第2話 失言は失敗の元
「大口、頼む、お前しかいないんだ!」
大学入学後に知り合った川村の第一印象は、真面目なバカって感じだった。
「なに言ってんだお前。」
浮気したい願望を聞いたとき、それは驚いた。変なやつだと思った。でもそれ以上に面白かった、内に秘めておけばよい理解されない理想をわざわざ宣言してくるなんて。でもそれとこれとは話が別だ。
「バカもほどほどにしておけ。そう言われておれがいいですよっていう人間だと思ってるのか?」
手元にあったノートでぱしんと軽く頭を叩く。ぐっ、と刺されたような声を出してうつむいたまま、そうだよな、と呟いた。
おそらく川村は恋愛をうまくやれるタイプじゃない。素直で嘘がつけない性格が裏目に出てる。そのくせ浮気がしたいなんて、無理な願望だ。しかしもたげた頭をあげる気配はなく、じっとアイスコーヒーを見つめる川村が、なんだかかわいそうになってきた。
「わかった川村、とりあえず話してみるから。」
ぱっと上がった川村の瞳は輝きに満ちていて、それを見たときにやっちまったと思った。
「大口ー!今日はお前の好きな激辛麻婆豆腐作ってやるからな!」
言わずとも今日は川村の食事当番だ、作ってくれ。
いそいそと台所で材料を確認し始めたから本気でつくるつもりなのだろう。
「さて、どうするかな。」
とりあえず本人にあって、話す必要がある。
「で、川村くんと浮気してこいって?」
「まぁ、そういうことになる。」
丸い目がじっと責めるように刺さる。いや、確実に責めているし刺している。吐き出された大きなため息からバカなの?と伝わってくる。
「大口くんが川村くんのこと大好きなのも、私のことをいろんな意味で信頼してくれてるのはよくわかった、でも。」
でもこれは確実に間違っている、わかってる。
いろんな意味で信頼してくれてる、というところが心をもだつかせる。わかってくれ、おれは川村に完全に好き勝手させるつもりはない。
「でも、かなが本気で嫌だっていうならやめる。」
かなが嫌だっていうのに無理やり続けるわけにはいかない。負担がかかるのはかな自身だ。
「いい、やる。」
伏し目がちに言い切ったかなと視線が交わらない。おれもコーヒーから目が離せない。
でも次はないから、と言って伝票をつまんだ。あんたには払わせないと伝票をつまんだ右手を数回振った。後ろ姿から気迫負けしそうなほど男前だった。
かなと付き合い始めたのは去年の夏、知り合ってから2年ほどたったときだった。もともとかなはバスケサークルのマネージャーをしていて、おれは友人の応援に来ていた。なんとなく話すようになり、遊ぶようになり、気が付けば惹かれていた。特別可愛い子ではないかながあんなにも目を引くのは、おれにはないなにかを持っている気がしたからだと思う。
付き合ったはいいものの、おれは初めての彼女な訳でとにかく勝手がわからなかった。デートは王道な映画館かテーマパーク、どのタイミングで手を繋いでいいのかさえわからなくて、男前なかなに何度も助けられた。かなはいつだって歯を見せて笑って、気にしすぎと言った。
かなと付き合って半年くらい経ったあたりから、おれたちは何となくずれるようになった。相変わらずデートは映画館かテーマパーク、かなが歯を見せる回数は減った。大学院に進んだおれと就職したかなとの時間感覚のずれでさらに噛み合わなくなった。最近のデートはもっぱらファミレスで昼食だった。
「ありがとうございました!」
ファミレスの外は活気に溢れていた。はしゃぐ女子高生、買い物袋を下げたおばさん、点滅する信号、忙しそうに電話するセールスマン、きゃんきゃん鳴く犬、バイクにまたがるピザ屋。そのすべての不安を自分が背負ってるみたいに肩が重い。
「むずかしいなぁ。」
おれに恋愛は難しいようだ。
とりあえず自宅(というよりは我ら宅といった感じだが)に戻るしかない。課題もやりすすめねばならない。
「あれ、よくみなくとも大口かな?」
いかにも明るい声がかかった。もうすっかり聞きなれたこの声は沢田だ。
「よお、今から帰りか?晩飯は麻婆豆腐だってよ。」
おお、とあまり興味の無さそうな声をあげた沢田はどこかかなと似ている。顔立ちとかではなく、雰囲気が。
「かなちゃんと会ってたの?いい加減ファミレスデートはやめなって。」
「見てたのかよ悪趣味だな。」
見たくて見た訳じゃないんだけど、と沢田は口を尖らせた。
沢田はとてもモテる。川村はなんで沢田がモテるんだと叫んでいるが、おれにはモテて当たり前のように思える。沢田は犬っぽい。人懐こく、誉め上手だ。色素の薄い髪がその雰囲気を助長させる。勉強も運動もそこそこなところがいい、悪態をつかれないし進級にも響かない。そういうところが彼のモテる要因なのだ。
「じゃぁどういうデートしたらいいのか教えてくれよ。」
えー、と笑いながら言い、自販機でコーラを買った。ん、とコーラを差し出し自宅へと歩き進める。
「かなちゃんの行きたいところにつれてってあげればいいじゃん。そうじゃなきゃ、大口の行きたいところ。」
これ以上はなんとも言えないなー、とコーラを一気に半分ほど飲んだ。一緒に暮らし始めてわかったことだが、沢田は高カロリーなものが好きだ。コーラとかポテチとかマックとか、アメリカンな食生活を送っている。そのわりに太らないのは体質のせいだろうか。
そんなことを考えるほど、このときの沢田の言葉は簡単だった。当たり前だと思う反面、そんな風になるなら苦労しないと毒づきそうなくらいだった。
ヴヴヴヴ、とポケットのなかで振動を感じる。かなからだった。川村くんの連絡先教えて、とだけあったので連絡先を送信した。そのあとは連絡なし。いつも通りと確認して、またポケットのなかにしまった。
ぼそりと沢田がなにか呟いた気がしたが、コーラをこぼさずに飲む方が今は先決だった。
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