少女は空から落ちてくる(3)
蠅がたかる肉を並べた露店。鉄柱にビニールを被せただけのみすぼらしい住居。まるで誰かに圧し潰されたような狭く複雑な路地。喧々と吠える野犬、誰かの怒号、気だるげな人々がまばらに歩く。その景色全てが砂埃の膜を一枚被っていてるようで、色彩は褪せている。
エンキが街中へ飛び出せば、外縁に堂々並んだ倉庫街からはまるで想像できないいつも通りのエイリスだった。ウンザリさせられる。
けれど、街中がこんな有様なのはその堂々外縁に並んだ倉庫街のせいである。ユダの土手っ腹が開かないと分かり、すぐにエイリスは交易都市へと変貌した。つまり外縁に並ぶ倉庫は黎明期に建てられたモノ。そのせいで版図を広げることを制限されたエイリスは、街の発展と共に人も建物もただ密度が上昇していく。
道の全てが裏通りの様相を呈しているこの街。人々はガラが悪く、このアルル=ヒュラスという温室育ちがエンキの背中に隠れるのも頷ける。
「手でも繋ごうか? お嬢様?」
そう茶化して手を差し出す。けれどアルルは可愛げもなく、手を弾いた。
「ってえな。デートだろ? デエェト!」
「”地を這う人間”は最初のデートで手を繋ぐのっ!? 本っ当に下品!」
街の気迫にビビりながらも、アルルはそう言った。手ェ繋ぐくらいで、と思ったが、その価値観の差こそが”スカイ・ノア”の人間だということを分からせてくる。
「はっ! あんまり離れるんじゃあねえぞ」
「……分かってるっ!」
口先は強がっているものの、背中は丸くなり、エンキの背中に張り付かんばかり。
「どんだけ温室育ちなんだよ」
エンキは小声でそう言い、鼻を鳴らした。
「よお、エンキ! 朝からポンコツがポンコツ走らせてるって聞いたけど、女買いに行ったのかよ! お前の初めての女は俺が紹介したかったけどなあ! これでお前も一端の男だな!」
雑音が支配する街の中で、一際デカい声がエンキの名を呼ぶ。その声の主を認めると、エンキは舌打ちし、怒鳴りつけた。
「ちっ! うるせー! ボフミール!」
「ヒュー、若いっていいねえ。元気だねえ。けどエンキよお、その元気は後ろの女で発散しろよな?」
エンキを小馬鹿にするその男、ボフミールはケラケラと笑った。
歳は三十手前。浅黒い肌にドレッドヘアー、タンクトップに品のない装飾品をジャラジャラと着けている。
エイリス一の情報屋を自称する彼は、エンキノ苦手なヤツの一人だった。ボフミールの流した情報で、何度も危ない目にあっている。ボフミールからの情報で窮地を逃れたことがあるのも確かだが……。
「エイリスの女……じゃねえなあ。けど、上モンだ。中々高かったんじゃねえか?」
アルルは更に背中を丸め、フードを目深に被り直す。見える口元からは不快感がにじみ出ている。彼女を品定めするようにジロジロと見るボフミールは確かに気色が悪い。けれど、その三十路前の男はそんなアルルを見て手を打って喜んだ。
「おお! ウブいねえ。もしかして初モンだったのか? エンキ、ヤり終ったら俺に回してくれよ」
「コイツは売女じゃねえぞ、ボフミール」
「おいおい、マジかよ~。そりゃ残念。……だが、いずれそうなるさ。地上にいりゃあな。つーか、その女見てたらヤりたくなってきた。じゃな、エンキ」
そう吐き捨てると、ボフミールは足早に立ちんぼの女に声を掛けに行った。女に金を渡すとキスをする。そして、路地の暗がりへと消えていった。
「……地を這う
握った拳を震わせるアルルは小さくそう喚く。
「な! ボフミールの女好きは異常だ。あんな奴と一緒にすんじゃねえ」
「同じよっ! あんただって最初、私に暴力振るってきたじゃないっ!」
「それはお前が脅してきたから……」
「それでもっ! 実際に暴力振るったのはあなたでしょっ!?」
とてつもない理不尽な言い分。アルルという温室育ちにとっては、確かに刺激が強いものだったのかもしれない。
けれど、性、暴力、果てはドラッグに至るまで、この街にはありふれている。エンキにとっては隣人なのだ。それをここまで詰られるのは、愉快でなかった。しかし、それを表情や言動に出すほどエンキは愚かではない。
