第6話 秘密とされる時間

「んー、無理ー。」

 夜中に全力で家を飛び出す大口を見て、かなちゃんのことはとりあえずそっとしておこうと心に決めたはいいが、眠れない。目を閉じても眠れず、何度も時間を確認するが3分ほどしか進んでいない状況を幾度となく経験し、時刻は午前2時37分。起きるにはとんでもない時間だった。おまけに明日の講義は10時からなのでゆっくりしたい。

 こういうときだけ。

 スマホをベッドサイドに固定し、見慣れた動画サイトにログインする。そこはちょっと変態なやつらが夜な夜な集まるサイトで、オレはそこに動画を投稿している。生配信。基本的には自慰行為の動画で、それなりの視聴数がとれる。心配される情報漏洩については信じられないほど管理されている。自分もそれなりに知識があるが、こういったときにフィルターをかけてくれる仲間がいるのだ。

 配信はカメラをオンにした状態で行う。自分がちらりと写る状況で準備をし、その間に集客をみる。動画の視聴数は正直だ、それがそのまま見ていてくれる数なのだから。黒いスウェットズボンを下着と一緒に脱ぎ、自慰行為をする。視聴数の下にはコメントが出る。それを確認して言葉を返したり要望に応えたりすることもある。

「すっごい興奮する…っ!」

 いつからかオレはこの配信じゃないと溜まったものを抜くことすらできなくなっていた。完全な依存、川村の浮気論や大口の恋愛下手よりよっぽど重症だ。

 生配信は合計30分ほどで終わった。その疲れに身を任せ、布団に潜った。手には自分のそれの感覚が残っている。


 翌朝目が覚めると時計は7時56分を指していて、キッチンからはコーヒーのにおいがする。もしかしたら誰か帰って来て朝飯を食べているのかもしれない。たしか冷蔵庫にピーナッツバターがあったからコーヒーをもらってそれを食べよう。

 下着のみの着用だったのでスウェットを探してとりあえずキッチンへ行く。天気がよくて心地いい朝だ。

「あれ?全然爽やかじゃない?」

 キッチンには大口と川村がそれぞれ座っていて、オレの席にはかなちゃんが座っていた。その重たい空気は台風で帰宅手段がなくなったお疲れのサラリーマン並みで、それが3人分となると尋常なものではなかった。

「これは何があったか聞いてもいいのかな。」

 聞かなくても大方話はわかる。おそらくかなちゃんと川村は酔った勢いでベッドイン、醒めてやばいと思った川村は大口に電話、ショックを受けてかなちゃんとともに帰って来た、ってところかな。

 そもそも浮気ってことで関係を持ってるんだから、セックスの1回や2回を想定できなかったのかね、そしてその上で許可したんじゃないのかねおふたりさん。いろいろ言ってやりたいのは山々だがここにはかなちゃんもいる、傷つけてしまわないように細心の注意を払わなくては。

「ところでかなちゃん、お仕事は平気?」

「あ、はい。今日は有給使っちゃいます。」

 ほう、こういうところは大胆で感心する。大口には勿体ない物件だ。

「で、昨日はどうなったんだ?」

 おや、まだ本題にはたどり着いていなかったのか。コーヒーをポットから注いで飲んでみたが話す気配はない。こうやって長時間過ごしていたのか。

「川村、全部話さなくてもいいから、言ってみて。」

 どきっとした表情で、ゆっくりゆっくり口元の力を抜いていく。

「ぼくは、正直昨日のことを覚えてないんだ。楽しくお酒を飲んでたし、酔っぱらってたことは認める、その中で記憶は途切れて。」

 気がついたときには事後だったのか?

 というか男の方がその調子でどうする、困るのはかなちゃんのほうだろうが。

「かな、答えろ、お前は酔ってたのか?やった記憶はあるのか?答えろ。」

 ばかな大口はがんがんかなちゃんを問い詰める。まさに鬼の形相で威圧をしまくっている。何事も制圧すればいいというものではない、こういうときだからこそ彼氏であるお前は誰よりもかなちゃんに近い存在でなくてはならないというのに。

「こんなときまで恋愛下手発揮してる場合じゃないだろ。」

「え?」

 ん?あ、つい!心の声を漏らしてしまった。こうなったらもう取り繕っている場合ではない、二人にいってしまおう、それでささやかなルームシェアが終わってしまったとしたって。大きく息を吸って全て吐き出し、もう一度呼吸を始める。

「いいか、よく聞け、そもそもかなちゃんはふたりの密約?に巻き込まれただけなのになんでこんな問い詰められなきゃだめなんだよ。浮気がしたいからって頼むのも、ましてやそれを許すなんてもってのほかだ。」

 どうする、今この状況の最善は。

「とにかく、かなちゃんはしばらく預かるから!」

「ええ!」

 かなちゃんの腕を引いて全力で家を出る。玄関でおきっぱなしの財布をつかむとパンプスを履こうとしてもたついたかなちゃんは少し踵を踏んで玄関を出た。すぐにタクシーを拾って、一番近い洋服店を要求する。走り出したタクシーを追うように大口が彼女の名を叫ぶが届くことはない。かなちゃんは黙って下を向いていた。

 あ、かなちゃんかばんもってないじゃん。

 タクシーはその後5分ほど走って駐車場でオレたちをおろした。とりあえずざっと洋服を買って着替える。トイレで顔を洗って髪を整える。出てくると彼女はまるで誤って殺人事件でも起こしてしまった犯人のように真っ青で直立不動だった。

「大口のこと、そんなに大事なの?」

 頷く速さは近年最速で、その速さで足が動いたら間違いなく世界新記録を達成して名誉を称えられると確信するほどだった。それでわかる、彼女もいつのまにか大口に引っ張られて恋愛下手になったいたのだと。その末に今日、こんなことになってしまったのだと。

「大口とのこと、川村とのこと、話せるだけでいいから話してくれる?」

 かなちゃんの腕を引いて路地裏を抜け、大手ハンバーガー店に入るといつもの癖でまた高カロリーを摂取するはめになってしまった。

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