復讐と宴

兄き

 なぜ兄がこの場に現れたのか、理解できなかった。

 仁摩は黒い感情に押し潰されそうになりながら、暗い道を走っていた。影は、昏い闇へ消えていく。それを見失わないように、仁摩も影となっていく。自分の姿すらまともに見えないようような、都市の暗部。毎晩足を踏み入れた、アンダーグラウンド世界。生気を失った人々が黄昏に身を任せるその中、狂気と凶器が交錯する中、仁摩はその姿を染み入らせていく。

 一点の、躊躇もなく。

 この半年間、ずっと姿を消していた。いくら足取りを調べようとも、片鱗も見つけることは出来なかった。だからいつしか諦め、代わりとなる衝動のやり場を求めてきた。

 それがなぜ、今頃になって?

 兄の目的は、いったいなんなのか?

 いくつもの疑問符が頭を駆け巡る。それと同速度で、仁摩は駆け続けた。

 体が動いた。先ほどまでのダメージは、嘘みたいに忘れられた。実際にはそれは肉体の運動性能を著しく低下させていたが、体感的には仁摩にはまったく感じられなかった。いつしか陽は、大きく傾き始めていた。

 四方を高い塀が遮る、路地裏。袋小路。そこに仁摩は影となり、影を追い詰めていた。頭から感情が、すっぽりと抜け落ちている。ただこの影を追い詰めるまでは、他のすべての事象が、瑣末事だった。

「兄き……」

 仁摩法喬は、全身を黒い服に包んでいた。

 仕立てのいい黒い開襟シャツに、黒いスラックス。足元は爪先が尖った革靴で固め、黒革のベルトまでつけている。左手首には同様に黒革ベルトの腕時計まで見える。

 闇に紛れそうな装い。

 その中で、髪と両手につけられた手袋だけが――白い。

「久しぶりだね、在昂」

 目が、三日月の形に細め、歪められる。パーツが小さいその顔は、まるで作り物の人形のよう。

 兄の笑みは、酷薄だ。どこまでも、感情が入っていない。……いや、逆に入っているのか。酷く入りすぎた結果の人間の表情というものが、これなのか?

「どう……して、ここ……」

 一瞬の思考と共に、仁摩は言葉を紡ぐ。疑問は疑問の呈を成さず、消えた。意味の無い思考。仁摩の心理は冷静に、壊れていた。

 喉が乾く。

 うまく言葉が、紡げない。

「どうした在昂? そんなに声を震わせて? ――怖いの、かい?」

「は……っ」

 不意を突かれた兄の言葉に、つい――笑みが零れた。

 それに法喬はきゅぅ、と口元を吊り上げる。

「まさか、ね。在昂に限ってそんなわけ、ないか。――嬉しいかい?」

 嬉しい。

 仁摩は壊れた冷静な思考で、その問いかけを分析する。嬉しい。それがまず最初にくるだろう。あとは、様々だ。戸惑い、怒り、混乱、悲願、哀願、我慢。ハハハ、まるで言葉遊びだ。

 仁摩は自分の思考に、壊れた笑みを浮かべる。

 抑えきれない感情がすべて一括りに――喜々という感情でまとめられ、口元を、歪める。

 ニヤリ、と。

 余計な言葉は、いらなかった。

「おれと戦え――兄きよ」

 法喬は、それに初めて声を出して、笑った。

「くくっ。いいねぇ、在昂」

 それは奇しくも、弟の在昂と同じ笑い方だった。

「イーイ感じに、育ってくれた」

 気づけば兄は――仁摩のすぐ目の前に、立っていた。

 その瞬間、仁摩にはなんの感情も浮かばなかった。驚愕も衝撃も動揺も焦燥も。ただ兄が目の前にいるのだと思った。昔からそうだった。兄は自分の予想、想像を上回る行動をとる。だから今さら、この程度のことで驚きはしない。

 兄き――ずっとこの時を、待っていた。

 風が、仁摩の髪を揺らした。獣の本能、とでもいえばいいのか。それとも今までの実戦経験のたまものか。それをすぐに、仁摩は突きが飛んできていると察知、判断した。予備動作無しに両腕をあげて、顔の前をガードで固めた。


 胸が、壊れた。


「――――――――かハァッ!?」

 理解不能。現状確認同様に不能。唯一判明しているもの――胸に、致命的な損傷を受けているということ。

 だが、矛盾も同時に発生。胸に打撃をもらっているにも関わらず――攻撃に備えて腕で覆った顔面も、仰け反っている。それも後方に、70度近く。この角度の幅は、胸に貰ったものと同程度の、ランク分けするならば特Aの打撃をもらったものと判断する。つまり――

 胸と、顔――同時に打撃をもらっている、ということか?

 仰け反っていく上半身を、胸を壊された仁摩には止める術はなかった。そのまま足は地を離れ、半回転して後頭部を地面に叩きつけられる。その衝撃も相当なものだったが――その時の仁摩には、悠長に頭を押さえている余裕は、なかった。

「ぐ……! ぬ、が、ぐぬゥ……ッ!!」

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