第三話 凍てつく光
「あれは祖母が亡くなり、葬儀を終えた日のことでした」
身を清めてから祭事の服に袖を通したユエは、死の穢れがつくことのないよう、水神の祭壇にかけていた布の覆いを取り去った。
太い丸太で作られた台座には、水神の使いである巨大な鯉が彫られている。それらが円を描き、水流と共に台座の中心のくぼみへ向かっていた。そのくぼみに象牙で作られた杯を置くのだけれど、葬儀を終えたばかりの祭壇には何も置いていなかった。
「その日、杯に満たす水を切らしていたので、水神様の所から水を汲んでこようとしたんです。祭壇に祈りを捧げる時は、必ず杯に水を満たしてからでないと水神様に届きませんから。それで、水神湖へ行こうとしたんです」
そうしたら、見てしまったのだと、ユエは深刻な表情で言った。
「湖から、泡みたいな光が空に昇っていったんです」
「泡?」
首を傾げたアルマへ、ユエははっきりと頷いた。
「水神様が湖へいらっしゃる時のような、青くて淡い、綺麗な光でした」
まるで湖が光っているようだったとユエは語る。心沸き立つような光景だったに違いないというのに、ユエは何か悪いものを見てしまったかのような表情をしていた。
「村人の中で気付いた人は?」
「いません、早朝の出来事でしたので。それに、誰かが起きていたとしても湖の光は見えなかったと思います。視えるのなら私か、タルパーダしか……」
神の姿を見られるのは、神に一番近しい巫女か、神や精霊と意思を交わす能力を持つタルパーダしかいない。それはこの国が神によって創られた時、人との交わりで神の力を悪用されることを恐れた神自身が定めた事だった。
「それで水神湖に行ったんですけど、不思議な光は消えた後でした」
ユエは訝しく思いながら湖に近づき―――身震いした。肌を刺すような冷気が湖から立ち昇っていた。水面には薄い透明な膜がかかっていた。薄氷だった。
「今年の話じゃなくて?」
「去年の
アルマは眉をひそめた。
(寒の災いが降りかかる前に、一度水神湖が凍った?)
それを村の誰もが認識していない。一見しておかしいと分かる兆候を村長ですらも気づいていないらしい。
「その後すぐに氷が解けて消えたので、天候が不安定だったせいなのかなと。村の人もそのことについては何も知らないようでしたし、私も村長に報告しなかったんです。でも、その翌年の春。つまり今年なんですけど……雪がちらつき始めた
「神が凍った?」
耳を疑うアルマへ、ユエははっきりと頷いた。
「私が気づいた時にはもう、水神様は湖と一緒に凍ってしまっていました」
目を丸くしたまま絶句したアルマへ、ユエは追い打ちをかけるように続けた。
「水神様に事情を聴こうとしたんですけど、変な邪魔が入って、水神様の声が聞こえないんです。それに、こんなことを村長に話したら大変なことになってしまうし……」
村の混乱を恐れるがために、ユエは「水神様は答えてくれない」と、村長へ伝えたのだ。たとえ自身の神通力を詰られることになったとしても、神の異変が村の人に知れ渡るのに比べたら小さなことなのだとユエは語る。
「でも私分かるんです。水神様はまだ生きてるって」
「確証がある?」
「はい。神が死んだら水神湖の水が腐ります。でも、まだそれが無いんです」
起きているか眠っているかの違いはあれど、水神はまだ生きている。なら、まだ取れる手段はあるとユエは言う。
「もし、このグシに降る雪が水神様が凍ってしまったせいなのだとしたら、どうにかして水神様を解き放てば解決するんじゃないかって思ったんですけど……」
大きな黒い瞳が濡れた。涙が溢れ出す前にユエは急いで袖で目を拭うと、アルマを振り仰いだ。
「いま、このグシに神はいません。家の外で精霊を呼んだら、きっと悪霊や魔物まで呼び寄せてしまうかも」
だから浄化された祭壇の傍で呼んだ方が安全なのだと、ユエは言った。
「屋内で寒の精霊が来るかどうかは分かりません。なるべく外に近くなるように、火という火は全て消しています。寒いと思いますが……精霊降ろし、やって貰えますか」
「もちろん、そのつもりだよ」
アルマがにこりとすると、ユエは初めて、微かに頬を綻ばせた。
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