50話 クワガタ
姉御が、すまん、と謝りました。
「いいのですよ。それに、ここまで待ったので、娘が女性に生まれ変わるまで待てますよ。あと一息っぽいですからね」
東村の言葉に、大福ねずみが驚きの声を上げました。
「マジかよ。クワガタショック再び! かもしれないぞ~?」
言いながら、自分の言葉に吹き出しました。見かねたブチ白が、ベシッとネズミ頭を叩きます。
「確かにね。でも、男ですからねぇ。まぁ、人間なだけでも、かなりラッキーなのですけれどもね」
明らかに迷っている感じです。
「向こうは知ってんのか? 前世とか、お前のこととか」
姉御が、核心をつきました。
「いえ、覚えていないようです。クワガタ人生が長かったせいでしょうか」
姉御も大福ねずみも、ブチ黒白までも吹き出しました。
「お前、笑わそうとしてるだろ~!」
東村も笑いながら、はい、と答えます。
「大福君は、姉御さんがクワガタになったらどうします?」
無茶な質問に、大福ねずみはしばし考え込みました。
人語を解さぬ虫、黒光りする洗練されたフォルム、前方に突き出た二本の獰猛な角。それは、戦国武将の兜の飾りなどではなく、実際に武器として使用されるものだ。勇猛なるその姿には似つかわしくない、愛らしく丸い目の存在は、雑多な感情など持ち合わせぬが故の純粋さを現すのか。
「いやいやいや、ムリムリ。あのフォルムの姉御は、オイラの手に負えないよ。命がけだよ。孤高のムシキングだよ~。手を出そうものなら、一瞬で、どこかしらの先っちょ持っていかれるよ~」
皆、無言で頷きました。ブチ白が小声で、戦いたくにゃい、と体を震わせます。
姉御は大福ねずみを掴んで持ち上げると、自分の目の高さに持ち上げて、視線を合わせました。
「そん時は、虫相撲で稼がせてやるよ」
それを聞いた大福ねずみは、しっぽで姉御の鼻を攻撃しました。
「馬鹿、そんなのに出すかよ。命がけでも大事に飼うよ」
二人はしばし見つめ合いましたが、大福ねずみは気付きました。姉御が、自分のしっぽムチの先っちょを前歯バイトキャッチで防いでいたことを。
「いや~~、既に先っちょ、いかれかけてるぅ~~!!」
東村の語りで静かになった車内は、賑やかさを取り戻しました。
東村はほっとしていました。今まで、これほど詳しく、この話をしたことはありませんでした。自分の辛い事情を話したくなかったし、色々意見されるのも癪に障るだろうと考えて、家族にさえ内緒にして来たのです。
「いやー、二人が、素直で馬鹿でいい人で、会えて本当に良かった」
考えたことが、口から出てしまいます。
「……お前も十分、馬鹿だからな」
言い返した姉御は、意外そうな声を上げた東村にケサランパサランをぶつけながら、今までどれほど馬鹿な行いをしてきたか語って聞かせています。
大福ねずみは、姉御がクワガタになったら……と、密かに静かに、もう一度考えます。
言葉が通じない、自分を知らない、感情もない、生息地域も違う姉御に、自分が何が出来るのか、何を望んでも許されるのか考えます。いくら考えても、良い答えは浮かんできませんでした。
「東村は、辛いなぁ、すげーやつなのかもなぁ~」
大福ねずみの呟きは、車内の賑やかさにかき消されてしまいます。顔を上げると、楽しそうに姉御と話している東村が見えて、少しほっとしました。
「さあ、田舎特有の、何でも売っている巨大スーパーセンターで買い物をしてから、山道に入りますよ。姉御さんは、防寒着とブーツと手袋と帽子を買って下さい。山は寒いですからね」
東村が国道からそれ、巨大なスーパーらしきものの駐車場に車を滑り込ませました。
「は? 山って言っても、車から旅館の玄関までのプチ体験だろ?」
「いいから、スコップ買って! 小さいのでいいから~! 観光で必要だから~」
大福ねずみが、有無を言わさぬ大声を出しました。
「スコップ? 観光?」
「いいから! 冬山でも夏の仲間はどこかにいるから!」
「クワガタから離れろよ! 冬にクワガタ掘って探す観光なんかねぇよ!」
結局、良く分からないまま大福ねずみに押し切られ、スコップを購入させられました。
その割に、スーパーセンターでは大はしゃぎで、大荷物になってしまいました。車に積み込む段階で、本屋コーナーで買った雑誌の中にエロ本が混じっていることを確認した姉御は、大福ねずみと東村を殴りました。
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