みずたまてふてふ

神奈崎アスカ

水晶が見つめ合う

水晶が見つめ合う 1

 子どもはまさしく展示品であり、この場に鎮座する何よりもうつくしい売り物であった。

 展示品の傍らにある説明札が読める程度に灯る、焔に似た色の照明。床に敷きつめられた、足裏を埋めかねない緋色の絨毯。大人が座っても充分余りある椅子は臀部を沈み込めかねない柔らかさ、足下のそれよりも深い濃緋の布地に、黒みを帯びた金細工の脚は猫のよう。

 そこに腰掛けているのは、果たして何か。脚と同じ金細工の肘掛けに置かれた指一つ動かず、時折瞬く水晶の瞳が写す光が、かろうじてそれが生きた人である事をだと伝えていた。

 白磁の如く、温度を感じさせぬ頬。絹を思わせる艶を帯びた黒髪は、小さな肩を撫でるように真っ直ぐ下ろされている。

 身に纏っているのは、清らかさを匂わせる糊の効いた純白のシャツと、深い藍色のズボン。小さな革靴が、薄暗くも柔らかな照明の光を受け、いかに艶やかなのかを訴えかけている。一回り大きいであろうシャツの袖から、光を知らない細い指先が、行儀良く肘掛けに置かれ続けている。

 目が合って。瞬きを二つ、三つ。

 互いに瞬いた、水晶の瞳。

 それから、よひらは笑った。まるで、旧知の友に出会ったかのように、笑窪を浮かばせ目尻を下げ、笑った。



 で生き物を買うことはあれど、まさか人の子を買おうとは。

 高く澄んだ瞳を瞬かせ、よひらは振り向いた。古くも磨かれた赤茶色の扉の横で、子どもはやはり身じろぎ一つせず佇んでいる。水晶の瞳は真っ直ぐだが、何を見ているのか、何も見ていないのか。

 思えば、展覧会で購入してからこの方、子どもは抵抗する素振りどころか自発的に動いていない。人工的とさえ思える整い過ぎた顔立ちも相まって、まばたきを見逃せば人形にしか見えないだろう子どもは、見た目通りに動いている。

 だが、よひらにとっては至極どうでもよい点でもあった。この子は綺麗だ、とてもうつくしい、磨けばもっと綺麗になるだろう。

 自らがうつくしいと思うものを蒐集する行為こそが、よひらの存在理由なのだから。

 忘れた頃に鍵が開く、秘密の部屋の展覧会。そこに集まるのは、あらゆる世界から集まった、いずれも貴重な物達と、それらを求める者達。後者であるよひらは、もう開かない赤茶色の扉に背を向けて、軽い足取りで進んでいく。

 ふかふかな蒸栗色の絨毯が敷き詰められた、二人が並んで歩くにはやや狭い幅の廊下には窓がなく、明かりを灯すものが一切ないというのに、細長い世界は真昼のように明るい。初めてこの廊下を歩く者の中には困惑を浮かべた者もいたが、よひらには一切ない。自分の屋敷を警戒して歩く必要が、どこにあるというのか。

 なので、よひらは失念していた。初めてよひらの屋敷を訪れた子どもが、ましてや人形のように動かない子どもが、自発的に動かないことを。

 段々と遠ざかる気配に足を止めて、よひらはくるりと振り向いた。子どもは、赤茶色の扉の横で佇んだまま。

「おっと」

 一人呟き、よひらは長く真っ直ぐな黒髪を靡かせて、足音を立てず来た道を戻る。子どもは、指一本動かさず、大きな水晶の目だけをほんの少し、上に向けた。

 硝子とも鏡とも取れる瞳が、近寄るよひらを確かに映している。

「あぁすまない、何も言わず歩き出したら困ったかな?」

 軽く膝を折って屈んで、視線を子どもに合わせるが、当の子どもはうんともすんとも言わない。

 こういう時はどうすればよかったか。涼しい面差しは崩さず、よひらは思考を巡らせる。記憶を掘り起こせど、随分と長い間、子どもという存在と接していない。ふむ、と軽く首を捻っても、子どもは感情の一片すら漂わせず、何も見ず。

「あぁそうだ」

 思い付いたように、よひらは声を弾ませた。声量こそ絨毯によって吸われているが、声音の違いを感じ取ったのだろう、子どもの目が小さく瞬く。

「きみのことは、なんと呼べばいいかな?」

 子どもは、何も言わない。ただ、よひらの目をじっと見つめるばかりだ。

 瞬き一つ置いて。薄くふっくらとした唇が、小さくも明確に、名前を音にする。子どもの名前を聞いたよひらは「ふむふむ」と声に出して唸り、左手を子どもの前に差し出す。

「もしきみが、この文字を理解しているのなら」

 右の人差し指で、よひらは己の左手のひらに、ゆっくりと文字を書いていく。一つ、二つ、そして三つ目の字で、子どもは無表情に頷いた。

「そうか」

 透明な瞳に影を落とし、よひらは右手で子どもの左手を取った。これならば、よひらだけが先に進む事態も起こらないだろう。

 道は長いようで短く。前方にあるのは、艶々と輝く赤茶色の木製の扉。鈍い金のドアノブを握り、よひらは軽い調子で扉を開いた。

 開かれた扉の向こう。右手一面に並ぶ窓からの光を受け入れた廊下。色褪せたようにも見える淡い蒸栗色の絨毯が続く道に、開け放たれた窓から透き通った風が緩く流れ込む。

 子どもは動かなかった。今まで伏せられがちだった目が零れんばかりに開かれ、口に隙間が生まれ、白かった頬に薄らと桃色が灯る。よひらに繋がれた柔い左手に、きゅっと力が入る。

 見入っているのだと、よひらは考えた。新しい物を手に入れたような、無意識下で心を揺さぶられるものを目にしたような、兎角心があると言わんばかりの反応に、よひらは小さな興奮を覚える。嗚呼、この子は間違いなく人の子だと。

 足取りの止まった子どもを導くように、よひらはなるべくゆったりと、歩幅も狭く、歩む。釣られて子どもも歩き始めるが、視線どころか顔まで完全に窓に向けられており、全く前を見ていない。そして、ふと何かを思い出したかのようによひらを見上げてきたのだ。

 光の中に、一滴墨が混じったような顔。視線を感じたよひらは、軽く子どもを見下ろす。伺うような子どもの目に、首を捻りたくなった。外を見ることの何がいけないのか、子どもが伺いを立てる道理がよひらには見えず、一先ず笑顔で頷いた。途端、ぱっと子どもは再び窓へ視線を釘付けにする。

 窓の向こうには、同じ形式の窓が並ぶ。背の低い子どもには見えないが、下には色とりどりの花が植えられた庭が広がり、来た方向を振り向くように目を動かせば、いっそ目が眩みそうなほどにまばゆい小山の緑が目に入るだろう。

 初めて感情と呼べるものを顔に出した子どもに、よひらもまた気分を良くした。子どもが窓の虜になっているのを確認して、よひらは左手を軽く振るう。鳥がいい、程よく小さい鳥を数羽、色は白が映えるだろう。

 下から前へ、斜めになるよう手を振り上げた。

 長い窓の廊下に、白い鳩の群れの影が浮かんでは消えた。

 開かれた窓から、白い鳩の羽ばたきが、幾つも重なって入ってくる。

 窓に、水晶の目を輝かせる子どもが映り込んで、よひらは満足げに笑った。


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