2の特訓

「うっりゃああああ!」

 気合いを入れて、ヴァレリーキックをサンドバックに叩き込む。最初は打つ踵の方が痛んだが、連日行ううちに当てるポイントがわかってきた。今では逆にサンドバックの一箇所を、僅かではあるが穿つことが出来るようにすらなっていた。

「――――かはっ!」

 そこで膝に両手をつき、正信は大きく肩で息をした。大量の汗が、道場の木目をべったりと濡らしていく。

 現在、142本目。今日のノルマである200本まで、あと58本もあった。それ以前にも蹴りの威力をあげるためのスクワット200回と腹筋背筋200回、バテない体力づくりのために200メートルダッシュ5本、それに簡単に倒されないための首を鍛えるブリッジ2分を5本行っている。2ばかりで何か2に呪われているような気さえしていた。単純に兄きが遊んでいるだけなのかもしれないが。

 さらにのちには、兄き相手の実戦練習。さらには接近戦に持ち込み、逆に大ダメージを貰わないための足運びと捌きのトレーニングが待っていた。

 まさに、猛特訓。

 ていうか、地獄。

 それは、正信にとって初めの経験だった。こんなに一生懸命、なにかをやったことはない。新鮮であり、ほんのちょっぴりは楽しくもありはした。だけど当然のように、むちゃくちゃきつかった。筋肉痛で、わずかに動くだけでも激痛が全身を走り抜けていった。休みたい。出来るなら今すぐ快適な自分の部屋で、クーラーをつけてベッドの上で横になりたかった。漫画を見たかった。ラノベを読みたかった。ゲームをしたかった。なのになぜ自分は、こんなきっつい思いをして練習しているのか? 途中何度も自問した。

 が――

『……す・て・きぃ…………ぽっ』

 枝穂ちゃん!

 その言葉に(正信の脳内で補正された清楚さの中に色っぽさをも兼ね備えた完璧音声によって)、萌えた――もとい、燃えたっ!

 やってやるッ!!

 頭をサンドバックにこすり付け、フラつく体を固定して、ガシガシ蹴った。汗で、サンドバックが滲む。あまりの不恰好さに、周りの視線が集中する。関係ない。ただ一つ――枝穂ちゃんの、笑顔のため!

 ガムシャラだった。



 そして武道大会、当日。

「おにー、い、ちゃーん。がっこ、おくれるよー?」

 琉果はお母さんの命を受け、部屋にお兄ちゃんを呼び来ていた。日曜日にも学校があるということが、琉果には不思議だった。そういう日もあるというお父さんの説明には、なんだか納得いかなかった。辛く苦しそうなのに、嬉しそうな兄の姿も琉果には不思議だった。そういう時も男の子にはくるという母の説明には、なんとなく納得できていた。

 引き戸がガラッ、と開けられる。そこに、お兄ちゃんが立っていた。肌はかさつき、傷もたくさんついている。目の下にはクマも出来ている。髪も、ぼさぼさだ。

 だけどその目は真っ直ぐ前を向いていた。前みたいに、俯いたりそっぽを向いていない。前だけを、見つめている。

「ありがとう、琉果」

 こちらを見下ろし、微笑んでくれる。そこには以前の、頼りない兄の姿はなかった。それを少しだけ寂しく思いつつも、琉果はやはり、嬉しく思った。

「うんっ、お兄ちゃん。きょうは琉果もおとうさんとおかあさんと応援にいくから、負けちゃやだよ?」

 それに兄は、身を翻す。言葉に言葉ではなく、背中を見せることで応える。

「任せとけ。今日は兄ちゃん、思いっきり頑張ってやるからな」

 こんな風に兄を変えたものとは、なんなんだろうか?

 琉果は子供心に、それが単純な向上心や闘争心でないことを見抜いていた。でも、それがわかるほど大人でもなかった。


 家を出ると、池田と島本くんが既に玄関先で待っていた。池田はネルシャツにジーンズ、島本くんはピチピチの黒いタンクトップをオーバーオールで抑えて。

「……よう。ヲタのくせに無茶する蛮勇者を、笑いにきたぜ」

「だ、大丈夫正信君? 怖いんだったら、逃げてもいいとぼくは思うよ?」

 それに正信は、笑みで答える。

「こ……怖いさ」

 親友を前にして、本音が漏れた。

「こ……怖いに、決まってる。オレは、元々……こんな大会とかで、勝ったこと、ないんだぜ? それも今回は、啖呵、切っちまった。す、好きな子の前で、この大会で勝負だ、だなんて。これで負けたら、生涯残る大恥、トラウマになるっていうのに……相手は、あの、仁摩なんだぜ? 見たろ、お前らも? 学校でも有名な武闘派の格闘クラブのエース級の連中を撃破し続ける様を? あのボクシング部の斗賀峰が、どんな目に遭ったか? し、失神だぜ……しかもあいつ、それだけじゃないんだ。じ、実はあの兄きとも二回やってて……しかも、二回目は…………」

「落ち着けよ」

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