第二話 グシ村
「このグシという村のそもそもの始まりは、この国が出来て少し経った後のこと。大いなる山の主様が住処に困る
もうかれこれ一刻以上になるのか。
アルマは欠伸を噛み殺しながら、延々と続く村長の話に耳を傾けていた。
ここ、グシ村は国一番の高山、銀嶺山の麓に存在する小さな山村で、村人は先祖代々田畑を耕しながら慎ましやかな生活を送ってきた。
八十年前のある日のこと。大雪のあった翌年の春、洪水が起こったという。川に雪解け水が大量に流れ込んだせいだった。村の南側は流され、沢山の人死にが出た。グシ村の人々はこの出来事を山の主様の怒りだと思ったようで、怒りを抑え、また亡くなった人々のために神を祀るようになったという。
「それが、村の南側にある水神湖の水神様でごぜえます」
洪水で流された村の跡に出来た湖のことだった。
「お陰様でむこう八十年くらいは洪水も無く、土砂も崩れず、作物も豊作で。困る事なんて一つもありゃせんかったんですが……」
しかし、その平穏は長く続かなかった。
寒の災いがやってきたのだ。
「今年はどうしてか寒い春でして、桃の花が咲くころに雪がちらつくようになったんですわ。丁度その頃に植えた作物の苗が駄目になってしまうからと、大慌てで藁やもみ殻を村総出で撒いたのを覚えとります。ありゃ大変でしたわ。んでもそのうち雪も止むだろうと思っとったんですが……雪が降りやまんで」
参ってしまったと、村長は溜息を吐いた。
「そうそう、うちにも巫女がおりまして。水神様をお祀りする巫女に、御神意を聞きに行こうとしたんですわ」
「それで?」
村長は項垂れたまま首を振った。
「神さんがだんまりしとるから分からんと。まぁ、なにせ若い巫女ですし、先代よりも力が弱いらしいっちゅうことですから、最初からあてにはしとらんかったけど……はぁ、先代の婆さんが生きとったらなぁ」
「巫女の代替わりですか」
「そうそう、婆さんの孫娘でね。名前をユエというんだが……」
言った瞬間、村長と老人は口を閉ざした。おや、と、アルマが首を傾げた。奇妙な沈黙に、嫌な予感がした。
「……まさかユエさんも、いらっしゃらないんですか?」
「おるよ、おる。おるんだがとんでもない跳ねっ返りで……おい、ちょっくら呼んできてくれんかね」
と、村長は御者の老人に言いつけると、アルマへ向き直った。
「タルパーダ様には是非にうちの神さんの神意っちゅうのを聞いていただきたいのですわ」
アルマは、ははあと言う顔つきをした。
グシ村の巫女、ユエの力を信用していないのだな、この村長は。
神意を訊ねても答えられないのは、巫女の力がないせいだと思い込んでいるにちがいない。アルマは苦笑を浮かべながら頷いた。
「では、祭壇を今から作らせてください」
村長が、ほっとしたように微笑んだ。
「構わん構わん。なんでも言いつけとくんなせえ。必要なもんなら何でも揃えたるから。場所は何処にするね。噂にゃあ、綺麗なとこのほうが良いって聞くがね?」
「では、外で」
村長は途端に顔をしかめた。
「この寒空の下でか?」
むしろやり辛いのではないかねと言いたげにするのへ、アルマは問題ないと笑った。
「寒い外の方が、よく集まってくれるんですよ」
神意は神意でも、アルマが訪ねようとしている相手は、村に寒さをもたらしている寒の精霊だ。巫女が神意を訊ねても神様がだんまりを決め込んでいるのなら、アルマが訊ねても答えないだろう。だからこそ、目をつけたのが寒の精霊だった。
「――――いえ、屋内の方が良いと思います!」
男ばかりの部屋に、少女の声が割り入った。
「精霊を呼び出すのなら、うちでお願いします」
気の強そうな少女が部屋の戸口に立っていた。
農民のような格好の少女で、熊の毛皮を寒除け代わりの
ここまで走って来たのだろう。少女の白い頬は赤らみ、息は上がっていた。その右頬に入れ墨が刻まれていた。魚の鱗のような紋様だ。よく見ると、首筋にも同様の入れ墨が彫られていた。
「彼女は」
「さっき言った水神の巫女ですわ」
村長は咳ばらいを一つすると、不機嫌そうな視線を少女へ向けた。
「タルパーダ様がお着きになられたのに、なんでおらんかった」
「薪を拾いに行っていました」
「なら、誰かに一言云わんが」
少女は不機嫌そうに溜息を吐き、アルマへ向き直るとはっきりとした口調で言った。
「グシ村の巫女、ユエです。話は村長から伺っておりますので、どうぞ家へ。祭壇は用意してありますからご安心ください。それから、村長はもう結構です。後はこちらでやりますから」
「そういう訳にもいかん。村の代表として―――」
「いいから、関わらないでください!」
少女はアルマの手を掴むと、強引に家を出て行った。
仲が悪いにしても異様だと、アルマは首を傾げる。少女の怒り方があまりにも苛立っているようなものだから余計に。そんなアルマへ、少女は困ったような口調で頭を下げた。
「すみません、見苦しい所をお見せして」
アルマは苦笑いを返すしかなかった。
「君が、水神の巫女?」
「ユエです。去年の夏に祖母が亡くなったので、今年から私が水神の巫女をしています」
水神は二面性のある神だ。一般には天候を司り作物に豊作をもたらす恵みの神と言われるが、反面、河川の氾濫や飢饉をもたらす禍神の側面も持つ。もちろん寒の精霊とも関わりが深く、古来からの言い伝えでは寒の精霊は水神から生まれるとも言われている。そんな神の名を再び耳にして、アルマは目を細めた。
「水神を崇めているのは洪水で亡くなった人の慰霊と、山の主様の慰撫のためとは聞いたけど」
「はい。当時の水神様は村に災いをもたらす禍神でしたので、私の先祖が鎮めたんです。それから私達が水神様の巫女をするようになりました」
先祖から数えて私で十代目になると、ユエは言った。
「でも、去年祖母が亡くなってから水神様がおかしくなってしまって」
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