おぞましい視線
「ひ、ひゅえ? そ……な、なんで正信、紗姫に、ありが、とかって……?」
「いや、その、さ。今までなんか邪険にしてきたけど、なんかオレのこと気遣ってやってくれてたことに気づいたってか気づけたっていうかさ。あ、そういう意味じゃ、謝った方もいいな。ゴメンな。なんか、今までツンデレしてて」
ここでオタ用語が自然に出てしまう辺り本当に自分はリラックスしてるんだと正信は思った。すると紗姫は、
「ふ、ふえ……?」
なんか――涙してたァ!?
「さ、紗姫!?」
「へ? え?」
「な、なんでお前、泣いて……?」
「な……泣いてなんて、い、いないんだから……! さ、紗姫は強いんだから、泣いたりなんてしないんだから!」
言いながら、紗姫はぼろぼろぼろぼろ大粒の涙を零し続けた。その様子に気づいた――紗姫の親衛隊の、目つきが変わる。
「な……紗姫さま、い、一体なにが!?」
「尾木戸の弟……貴様、我らが紗姫さまに、なにを言った!?」
「な、何も言ってねー! てか我らがってお前ら時代いつだよ!?」
「う、うえぇ~……さ、紗姫は泣いてなんかないってばー!」
『めっちゃ泣いてるじゃん!』
なんて漫才が行われる中、壇上の反対側で仁摩は、遠い目でその光景を眺めていた。
「負けた、か……この、おれが」
ズキン、と太腿の筋肉が跳ねた。それに仁摩は顔をしかめる。試合が終わると、痛みがブリ返してきていた。もはやただ立っていることすら億劫だった。大腿筋に空けられた穴の数をかぞえると、十三箇所あった。まるで太腿がデコボコになってしまったようにすら感じる。今までの戦いでは速攻で中間距離から飛びついてきた仁摩は、ローキックがこれほど痛いものだとは、知らなかった。
「あの犬が、猫になり――そしておれに、敗北を与えた」
虎に近いものが、あの気迫にはあった。牙は、自分にはっきりと爪あとを残していた。それをあそこで喚いている北嶺紗姫が火をつけ――そして潰す行為を、あの真っ黒な長髪の女が、止めた。
「……鼠が猫になることもあるし、女の中にも棘を持ったものもいる、ということか」
負けたことがない。
それが、自分を支えてきた。兄が起こしたあの事件以来、戦い、相手を叩き潰すことのみが、自分のすべてだった。猛りをぶつける相手を、求めてきた。強さを、ずっと確認していたかった。自分は、強いと。だが、それは――
――強くなりたければ、自分の弱さと向き合うことだ。
「……そうか。おれは、弱かったのか」
そのように、自分より弱い相手を叩きのめすことでしか、自分を保てない。それこそが、弱さだった。自分より弱い者たちが、譲れないもののために強者に立ち向かう。その気持ちこそが、強さであり――このような、明暗を分けた。奇跡的な勝利を、導き入れた。
それに気づいた時仁摩は、今までのような獣じみた笑みではない、穏やかな笑いを、浮かべていた。
「負けたか、おれは、おれ自身に……そして、お前にな、正信」
踵を返す。敗者は敗者らしく、去るのみ。そうして壇上を降りようとした仁摩に――
おぞましい視線が、突き刺さる。
「な――――!」
全身が総毛立つ。強烈だ。だが、【究武】の深遠な気配とも、また違う。重く、粘着質で、絡みつくようでかつ生温い温度を持ったそれは――過去、半年前以来のものだった。
視線を、そちらに。そこに、仁摩が思っていた通りの人物が、過去見た時と変わらぬ姿で立っていた。
口を開く。あまりの衝撃に、最初言葉が出なかった。
「ハ……あ、兄きッ!!」
男――仁摩の兄、仁摩法喬(にま のりたか)は一瞬だけ笑みを作り――人ごみの中へと、姿を消した。
半年前と同じ――こちらを嘲笑うような、笑みだった。
「ぐ……ああああああああああああああああああ!」
雄たけびをあげ、仁摩はその背を追う。
「に、仁摩?」
正信が異変に気づき声をかけるが、仁摩はそれに気づかない。続いて紗姫、設楽、徹平、そして観客たちの視線が集まるが、それもわからない。
仁摩の網膜にはただ一人、兄の姿が焼きついていた。
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