51話 男の友情

 旅館の入り口には、『武美荘たけみそう』と彫られた古そうな木の看板がかかっていました。観光の温泉街からは離れた山奥の場所で、大人数は泊まれそうもない小ぢんまりとした佇まいです。

 しかし、木造と漆喰の昔ながらの建物は、手入れが行き届いているのか、綺麗で趣があるものでした。


「あらあら、お坊ちゃま、いらっしゃいませ。あら~可愛い女性と御一緒で。彼女さんかしら」

 玄関口で、人の好さそうな女将に早口トークを仕掛けられました。タケミ本家が経営しているだけあって、女将と東村は、かなり気安い関係のようです。

「そうです」

東村は否定しませんでした。明らかに面倒がっています。

「またまたー、一応言ってみただけですよ。お坊ちゃまに彼女? 御冗談ばっかりー」

女将も負けてはいませんでした。


「最近、業界では話題になっていますよ? ロック歌手のようなふざけた身なりのタケミが、最強最悪の神獣を従えて、鬼を一瞬で捻り殺したって」

 東村は黙りました。間違いなく、座敷グレイを守った時の東村と姉御のことです。

「殺してないぞ! ボコボコにしました」

神獣姉御は、口を滑らせました。大福ねずみが肩口で、黙っとけ、とたしなめます。

「あらあら、うふふ……神獣は人型だったそうですね」

女将が楽しそうに、姉御へ視線を這わせました。


「部屋はいつもの離れですね? 食事は一時間後で。先に温泉に入りますから」

東村は、頷く女将の横を、姉御の背中をグイグイ押しながら通過しました。


「ぎにゃ!」


 背後から猫の鳴き声がして振り返ると、ブチ白が女将に捕まっていました。拷問抜きで情報をぶちまけるであろう、ナイスチョイスな捕虜でした。全員、尊い犠牲は見なかったことにして、迷わず部屋へ向かいました。

 捕虜が少々気になった大福ねずみは、慣れた様子で廊下を進む東村に声を掛けました。


「タケミの一族には、姉御が鬼と陰陽師を退治したことは、秘密にした方がいいの~?」

「まぁ、特別内緒にすることでもないのですが……気難しい父に、色々聞かれるのは面倒なので……むしろ、父と会話をしたくないので……」

「そ、そう……」

複雑そうな家庭の事情が飛び出しそうになったので、大福ねずみと姉御は、話を切り上げました。


 部屋でくつろぐのもほどほどに、早速、お目当ての温泉へ向かいます。

「姉御さんと、入る」

ブチ黒は主人を尊重せずに、女湯を所望しました。

「えぇ~、折角友達と温泉に来たのに、一人で入浴するのは嫌です。寂しいじゃないですか。私も姉御さんと一緒に入りますよ」

主人は大人げなくごねました。

「姉御と一緒で良いわけねぇだろ! あぁ~分かったよ、もう。オイラが東村と男湯に入るよ~」

大福ねずみは、案外大人でした。


 隣の女湯からは、楽し気な声が聞こえてきます。肥満気味の猫と神獣姉御のものなので、男二人の心は踊りませんでした。

 おけ湯で温泉をプカプカ浮かぶ大福ねずみは、岩で出来た露天風呂で体を延ばす東村を見て、目を細めました。


「なぁ、オイラ……東村のクワガタ話をずっと考えてたんだけどさ~。クワガタの姉御を飼うか、自然の中に放してあげるのか。どっちが正解なのかな~」

「それは……難しい質問ですね」

東村は、言葉に詰まりました。それは、自分でも何度も考えてきたことだったからです。


「だよな~。でもさ、これが正解だって言われても、オイラはその通りには出来ないと思うんだよね。結局は、捕まえたり放したり繰り返しちゃったりしてさ。クワガタには悪いんだけどね~」

大福ねずみは目を閉じて、女湯から聞こえる姉御の声を聞くような素振りを見せてから続けます。

「でも、オイラのせいで姉御が弱ったり死んじゃったりしたら、オイラはもう関わらないようにしようと決めると思う。思うけど……やっぱり探しに行っちゃうかな~。東村はすげ~な。ずっとそんなことやってんだろ」


 東村は、ざぶりと、お湯に顔を付けました。しばらくすると顔を上げて、目元を腕で拭ってから話し始めます。


「……そうですね、そんな感じです。しかし、正直に言えば、今ではもう彼女をどう思っているのか、どう思っていたのか、分からないのです。感情までは覚えていられなかったということなのか、もともと何の感情も抱きはしなかったのか……。

 ただ、最後に見た顔がとても美しかった気がして、もう一度見てみたいと思ってしまうのです。前世とは違う顔だとしても、同じ魂の笑顔ならば、私にとっては、誰よりも美しく感じられるのじゃないかと思うのです。

 しかし同時に…この約束は、彼女にとっては迷惑な呪いのようなものになっているのじゃないかと恐れてもいます。忘れているのなら、私ももう忘れて、解放してあげるべきなのじゃないかと」


東村は涙ぐんでいました。


「……あっそ」

 大福ねずみは、軽く返しました。そしてすぐに、頭をお湯に突っ込んで、前足で目をゴシゴシします。意地っ張りな男同士に、涙は無用なのでした。そんな様子を見て、東村は少し笑いました。そして、大福ねずみの入った桶を、お湯の中へ沈めました。

「ぼぶぶぶぶぶぶぶっっ」

手足をバタつかせて水面に浮かび出た大福ねずみは、バタバタ小刻みに前進しました。


「ナイススイム!!!!」


東村が叫ぶと、女湯から姉御の声が響いて来ます。

「おーい、大福が泳いだのかー!?」

「五十センチメートル程いけましたよ!」

「ナイスコーチ!」

姉御に褒められました。


 しんみりからドタバタに移行した温泉から戻ると、部屋には夕飯の御馳走が並んでいました。箸を手にした瞬間、サッと襖が開きます。


「見捨てたにゃ、まぐろ、よこせ」

解放された捕虜のブチ白が、目をむいて覗き込んでいました。


 姉御と東村は、黙って刺身のマグロを献上したのでした。

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