かわいい肉


 先輩はサーロインだ。

 そのことは誇りなのか、声に自信があった。


「粗雑なミンチなんかと違って、保存料が少ない。それだけで男の子は真っ先に選ぶはずなんだよ」


 牛と豚の肉が混じったハンバーグが好きな僕としては、高級だの区別は分からない。

 定食屋やファミレスで出される庶民的な近さもいいとは思う。


「でもな、その輩の手をはねのけていくと、結局は自分に都合のいい人間ばかりの囲いができてしまった」


 ヒトの形をした肉に顔面だけ皮を被せた先輩は、休憩所のダンボールにもたれながら言う。

 先輩は手元で吸っているタバコの灰が吸殻入れに落ちていくところを物憂げに見ていた。


 もっとも、見ているというのはどこかおかしい。

 顔の皮が伸びたり縮んだりして目蓋という役割はこなすけれど、そこに眼球は無い。


 なんだか今日も、あまり話の内容が入ってこないな。


「ごめんな。これは私の精神的な話で、ただ誰かに聞いてもらいたかっただけだから」


 先輩は右手の腕時計を確認して、ゆっくりと仕事の準備を始めた。

 僕は、申し訳なさそうにする先輩に対して、特に言う言葉が無いのだった。


 ついていくと、首から下が赤身だからか、揺れる形のいい尻が服から透けているのが見えた。

 筋肉の線が浮かび、身体のラインを限界に主張している。


 緑色の通路で殺菌性があるといわれる様々な仕掛けに歩きながら対応していく。

 途中の仕切られた部屋で、面倒なクリーンウェアを着る。


 微かに熱のある照明、霧、突き出された棒、風。


 ブゥウウウン。シプププ。ガシュシュ。ヒュォォオ。


 そんな工程を施されて仕事着が構成されたのだが、僕の身体は欲情していた。


「どうしたの?ああ、そういえば一緒のシフトになるのは初めてだったな」


 頷いて返答すると、些細な問題は消える。


 厨房を多機能に改造した室内では、作業が既に始まっていた。

 時間に余裕はあるが、それに急かされるように配置につく。


 この班の編成は前と後の二人で編成され、俗に『肉屋』とも呼ばれる。

 前は手触りで規格を定めてマーキングを施し、後は視認して線に沿って切断する。


 この手順は、先輩のような肉屋の出自によって始まったと言われるが、その頃の作業は知らなかった。


 ビュ。シュ。パ。ヒュ。ヒャパ。ピシッ。


 解凍されたブロック肉の仕様書を確認して、線を引き、切る。

 順調。

 僕は先輩とは相性がいいみたいだな。


「私はサーロインといっても、南極の巨大生物から発見されたんだ」


 普通の作業なら小言は無いが、僕たちには喋る余暇がある。


 南極の巨大生物。

 確かに発掘されたものからなら古代の意識が積み重なって、死んでいる肉が生命をもってもおかしくない。

 現に先輩がいるのだから。


「蘇った肉が社会生活に馴染んでいるのはよく見るようになったけど、私が見つかった種類は、発見例が今のところ一体しかない」


 これからも増えることはない、なんて続く言葉の雰囲気があった。

 僕らの手は休みなく肉を捌き続ける。


「お前も女の子らしくしていれば、寄ってくるのにね」


 右手でブロックを掴み食紅のペンを塗り、先輩が取る左の箱に投げ入れようとした瞬間。


 ギュピッ。


 前と後で顔を見合わせる。

 先輩のオシャレである左頬にある縫い目が動く。


 ギュピェェェェエエギャギャギャギャピェェェェエエエエエエエッッ。


 板の上に載せられて鳴き声を上げた肉が、次第にそれを中心にして周りの氷を溶かしていく。


 筋肉は電気信号で収縮する。

 意識は電気信号だという話も聞く。

 肉、それ自体が熱というエネルギーを内部から出す生命、もしかしたら意思そのものかもしれない。


 気付くと工場のラインは止まっていた。

 肉は教科書でしか見たことがない人間の胎児に姿が近かった。


 この部署で産まれた肉屋だ。

 新しい肉を見るなんて十五年ぶりだよ。

 しばらく工場は動かせそうにないが、まあいいさ。

 立ち会えただけで良い日だ。


 胎児のような肉に暖かい声が向けられ、人が集まっていく。


「はじめて私が産まれた日も、こんな感じだったのかな」


 比べることではないけど、先輩のときはありふれた出来事ではなかったんじゃないかな。

 僕は、少し言葉を飲み込んで、先輩の幸せそうな顔をもっと見ていたかった。

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