第4話 これは浮気に入りますか?
こんばんは川村くん
遅い時間にごめんなさい
デートなんですけど、いきたい場所をリクエストしてもいいですか?
出来ればテーマパークに行きたいです
都合のいい日を教えてくださいね、おやすみなさい
「おおおっ!」
連絡先をもらって数時間後、日付の変わる頃にそれはやってきた。名前で呼んでほしいという希望から、かなちゃんと呼ぶことにした。どうやら彼女は明るく礼儀正しい女性のようだ。
こんばんは、まだ起きてました
ぼくは土曜日があいてます
テーマパーク、たのしみにしてます
ふふふ、これでぼくは恋愛経験値を蓄積できる。本当にいい友達をもった、そしてその彼女にも感謝だ。
このときのぼくは確実に舞い上がっていて、体験したこともないような幸せが待っているんだとばかり思っていた。まさかあんなことになろうとはシャーペンの芯ほども思っていなかった。
「川村くん。」
「わっ、かなちゃん!」
キャンパスの前で呼び止めたのは昨夜連絡を取り合った彼女だった。アパレル系の会社でOLをしているせいか、今どきなおしゃれな格好をしていた。ネイビーのタイトスカートに入ったスリットからちらちら覗く太ももに視線がいってしまう。結局ぼくも男ってことか、少し安心する。
「どうしたの?大口?」
ビジューのついたパンプスを見つめているようで、きっと見ていないと確信できるほど、彼女の表情は曇っていた。
「これから、ひま?」
なんとなくだけど彼女をこのままひとりにしておいてはいけない気がした。おそらく彼女自身それを理解している。
少し離れたコンビニまで早足で進むと、水色の軽自動車が停められていた。素早く鍵を開けると運転席に手をかけた。焦って車内で足をぶつけそうになる。かなちゃんはなにも話さない。
「好き嫌い、ある?」
控えめに開いたその唇はパールの入ったローズピンクの口紅に彩られていて、彼女の魅力を最大限に引き出していた。
車窓からの景色はもう街に夕食時を伝えていて、買い物袋を持った人や自転車に乗った学生が多かった。本来ならぼくらもそうやって日常を過ごすはずだった一日の終わり、どこへむかうかすら告げずに走り出した彼女はぼくのぼくの気持ちなんてどこ吹く風なのだろう。
昨日の奥ゆかしさはいったいどこへ、と言ってしまいたくなるほどだった。初めての連絡からあまりに横暴な態度を見せるのもスマートではないが、初めてふたりで出掛けることに際しても同じこと、これほど急な行動は最良ではないはずだ。
車は国道をどんどん進み、免許がないため普段は電車ばかりのぼくにはどの辺りなのかさえよく分からない。辛うじて見覚えのある建物を見つけることで大体の位置を把握していた。
彼女がようやく車を停めたとき、すでに三十分はたっていたであろう。街灯の少ない道路沿いに小さな店が一軒あった。店の規模のわりに駐車場は広く、ぼんやりとオレンジのライトアップがされている看板には『Bar&restaurant 渚』と書かれていた。
当たり前のように扉を開けるとカウンターの店員に視線を向けテラス席へと進んだ。カウンター席とテラス席を合わせて10席ちょっとだが、店の外観の割には大きく感じる。並べられている銘柄は知らないものばかりで、ボトルからしてワインだな、と思う程度だった。
席につくとじっと景色を眺め始めた。かなちゃんの行動は不思議でならないが、声をかけてはいけないような気がした。それは例えるなら、転んでけがをし泣くのを必死に我慢する女の子を前にしてその意思を尊重するような感じだ。
少しするときれいな色のカクテルが彼女のまえに置かれた。先程の店員で、ぼくにもに何にするか尋ねてきた。ぼくはあまり酒を飲まない。しかしここでそういって突っぱねるわけにもいかず、ハイボールを頼んだ。
「すてきなところでしょ。」
ちらりともこちらを見ず、カクテルに手をかけた。そうだね、と返す。本当は車はどうするかとか、どうやって帰る気なのとか、言いたいことはたくさんあった、それこそ、大口と何かあった、とか。
久しぶりに飲んだハイボールが口内を支配する。ハイボールなんていつぶりだろうか。普段は節約のためにあまり飲まないし、飲み会にいってもビールをジョッキ一杯で終わりだ。はっと思いだしてみると所持金は三千円のはずだ、そう飲んでもいられない。
「ここね、海がないのに渚っていうの。さっきのマスターの娘さんのお店なんだって、娘さんは結婚して海外にいるみたいで。」
つむぎつむぎ、ほどけないようかたくなりすぎないよう、選び抜いた言葉を少ない吐息で会話へしていく。うん、と相づちを打つと頭をもたげた。
「私、大口くんとだめかもしれない。」
テーブルの上で組まれた腕にぴったりとおでこをつけて、垂れた髪の隙間から薄い耳たぶを覗かせた。白い小ぶりのパールピアスは苦しそうに張り付いている。ハイボールに手をかけると、もうほとんどなくなっていた。
「かなちゃん、なにか食べる?もう一杯飲もうかと思うんだけど。」
なるべく何事もないように、でもけして煽らないよう、視線で様子をうかがった。小さく、いつもの、と言うので、マスターを呼んでウィスキーのロックと彼女のいつものを頼んだ。目元の優しいマスターは頷いて承知いたしましたと言った。腰の低い人だ、でもそれ以上にとてもこういった仕事に慣れている、むいていると思った。
その後登場した彼女の『いつもの』は、食べきれるのか不安になるようなステーキだった。がばっと顔をあげ、ナイフとホークでむしゃむしゃと食べる。あんぐりと口があいたままになったあと、ぼくの元へウィスキーのロックとプリンが来た。頼んでないですが、と言おうとして耳打ちされた、彼女はあれのあと甘いのが食べたいと言って決まってプリンなんです。なんだか面白くなって、マスターと少し笑った。
そのあとかなちゃんはマスターの言葉通りの行動をとって、うまい!と一言放った。その頃には満足げに笑っていて、お互いに何杯目かのアルコールに手をかけていた。話の内容はくだらないことがほとんどで、でも大半はこのお店のことだったような気がする。彼女からは甘いカクテルのにおいがしたし、ぼくはきっと酒臭かったと思う。
気がつくとその宴は終わりを告げていて、普段は感じない重みを腕に感じた。感触はベッド、枕元にケータイがあった、時刻は午前2時。飲みすぎたせいか少し頭がいたい。たしか冷蔵庫にお茶や水がストックしてあったはずだ、眠たい目を擦ったが起き上がれない。重さの原因を確認しようと目を凝らすと。
「………かなちゃん?」
右腕に頭をのせていたのはかなちゃんだった。しかも下着姿で、すやすやと眠っている。よく見ると自分も下着だけだ。
まさか…?
暗闇の先は見覚えのない部屋で、見る限り明らかに彼女の部屋ではなさそうである。となるとホテル?あのあとどうなった?
23歳の初夏、彼女いない歴=年齢のまま、女性と夜を過ごしてしまった。
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