そんなやり取りとは関係ないところから、第三者の声が法喬の耳に、届いた。

 背筋に――殺気。

「おうっ!」

「はぁッ!」

 振り返りざま、二箇所同時攻撃である双手突きを繰り出した法喬に対し、敵は一呼吸に左の肘、右の膝――右の貫手の三撃を、放っていた。

「う、は、おぉうっ!?」

 それを法喬は、初めて見せる焦燥の形相で躱す、躱す、躱――最後の貫手は、目のすぐ横のこめかみを、切り裂いた。

 痛みが、既に極度の充血により臨界点に達していたそれは一気に振り切り、視界が刹那、ゼロになる。

「づ、つつつぅ……!」

 生まれる一瞬の、隙。

 法喬の右手にあった重みが――消えた。

「と!?」

 咄嗟に拳を振り回すが――当たらない。左眼を庇い、残った右眼を見開き現れた真っ赤な視界に映ったのは――奪った弟を脇に抱える、髪がボサボサで無精ひげをたくわえた、やる気なさげな男だった。

「先生っ!」

 正信が叫ぶ。まさかここで、いつもやる気なさげだった先生が現れるなんて……!

「――誰だ、お前?」

 初めて聞かせる、法喬の重く響く、殺意を込めた声。

 それに先生――正信の担任教師は、飄々と答える。

「清寛流無手倒打(せいかんりゅう むてとうだ)師範代、設楽尚吾。大変面倒だが、その真髄、見せないわけにはいかないようだな」

 そうして手にある仁摩を、近くに立つ枝穂に差し出す。枝穂はずっと構えていながら、達人同士の戦いゆえ隙をつけず放てずにいた矢をしまい、それを受け取った。片方のトンファーを折られ、そして正信にもやってきたヲタばかり相手にされて話を振られることもなく、しまいには仁摩を渡されることすらなかった紗姫は、ブゥ~とほっぺたを膨らませ、ご不満の様子だった。

「清寛流……設楽尚吾? まさかお前、【鳳凰】!?」

「そう呼ばれてたことも、あったっけ、な」

 そうぶっきらぼうに呟き、設楽は構えをとった。低く低く体を沈め、右足を曲げて左足を前に伸ばし、両腕を開いた、変則のもの。

 それに法喬は、苦々しげに嗤う。

「くく、く。【黒牛】に【究武】が出くわすだけでも稀な事だっていうのに、【鳳凰】まで現れるなんてねェ。さて、どうしたもの――」


 不意の飛び蹴りが、法喬の言葉尻と鼻先を、掠め切った。


「グズブっ!」

 既に折れていた鼻が、右にひん曲がる。そこから更に大量の鼻血が、ポンプのように噴き出す。

「ぶ、ぐ……きゅ、【究武】お前!!」

「お喋りなんぞに興じている君が悪い。人質がいなくなった今、仕合は続いているんだぞ」

「っ…………!!」

 前方を風のように通り過ぎた芳武を追いかけようとする法喬に――羽を広げた孔雀のように設楽が、襲い掛かる。

 一呼吸での、突き、肘、膝、裏拳による――十二連撃。

 攻撃態勢で前傾していた法喬に、それを避ける術は、なかった。

「づがごがががががァアアアアアアアアア!」

 全弾ヒット。

 法喬は肩骨、鎖骨、胸骨、肋骨、尺骨、手首の骨を二撃づつ削られ、亀裂を入れられた。そのダメージの大きさに法喬は無防備にヨタヨタと後退する。

 なにかにドン、とぶつかった。

 とたん右の大腿骨に、衝撃を受けた。

「づ……っ!」

 槌で穿たれたような感覚に、ガクンと足腰が落ちる。痛みに顔をしかめ、振り返る。

【究武】の弟が、こちらの右太腿に右の踵を、突き立てていた。

「こ、このガキ……!」

「仁摩!」

 正信は法喬の背中越しに肩の向こうへと、叫ぶ。それに法喬は対応しようとしたが、反応は鈍かった。受けたダメージが、大きすぎた。

 腰に、衝撃がきた。

「やっちまえ、仁摩ァアア!!」

「ハァ――――――――――――――――――――――――――――――――ッ!!」

 その声に、仁摩は吼えた。崩壊寸前の体に鞭打ち、全身全霊、全生命力すら賭けて、最後のタックルを敢行する。組み付いた瞬間に、左大腿筋と胸骨四本と胃に体全体が跳びはねるような痛みがきた。力は失われ、あとはもたれつくように倒れた。それでもマウントを、奪取する。あとやることは、一つだった。

 拳。

「あ……あああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!」

 一発二発三発四発五発六発七発八発九発十発十一発十二発十三発十四発十五発十六発十七発十八発十九発二十発二十一発二十二発二十三発二十四発二十五発二十六発二十七発二十八発二十九発三十発――――

 連打。連打。連打。連打。なぜか数をかぞえていた。三十六発。そして兄の顔を見ていた。三十七発。あのいつも涼しげで、かつ厭らしく、憎み怒り大嫌いだったあの男の顔は自分の拳により、弾け飛び、吹き飛び、消し飛んでいた。四十発。唾を吐き出し、皮がめくれ、血が噴き出し、肉が削げていた。四十二発。そのうち拳の感覚も消えた。四十三発。殴っているのが誰なのか、わからなくなった。四十四発。兄の顔が見える。四十五発。もはや赤い血袋と化したその中で、瞳だけがあった。四十六発。その瞳は赤い淵の中、黒く輝いていた。四十七発。まるで太陽の黒点だった。四十八発。それは、こちらを覗き込んでいた。四十九発。そして、嗤っていた。五十発。

 ――いい、獣になったな。 

 声が聞こえた気がした。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る