獣の発端

 とつぜんのアップに、正信は仰け反った。

 その顔は、ただ狂気のみを孕んでいた。

「こいつはねぇ、ずっと、子供の頃から、自由というものを与えられてこなかったんだよ。おれたちの親は、高校の教師と塾の教諭をやっていたという二人でね。出来の悪かったおれの反動かこいつには期待をかけられてね。ずっと、学校にも行かされず部屋に閉じ込められて、勉強漬けの毎日を送らされてたんだよ。酷いものだと思ったよ。まるっきり生きてて、死んでるような状態。飼われているといってもいいかもしれなかったなぁ」

 それは確かに、キツい……と正信は思う。そんな状態なら、仁摩が歪んでしまったのもある意味仕方がないと――

「それでもこいつは、両親のことを愛してたんだなぁ」

 まるで詠うように、法喬は続けた。

「それでも嫌いに、なれなかったんだなァ。本当にいい子ちゃんで、堅物な子供だったんだ、おれの弟は。そんな仕打ちを受けても、なお、愛して欲しいと思っていたんだよ。

 でも同時に殺したいほど憎いとも、感じていた」

 どくん、と胸が脈打った。

 ――それは自分が、兄に対して抱いていたものと同様の……

「複雑怪奇な感情を抱きながら、それでも世界の中心は両親だった。まるで忠犬ハチ公。泣かせるねぇ。まぁ……

 殺してから、しったけど」

 どくんっ、と胸が脈打った。

 ――いま、こいつは、一体なんて……

「だからおれには、悪気なんてまるっきり無かったんだよ。愛しい弟が不憫だから、助けてやろうと思ってやったことだったんだよ。だけどこいつ、そんなおれの気も知らないで向かってくるから。あったまキて、ボコボコにしたけどな。ちょうど、こんな感じに」

 唾を吐き飛ばしながら笑うこの狂人の言葉が、正信には理解できなかった。

「――くくくくくっ!! その時のこいつの表情が、見物だったんだよ! 目に涙をためて悲しみと怒りに駆られていて、それでいてどうにも出来ない現状に悩み苦しんでいてねぇ……それからのこいつも、おれは見てきたよ。笑えるよ! こいつ……発作的に暴れるようになっててなァ!」

 ……発作?

 そのピンとこない言葉に、今までのすべての違和感が説明出来るような気がした。

「大人しい奴だった。礼儀正しい弟だったのに……もう、暴れないと自我を保てなくなってんだよ! 悲劇たよ……だからこそ、ここで――」

 額を押さえて憂いているのを装っていた法喬の瞳が、不気味に、輝いた。

「さらにこれだけ自我を破壊してやれば、もう終わりだろうよ! くくくくくく……っ!」

 その人が終わったような笑みに、正信は知らず後ずさっていた。その姿も、そしてなにもその瞳には映さず、法喬は続ける。

「――見てみたいねぇ、真の獣人。それならば、おれたち闘人十二拳に入ることも可能だろうし――それどころか筆頭のお前を潰し、新たなる武の世界を見せてくれることもできるかもなぁ! 最高だねぇ! 常々おれは思っていたんだよ。今の世界には、余分のものが多すぎる。すべてを排除した、純粋な武を、作りたいとねぇ……我が愛する弟よ、お前がそれに、なるんだよォォオ!!」

「く、狂ってやがる……」

 土井が顔をしかめる。しかし対照的に池田は冷静で、

「フン、マッド系か。でも弟愛にも溢れてるのか。ヤンデレ属性もあるなんて、なかなか乙なキャラだな」

「い、池田くん。そうやってなんでもかんでも二次元的な記号に当てはめるのは、ちょっと……」

 島本くんがツッコミを入れる中、正信は必死の形相でうな垂れ沈黙する仁摩を、見つめていた。

「に、仁摩……!」

 正信は、すべてに合点がいったような心地だった。

 わからなかった。今まで。なんで仁摩があれほど戦いを求めるのか。それを通してしか、相手を理解できないのか。

 なぜその戦いを、哀しそうな瞳でやるのか。

 それを今、理解した。

 あいつを……変わりつつあったあいつを、このまま狂気の世界になんて――やりたくない!

「仁摩ァ!!」

 だから、気づけば――叫んでた。

「オイ! 起きてんだろ! さっきまでオレと、話してたんもんな! だったら、聞こえてるはずだもんな! 寝てる場合じゃないぞ! 起きろ! 暴れろよ! お前このままじゃ連れてかれるぞ! そしたらお前、今よりもっと酷くなっちゃうんだぞ! そんな傷くらい、なんだ! お前は――強いんだろっ!?」

「くく、無駄無駄。アバラをへし折り、たぶん胃袋にも穴開けちゃってる。そんな状態で抵抗なんて、出来るわけ――」


「――大人の我が侭に、子供を付き合わせるものじゃないな」

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