奥さん、ぼくと浮気しませんか?
わたなべひとひら
第1話 理想と現実
こういうことを言うと実に軽蔑されるものだが、ぼくは浮気をしてみたい。
「奥さん、ぼくと浮気しませんか?」
おそらくフランクに言ったらだめだ、なるべく紳士な感じで安心させることが一番大切なことだ、恋愛において信頼関係は欠かせない。
「あーっ、鏡のむこうになら言えるのに!」
23歳、彼女いない歴=年齢、もちろんファーストキスもまだな純情青年。大学院生となりまだ一応学生を名乗れるうちにこの由々しき事態を脱却、つまりは恋人をつくりたいのだ。しかし恋人をつくるのはあくまで浮気をするということが前提にあるのだが、そんなことを受け入れてくれるほど世間は甘くない。
「うるっせえ!おっ前は毎日毎日飽きもせず!さっさと浮気したい症候群の治療を受けてこい!」
「そんな病気ありませんー!彼女がいる大口くんはいい子に聞いててくださーい。」
ぼくは家賃負担を軽減するため、同じキャンパスの友人とルームシェアを始めた。なんだかんだ3ヶ月ほど経ち、それなりに仲良くやっていると思う。
口うるさい大口は大学入学後に知り合った。ぼくが浮気したいという願望を持っていることを打ち明けてみても面白がって友人でいる不思議な男だ。こいつも高校までは彼女がいないウブな野郎だったが、いわゆる大学デビューというやつに成功し今では彼女と仲睦まじく過ごしている。羨ましいかぎりだ。
本当はもう一人、沢田という中学からの腐れ縁がいる。あいつは女ったらしで取っ替え引っ替えしているが、なぜか恨まれることもなく穏便に今日まで生活してきている。顔面のつくりはいい方だが、華があるわけではない。頭脳明晰、スポーツ万能、みたいな特典もついていないがモテる。これは腐れ縁としての分析だが、根が悪いやつではないと滲んでいるのだと思う。
「川村はさー、そういう練習する前に女子の前で上がらない練習をすべきだと思う。」
ぺらぺらと教科書をめくりながら冷静なことをいう大口のこういうところがその子は気に入ったんだろうか、的確すぎてものすごく刺さる。
もともとぼくは父子家庭で育った。父は公務員でとくに不自由なく育った。近所に住む祖父母がよく面倒を見てくれたし、忙しい父に代わって色々な場所に連れていってくれた。寂しくないように、辛くないように、家族は気をつかい、愛情を注いだ。それがわからないほど馬鹿ではなかった。
どこでなにをどう間違えたのか、いつしかぼくは浮気に興味を持ち始めた。それが一層強まったのは中学三年、沢田の家で初めてお宝本を見つけたときだ。見つけたというよりあった、といった方が正しい。沢田は片付けが苦手で、なんでもその辺に放置状態だった。なにも言わなかったのに沢田は勝手に見ていいからと言って部屋を出た。それに甘えて中を開くと、『浮気現場特集!団地の若妻』と書かれていた。裸体にエプロンのみを着用していたり、バスタオルを脱ぎかけながら上目使いをしたりする女性の写真が並んでいた。衝撃的だった。もちろんこういった雑誌が存在することは認知していた。でも購入することはおろか、手に取ることさえしたことがなかった。
しばらくするとコーラといつくかのお菓子をもった沢田が戻ってきた。そのときの表情は今でもよく覚えている。
「持ってく?うち、まだあるから。」
その後、ぼくがそのお宝本を彼に返した記憶はない。沢田も返せとは言ってこなかった。ぼくはそれのすきなところだけを幾度となく見返した。暗記してしまうんじゃないかというほどに。
「上がっちゃうっていうか、なに話していいか分からないんだよ免疫無さすぎて。」
「それを一般的に上がってるっていうんだよ。」
大口はやはりこちらを見ずに言った。それならなにを話すべきか教えてくれ、とは言うのはさすがに無理だった。
23歳、未だ恋愛経験なし。出会いを求めてもがく方法さえ知らない。もし理想の天国があるなら、それは浮気し放題の世界かもしれない。いや、それなら神の存在も否定できなくなる。神は浮気を良しといってくれるだろうか。
「そんなに浮気したいなら、お前が浮気相手になればいいだろうが。」
「え?」
ぼくが浮気相手になる?
「今から彼女つくって更に浮気相手探すなんて無理なんだろ?だったらすでに彼氏がいる女の子の浮気相手になればいいんじゃね?」
そうか、なるほど。今までぼくはつい自分を主軸として考えてきていたけれど、ぼく自身が浮気相手として女の子と付き合えば浮気もできるし手間も省ける。
「大口!おまえ天才だったんだな!」
がしっと肩を掴んで敬意を表した。これはぼくの歴史上最も優秀な意見かもしれない。
「それなら今すぐ捜してくる!」
手近にあったジャケットを掴んで玄関まで走る。騒音で真下の住人に文句を言われるかもしれないが、今はじっとしていられない。後ろから大口がなにやら言っているが、そんなことより行動だ。スニーカーを履くときにもたつく。かかとを潰すのが嫌で引っ掻けて出ることはしない。
「夕飯までには帰るから!」
スマホとジャケットと小銭だけを持って部屋を飛び出した。
「ただいまー。」
「うわ、もう帰ってきたか。だから止めたのに、本っ当に話聞かねぇなぁ。」
外出時間27分。意気込んで出たはいいものの、どの子が彼氏がいるのかなんてわからなかった。今時の既婚者だと、仕事中は指輪をはずす、なんて人もいる。指輪の有無だけではなんの判断もできないのだ。
「大口、やっぱりお前は馬鹿野郎だ。女の子の前で上がるぼくがいきなり浮気しようなんて言えるわけないじゃないか。」
「だから止めたってさっき言っただろ、聞いてなかったのはお前だろまったく。」
呆れ顔の大口はどんよりとした顔をしているであろうぼくにアイスコーヒーとチョコレートを差し出した。こういう優しいギャップに女子は痺れたのか、ビビビっときたのか。
「そりゃぁ見ず知らずのやつらの恋愛事情なんてわかんねぇだろ。知り合いとかから探すんだよ。」
しかし知り合いだとぼくのこの恋愛願望を理解してくれない場合が多い。それなのに巨大なリスクを払えない。できたらこの考えを受け入れてくれる人がいい。知り合いでこの願望を知ってくれていて、尚且つ彼女がいるのは。
「大口!」
そうだ、ぼくのこの恋愛願望を面白がってくれていて、彼女がいて、それでいて身近な人間と言えばもう大口しかいない。
「大口、頼む、お前の彼女で浮気させてくれ!」
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