ヴァレリーキック

「今回のルールは、お前に有利に働く。最大の武器であるマウントからのパウンドが禁止されているからな。あれをやられたら、下手したら一発でお終いだ。首の、脳幹をやられてな。後頭部を地面に打ち付ける痛みは一生忘れられそうにないぞ」

「……芳武せんせー、やられたことあるんですかー?」

 大野さんが、今度は心配そうにひょこっと顔を出す。それに芳武は手をひらひらさせながら笑って、

「あー、だいじょうぶだいじょうぶ。ちょっと子供の指導のために付き合っただけだから。大野ちゃん、心配しないで」

「はーい、わかりましたーっ」

 元気よく応え、大野ちゃんはぶりぶりブリっ子する。それを正信は頭を抱えながら横に押し退けた。ホンット、話が進まない。道場で話し合いしてること自体間違いだったんじゃないのか?

「というわけで、タックルは警戒しないで済む。まぁ単純に朽木倒しとしての投げのダメージとしては気にする必要があるかもしれないが、あいつはそれとしては仕掛けてこないだろう。だからお前が気をつけるべきは、中間距離からの左ミドルと、飛び込んでからのボディへのアッパー、そして膝ということになる。

 だが、下段は一切ない。相手に密着することから、打たれることも想定していない。だからこそ、狙い目になるんだ」

 言われ、イメージしてみる。確かにあの仁摩の攻撃は、顔面に集中している。テレビの格闘技みたいに探りあいや、接近しての技の応酬というのも見たことがない。そして下段なんてまったくない。自分でも打たない、そして打たれたことがない技なら、それに対する備えも薄いだろう。

「下段か……でもオレ、ローとかあんま蹴ったことないから脛とかあんま自信ないんだよなぁ……」

「誰がローっつった?」

「へ?」

 当たり前のことをいったつもりなのに、正信はそれを芳武に否定された。顔を上げてみると、兄きの楽しそうな笑顔があった。

「ヴァレリーキックっつー技、聞いたことないか?」

「ヴぁ?」

 発音し辛い名称だった。なんか後ろで一般部の津田さんが笑ってる気がした。伊志くんは相変わらず?な顔をしてた。

「あー、知らないか? 津田さん辺りは知ってるんじゃないかな? 新極真会っていう大手の空手団体の、ブルガリアの選手が開発した下段蹴りでな。ちょっと立ってみ?」

 言われ、正信は立ち上がった。芳武も立ち上がる。そしてちょうど突きの間合いで、二人は相対した。そして促され、正信は構える。

「ちょうど……」

 そして芳武は右足を――足の内腿を上に垂直に向ける角度で上げ、それに対して正信は左の太腿に力を込めた。

「こう」

 踵が、真横から直角に正信の太腿に、食い込んだ。

「ぐあッ!?」

 凄まじい衝撃――いや、痛みだった。今まで受けたことのない類のダメージ。まるで踵で、太腿の筋肉が抉られるようだった。ぐさりと、刃物を突きたてられたような感覚。正信は耐え切れず、その場に膝を着いた。思わず呻く。

「は……反則だろ、これ」

「いや、ルールには抵触しないぜ?」

「そ、そういう意味じゃなくて……」

 キョトンとした様子で頭を傾げる芳武に、正信はぷるぷる震えて呆れていた。大野ちゃんがきゃーきゃー騒いで、津田さんが腕組みして頷き、伊志くんが目を丸くしてた。もうどうにでもしてくれと思った。


 琉果は最近、つまらなかった。

 お兄ちゃんがちっともお家にいない。学校から帰ってきてから、すぐにどこかにお出かけしてしまうのだ。だから瑠果は、お兄ちゃんに遊んでもらえない。

 それに、にまちゃんもぼーっとしててつまらなかった。前以上に元気がない。笑うこともなくなってしまって、言葉数も最低限だ。ただなにか思い出し笑いしてるみたいに一人でニヤニヤしてる。変。

「ぶー、つまんない」

 そんなことをいつものようにテレビの部屋で揃ってテレビを見てたお父さんとお母さんに言ったら、お父さんは笑って、

「男の子はね、こう、いざという時バッチリ決めなきゃいけない生き物なんだよ」

 それにお母さんはいつもの笑顔のまま、

「あらあらお父さん、そういう言い方しても瑠果にはわかりませんよ?」

「正信はそうでもないかと思っていたが……くーっ、燃えるなぁ!」

「あらあらあらあらお父さんったら、本当いつまでもお若いんですから」

 二人のやり取りを聞いてると、なんだかお兄ちゃん頑張ってるみたいだった。だったらお邪魔しちゃいけないね。瑠果は今は我慢して、一人で遊ぶことにした。お父さんが瑠果のお顔を覗き込んで、尋ねる。

「琉果も応援に行くか?」

「いくっ」

 お兄ちゃん、がんっばれ!

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