6.「ジュラ紀」(サンプル)

 当時おぼっちゃまくんが流行っていたからだと思うんだけど、おれの担任、神保先生はじんぼっちゃまと呼ばれていたんだ。イメージしてたのはびんぼっちゃまくんのほう。じんぼっちゃまは、そんなに金持ちそうではなかったから(いやガッコのセンセイだから、そうびんぼうってことはなかったろうけど、ま、コドモの目線)。図工の先生で、じんぼっちゃまの本気の油絵はなんだかこわい絵だった。廊下に飾られている、はだかのひとたちを描いたやつはたぶん昭和の頃からあって、絵の具が燃えているみたいで、夜中に動くってうわさされていた。でもあんまり見ているとクラスの友だちに「エロ」って言われるのもあったから、まじまじ見たことはない。

 じんぼっちゃまは図工の授業じゃなくてもつねにエプロンで、四角いそれがぴったり身体に沿う感じ、うしろで細い紐がきゅっと結ばれてんのも、びんぼっちゃまくんの服っぽかった。いやもちろん服は着ていたよ、おしりは見たことない。

 ほそい身体と骨ばった手は恐竜みたいに見えた。絵の具や粘土でシミだらけのエプロンも、なんとなく、恐竜の色。なんとなく、ステゴサウルス。

 クラスのみんながねだると、「落ちぶれてすまん」ってあのせりふも言ってくれた。じんぼっちゃまはつねにニュートラルであんまり笑わないから、そういうせりふもニコリともせず言うんだけどさ。ああそうか、いつも目玉がしんとして静かなのも、恐竜とかトカゲみたいだったんだな。つめたくて黒い目。


 じんぼっちゃまは、おれが小六のときの担任だった。夏休みの宿題の「自画像」をいつまでも提出しないおれに、まいにちまいにち「描けたか」ってきくんだよ。「描けません」っておれも毎日言ってて、不毛なやりとりだよな。十二歳。反抗期のハジマリっていうかさ。

 二学期も終わるころになると、クラスの女子たちは年賀状を誰に出すとか出さないとかでさわいでいて、じんぼっちゃまになんて書く? ってハシャイでいた。じんぼっちゃまは変人だから人気あったんだ(おとなのくせに給食のグリンピースが食べられなくて、隣のクラスの先生に叱られていた)。そして何より、じんぼっちゃまは毎年生徒たちに、版画の年賀状をくれるんだ。干支の木版画。凝ってたよな。図工の先生だから、シュミとジツエキ的な感じだったんだろうけど。

 おれはその年ばあさんが死んでしまって喪中だった。だから年賀状は出せないよって親に言われていて、つまんなかった。じんぼっちゃまの版画、ほしかったからさ。辰年だったし、ぜったいかっこいいのくれるだろうなって。さんざん夏休みの宿題で反抗してたのに、ヘンかもしれないけど、うん、まあ。


 自画像を描きたくなかったのには、ふたつ理由があった。

 夏休み前にのぼり棒から落っこちておでこにでかいケガをしちゃって、その間抜けな傷を描きたくなかったのがひとつ。のぼり棒の上で友だちとケンカしてとっくみあいになるっていう、かなりアクロバティックなことをやらかした。落ちたとき、すごく痛かった。さいわい骨折はしなかったけど、おでこの傷はけっこうひどかった。包帯が取れたあとも長いことでかいばんそうこうを貼っていなきゃいけなくて、恥ずかしかった。いや、絵には傷を描かなきゃいいのかもしれなかったけど、小学生って律儀だから。

 もうひとつは、よくわかんないんだけどあのころ、おれはまばたきするたびに左目のまぶたが一重になったり二重になったりしてたんだ。コドモのころってそういうのがあるのかな。まぶたがやわらかいっていうか、顔つきもめまぐるしい成長と変化のさなかにあったのかもしれない。わざとまぶたをひっぱって二重にして遊んだよ、そういうのってクラスでもわりにウケがよくてね。二重のおれは本気モードって言ってた。ケンカするときは二重だった。なぐったり、けとばしたり、本気モードってけしかけられると、自分でも本気なんだって思うと、歯止めがきかなくなっちゃってたんだ。ええと、つまり、一重のおれと二重のおれ、どっちを描いたらいいかわかんなくて、それがふたつめの理由。ばかみたいだけどさ。

 そういう理由をじんぼっちゃまに説明したわけじゃない。ただ黙って、宿題の絵は描かないまま過ごしていた。描けませんって毎日言い続けて、二学期が終わろうとしていて、あるいはじんぼっちゃまにかまってほしかったのかもしれない。


 終業式の日、じんぼっちゃまに図工室に呼び出された。とうとう宿題のことで怒られるんだって思った。じんぼっちゃまってめったに怒らない先生で(のぼり棒事件のときも悲しそうな顔をしただけだった)、逆に、いやだからこそ、こわかった。今ここで描け、描くまで帰さないって言われるのかなって。クリスマスイブなのに帰りが遅くなったら母さんに叱られるなって、背中がぎゅうって寒くなった。どうしようって思いながら、なぜかステゴサウルスの背中のごつごつを思い出していた。

(つづく)

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