5.「スイッチ・オフと苺ジャム」(サンプル)

 知生くんが首を吊って白目をむいているとき、知生くんの知り合いという人が訪ねてきた。猫背で眼鏡の男の人。

「……三角知生、糖尿病のネズミ飼わん?」

 玄関を開けたのは知生くんじゃなくてあたしだったのに、その人は驚いた素振りも何もなく、あたしのことを知生くんだと思ってるみたいにぼそぼそそう言った。たしかにあたしと知生くんはよく似ているけど、あたしは女で、髪も長いのに。

「ネズミ?」

「マウスだよ」

 そうして彼はべらべらしゃべりはじめた。眼鏡の奥、どろりと濁った目玉をぶるぶる震わせて。たぶん誰のことも目に入っていないんだ。

「マウス。マウス。実験で無限に使うあれ、いつもは業者に引き取ってもらうあれ。今朝、決定的な夢をみた、おれはネズミに呪い殺される、まちがいない、だっておれは誰よりもうまくマウスを処理できて、学部と院とこの六年、ネズミを何十匹も何百匹も脱臼させてきた、脱臼させて処理してきたんだよ、首を押さえて尻尾を引っ張って、それから頚椎を脱臼させるんだ、おれの数少ない特技、誰にも自慢できない特技だよ、おれは誰よりも迅速に、確実に、ネズミを処理できる、だけども今朝みた夢でわかった、おれはネズミに呪い殺される。いいよなあお前は首も体温もないもので実験してるから。ネズミ、ネズミだよ。いつもなら業者に引き取ってもらうんだよ、でも休み明けまで来ないから、冷凍庫に入れておくしかなくて、冷凍庫に入れるためにも脱臼させなきゃならんくて、いつもなら業者の引取りが」

「……あなたがお引き取りください」

 そう言ってあたしはドアを閉めた。大学院はオカシな人ばかりらしい。

 知生くんも、負けず劣らずオカシい。しょっちゅう首を吊っては失敗して、白いぬけがらを生成している。

「知生くん、もうお昼だよ」

 しばらくして起こしに行ったら、知生くんはまだ寝ていた。首にぐるりとタオルが巻きついたまま、床に転がっていた。知生くんはいつもドアノブにタオルをかけて首吊りをするから。

 傍らにはやっぱり白いぬけがらが横たわっていた。首吊りを失敗するたびに生まれる白いこれを、あたしはぬけがらって呼んでいる。知生くんと同じサイズだから、知生くんが分裂したみたいに見える。

「んん」

 知生くんが寝ぼけているすきに、あたしはぬけがらをぎゅうっと小さく丸めた。小玉スイカくらいの大きさになる。ぬけがらは白くて透けていて、ビニル袋みたいに軽いから、丸めてしまえばゴミ袋に入れられる。けれどこのぬけがらが生ゴミなのか不燃ゴミなのかあたしには判断がつかないから、ゴミ捨て場に持っていけない。アパートの大家さんはゴミの分別にものすごく細かくて、いつもビニル袋を開けてチェックされてしまう。前にペットボトルのラベルを剥がさなかったことで怒鳴られて以来、ゴミを捨てるのが苦手になってしまった。捨てられないぬけがらはビニル袋に溜まって、部屋を圧迫しつつある。近ごろ知生くんの首吊りペースが早いから、ぬけがらはどんどん増えてしまう。

「……詩折?」

 寝ぼけた声で知生くんがあたしの名前を呼ぶ。

「あ、おれ、また生き返ってる」

 それからぼそっとそう言った。ひどくつまらなさそうに。そうだねってあたしは言う。

 そうだね、知生くんの首吊りは必ず失敗するね。そういうふうにできているんだよ。それはかつてあたしがどんじょさまにお祈りしたから。どんじょさまの祝福は、呪いになってしまった。ごめんね、知生くん。あなたの妹は、あなたの希望をあらかじめ奪っていたんです。そうしてあたしは六年の潜伏中で、生まれ変われる日を待っているんです。

(つづく)

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