ子どもの水晶の瞳を見つめながら、軽い声音で続きを言う。

「正直なところ、持て余しているし、どうしようか考えあぐねているんだ」

 動じず、ただよひらの言葉を受け入れるばかりの子どもが、不思議そうに小さく首を傾げた。肩に付くか付かないか、絶妙な長さに整えられた黒髪がしゃらりと、光沢を纏い揺れる。

「言ってしまえば、一目惚れというものでね。私はここで一人暮らし、誰かと暮らす準備を何一つしていないんだよこれが」

 隠す必要が微塵もないため、よひらはいっそ得意げに述べた。

 常ならば、あそこはあくまで目の保養として行くものであり、買うことは殆ど稀であった。なのに買ったのは、衝動か、気まぐれか。

 子どもの返事はない。水晶の目が少しだけ丸くなっている点しか、変化がなかった。

「時に、きみ」

 何かを聞かれる、という意識はあったのだろう。子どもの水晶の目が、伺うようによひらを見上げる。

「これまではどうしていたのかな?」

 問われた子どもは、口を開こうとしなかった。やや俯き、寧ろ閉ざした口に力が入っている。

「いやなに、今後の参考までに聞いておきたいと思ってね」

 変わらぬ軽い口調で言うものの、子どもの目は伏せられる。何かを探すように。

「……何も」

 たっぷりとした静寂の後、子どもは蚊の鳴くような声音で漸く返事をした。

「何も?」

「何も、しないように」

「ふむ。何も、と言われると範囲が広いなぁ……もっと具体的に聞きたいところだけれど」

 言葉を探しながらも、よひらは一つの仮説を立てる。全く、何もしていない訳ではない。そうでなければ、幼い見目に反してここまで静かな佇まいが出来ようか。

「そうだなぁ、じっと座っていた、とか?」

 子どもは頷いた。次いで、何かを思い出したのか、口も動かしてくれる。

「座って……文字を教えてくれた人も、いた」

「ふむ。他には何かしていたのかな?」

「あとは……本を読む、くらい」

 最初に名前を聞いた件で、字の読みが出来るだけの知識があると分かっていた。

 置いておくだけでも充分うつくしい、宝石以上の輝きを持つ子ども。だからこそ、一つひとつの所作もまたうつくしくなくては。少なくとも、よひらはそう考えているし、事実よひらの前の所有者も同じことを考えていたのだろう。いたならば、の話だが。

「――よっし!」

 自らに言い聞かせるような、静寂そのものを壊すような響く声を張り上げると共に、よひらは立ち上がった。

「ここでぼんやり座っていても始まらないからね! さぁまずは道案内がてらきみには冒険をしてもらおうか!」

 唐突なよひらの大声に、子どもは肩をびくりと跳ねさせ、おっかなびっくりな相貌でよひらを見上げた。

「お話しは後で追い追いちまちま進めるとして。さぁ立ち上がって」

 軽い足取りで子どもの横に回り込み、両手を取って立たせる。力の入りすぎたよひらの行動は、勢いを御しきれなかった子どもの体をふらつかせるが、彼女はお構いなしと言わんばかりに更に手を引っ張る。

 取った小さな手は柔いが、冷たい。温度はあるが、低い。

 窓からの日差しが照らす子どもの瞳は、四方八方乱反射を繰り返し、太陽よりもまばゆい光を灯す。暗がりの展覧会では全ての光を閉じ込めようとしていたが、光差す場であれば水晶というよりカッティングされた金剛石のそれだ。

 何度でも繰り返し、人形のようだと呟きたくなる目だ。望まれて、人形で在れと言われ、従ってきた果てを見ているかのよう。

 子どもの手を離し、瞼からそっと水晶の瞳を押さえれば、予想に反して生々しいまでの眼球の感触。

「安心したまえ」

 安堵感を滲ませた声が、よひらの薄い唇から零れる。

「きみは人間だよ、生きた人間」

 自らに言い聞かせるよう、よひらは言葉を紡いだ。

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