第六頁
「――守れて良かった」
そう呟いた天使は真白い服を血で赤く染め、その青紫の髪は血に濡れた所為か、前髪が黒っぽく染まっていました。
「嗚呼、これは先ほど灰色の世界で見た、あの場面と同じだわ……」私は流れる過去の様子を食いいるように見つめました。私の目の前を舞い落ちていく羽根は、もうほとんどが漆黒に染まっておりました。
王子の名を呼びながら駆け付けた衛兵たち。中の惨状に思わず目を背け、そしてその疑惑は王子へと注がれていました。「まさか、王子が――」と最後まで言葉を紡がぬまま、衛兵たちも額を貫かれ、事切れました。
「テメェ、なんなんだ」
王子の手を当然のように握り、導こうとする男に王子は弱々しく声をかけました。問いながら、王子は顔を歪めます。きっと、王子には彼が誰であるか、わかっているのでしょう。
すると、男は王子を振り返らずに口を開きました。
「ヴィーザル……いや、ソーマの守護天使」
そう言った男の背の、純白だった翼は真っ黒に、闇の色に染まっておりました。
「でも人を殺めたから、もう堕天決定だな。――おまえのこと、守れねえや」
そう言って自嘲気味に笑う横顔。王子は込みあげるものを飲み込んで、声に怒りを織り交ぜます。
「おい、ふざけんな……! 俺に悪役なすりつけか?!アァ?!」
こちらを見つめる男へとキッと鋭い視線を投げつけて、王子は叫びます。
「責任とれよ、クソ天使!!」
声が裏返り、喉を焼くようなその声。王子のとめどない感情が爆発したかのようでありました。
そんな王子の痛切な叫びを黙って聞いていた天使でしたが、突如表情を険しく暗いものに変え、先ほどとは打って変わって地を這うような、業火に焼かれるような熱さで王子へと、
「じゃあ一緒に……、――闇に堕ちるか?」
天使の背後から立ち昇る黒く暗い闇が
そこまでを見とめて、灰色の風景も、黒い腕も、セピアの思い出も、いまなお鮮やかな記憶も全てが崩れ去りました。真っ白な世界の中、舞い落ちて静かに揺れる真っ黒に染った羽根を誰かぎ拾いあげたところで、私の意識は現実へと引き戻されていきました。
もう何度目か分かりかねますが、私ははっと目を見開き、眼前の
喉元にはひんやりとした殺気が、ピリピリと薄皮を裂いているのが分かりました。
「おまえ、何者だ」
落とされた低い声が、探るように私の鼓膜を揺らしました。
「私は、」
「どうして俺が見える」
「わたし、は」
冷徹な狂気のエメラルド。ぞっとする程美しい宝石がじっとこちらを覗き込んでおりました。
「神の手の者であれば早々に始末する。もし違うんなら、はやく言え」
「違います! 私は!」
身を乗り出したせいで私の首に刃が食い込み、私は小さく呻きました。彼は、刃物を喉元から引くと乗り出していた身を引いて、私のベッド脇に立ちました。背の高い、細身の、鋭い体躯。漆黒の髪。その背には満月の光を浴びて浮かび上がる黒い翼がありました。
「貴方は――、ずっと、王子の……守護天使なんですね……」
夢の迷い路の中、王子の過去と天使の記憶を垣間見た私には、今、目の前に佇む
天使を
啜り泣く私に、彼は不可思議な面持ちで、しばし
「いまのお前に特段の脅威はない。小娘よ、俺たちの邪魔をするな。もし王子の不利になるような言動をした暁には、一番残酷な
そう
私はしばし闇に目を凝らし、彼の消えた暗闇をじっと見つめておりました。暗がりの中にか細い月光が照らす、いつもの我が小部屋の様子にようやく息をつきました。
「どうか、二人に……」
神の祝福を、と言いかけて私は口を
「どうか、どんな
長い時を経て、すれ違った運命を、自らの手で再び
私にできることはできる限り果たしたい、そう心から思えたものです。朝日が昇ったら、一番に井戸の水を汲んで、庭に咲くあの可憐な白い花を生けましょう。
夜の闇の次には、あたたかな光が白く世界を照らすのですから。
【ある使用人の手記】end
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