青春の群像

 がつ、と去り際にローファーのヒールで脛を蹴られた。かっ、なっ、りっ、痛かったけど……我慢! ここで蹲っても情けないだけだし、相手をつけあがらせるだけだ。んで、ある程度野次馬とかまで去ったあとで、ズボンの裾をまくって状態をチェックした。血が少し出てた。

「……お前さ、空手辞めれば?」

「はは……」

 池田の言葉に、正信は乾いた笑みを返すことしか出来なかった。

 正信は、空手をやっていた。それも既に六年も続けている。その始めたきっかけというのが――

 兄が、空手の学生チャンピオンになったからだった。

 昔から正信は、兄に対して劣等感を抱いていた。兄、芳武の空手に関する天分の才は、凄まじいものがあった。大会があるたび当たり前のように優勝カップを家に持ち帰ってきていた。その勢いはとどまることを知らず、高校では一年生にして、全国学生大会で優勝を決めてしまったほどだった。兄は両親の誇りであり、常に話題の中心だった。学校でもヒーローだった。そんな兄を追うようにして正信も小学四年生のとき、空手を始めた。

 結果はあまり、かんばしいものではなかった。

「正信くん、急ごう。このままじゃ、ちょっと間に合わないかも」

 島本くんの言葉に、正信は我に返る。通学路には、もう誰の人影もなかった。

「あ、あぁ……」

 島本くんと一緒に、既に先をいく池田を追いかけた。

 空手の方でまったく芽が出ないまま、正信は高校生になった。そこで知り合ったここにいる二人プラス一人である池田と島本くん、土井に、こっち系の趣味を教えられた。元々漫画とか一部の有名RPGとか格闘ゲームとかはしていた正信だったが、まさかここまでハマるとは思っていなかった。素養があったのだろう。すっかりキャラは濃くなってしまったし、一般人のクラスメイトからは壁を作られてしまったが、そんな自分が嫌いなわけじゃなかった。それに三人とも、みな気のいい連中だ。だけど――

 走りながら、正信は思う。

 ――だけどどこかで、歯車が合っていないような気もしていた。


 学校では枝穂(しほ)ちゃんがいつものように、自分の席で読書をしていた。

 後方窓際の自分の席に鞄をかけ、椅子に座ってその姿を見つめる。古池枝穂(ふるいけ しほ)。前方廊下傍の席で、朝は誰よりも早く登校しているらしい。濡烏(ぬれがらす)と謳われる古来の日本人女性特有の青みを帯びた黒髪を持ち、その艶やかさと併せ持つ淑やかさは他の追随を許さない。小さめな目元に携えられた縁がない丸い眼鏡と柔らかそうなほっぺは、笑うと想像を超えた癒し空間を場に作り出す。それを求めてか、たくさんの人が声をかけていく。それに丁寧に顔を上げ、淡い笑顔で応えている。

 見ていると、胸が泡立つ。

 遠くから見ているだけでいい。なにも彼氏になりたいだなんて傲慢なことは考えていない。所詮彼女いない歴=年齢だ。兄きみたいにモテない。だけど、遠くから慕うくらいはいいだろう?

 我ながら、淡く切ない恋だった。

「――で、ね」

 突然鈴のような声と共に、長い青髪が目の前に降りる。

 耳に響く甘い声は、人をひきつける力があると思う。その青髪は確かに美しいと思う。そして向けられる、その笑顔は――まるで漫画の世界から飛び出してきた美少女キャラそのものだった。その愛らしさに学校内でファンクラブ――なんて漫画展開はないが、実際目をつけている人間も多いらしい。こっちの方はマジな話で、実際この前このクラスと全然関係ない8組のやつが紗姫のことを聞いてきたくらいだから、間違いない。

 だけど――

「今日も紗姫、これから淵己式空手術(えんこしき からてじゅつ)を一緒にやってる"仲間"で集まって朝練やろうとおもってるんだけどぉ……アンタもやらない? お兄ちゃん当主だし、ね? やるでしょ?」

 いつも来るそのお誘いは、正直あまり嬉しくはなかったりして。

「あー……ごめん。ちょっとオレ、なんか朝から頭痛がしててさ。しかも昨日も夜寝るの遅かったし、あんま朝は動く気にはなれなくてさ。だから、ちょっと……」

 やんわりとお断りする。自分としてはめいっぱい気を遣ったつもりだった。

 その言葉を聞いたとたん、紗姫の顔の真ん中(額から鼻筋にかけて)にかけて、亀裂(要は皺)が走った。

「……ムっかつく」

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