「はいはい、俺はお前の言うところの下品で卑怯な”地を這う
他と少し雰囲気の違う商店の前、エンキは立ち止まってそう言った。彼の後ろを歩いていたアルルもつられて足を止める。その店頭に並ぶのは子供の写真、そしてその下には値段が書いてある。
「だからこっから先、”地を這う
冷えた口調でそう言ったエンキにアルルはただならぬ気配を感じたらしく、ごくりと唾を飲み込む。それは口を開けば愚痴しか言わないアルルを黙らせるため、というのが半分。もう半分は本音だった。
「ちょ、ちょっと! なんなの、ここ?」
「ここか? ココはエイリスが誇る最高のクズ、奴隷商人”スラバル”の店」
「奴隷商人……!? 私たちは旅の準備をしにきたハズでしょっ!?」
「俺は諸事情あって、ココ以外の商店じゃパン一斤さえ買えやしねぇんだ。唯一使えるのが、スラバルの店。ぼったくりもいいところだが、まあ仕方ねえ。唯一商売できるスラバルが奴隷商人つっても色んな所に顔が利いて、品揃え良いのは不幸中の幸いだな」
エンキは心底嫌そうな表情をしてから、覚悟を決めたように声を張り上げた。
「おい、ジジイ! 話がある出てこい!」
「なんじゃなんじゃ、ゴミがワシの店の前で喋っとる」
ドスの効いた声と共に店の奥からぬっと顔を出したその爺を見て、アルルがぐっと硬直するのが分かる。。
けれど、それも仕方ないことだった。その爺、スラバルは”地を這う
まず右手と右足を失っている。右膝上で生身は終わっていて、そこから木製の棒が一本伸びている。ために、鳴らす足音は不格好。右腕は肩から無く、古傷から辛うじてその先があったことを想像できる。爺はそれを逆に見せつけるようにトランクスとタンクトップを着ているのみ。右目は義眼らしく、黒目は明後日の方を向いていた。けれど、残された左目は鈍くぎらついていて、弱った雰囲気は一切ない。むしろ、一瞬でも気を抜けばこちらが丸のみにされる。スラバルはまさしくエイリスという街が生んだ蛇だった。
「スラバル、話がしたい」
「フン! 当たり前じゃ。用もないのに来たらドつくぞ」
「”親”の言うセリフじゃねえな」
「お前のような子鼠、育てた覚えはないわい」
奴隷商人スラバル。彼はこのエイリスで捨て子を拾い、七歳まで育て、街のヤクザ一家や大商家に売ることを生業としていた。その傍らで問屋まがいのことをしている。
かくいうエンキもスラバルの下で七歳まで育てられた。けれど、エンキは売られずに”盗まれた”。
だからこそ、このような七面倒な関係になってる。
「その女……買ったんか?」
スラバルはエンキの後ろに隠れるアルルを顎で指す。けれど、アルルの反応はボフミールの時と全く違う。スラバルの視線が飛んできただけで彼女はビビって動けない、僅かに震えるのみ。
「ちげえよ、ジジイ」
「フン! そうだったら縊り殺しとるところだったわい。女買っとる余裕があったら、トレーラーの金を返せとな」
「……毎月きちんと返してんだろ」
「たったあれっぽっち、利子分も足りとらんわ。お前はあれを盗む気か?」
盗む。そのワードにエンキは青筋を立てた。
「っ! スラバルッ! 俺に対してソレを言うってことは……!」
「なんじゃ? ワシに文句があるなら協力はせんぞ」
「……クソっ!」
怒りの矛先がなくなって、エンキは地面を蹴りつけた。それから、荒くなった呼吸を無理矢理に整える。
スラバルはその様子が可笑しくて仕方ないらしくにんまりと笑っている。それを見て茶化されたと悟ったエンキは苦い顔。
「……本題だ、スラバル。アルル、お前はそこで大人しく待っとけ」
そうしてエンキは店の奥、大蛇の元へと寄って行った。
スラバルは近くの椅子を引き寄せて、どっこりと腰を降ろす。
「……んで、何が欲しいんじゃ?」
全てを見通すように目を細める。
「二ヶ月分の食料、そしてトレーラーの燃料……、大体二万キロ走る分だな」
「ほお、それで、返せる保証は? 担保は? まさかそれなしで言っとるんじゃないじゃろうな?」
「わあってるよ。まずスラバル。こいつを見てくれ」
そう言うとエンキはポケットの中からアルルから前金として受けたダグラス鋼製のナイフを出した。スラバルはエンキの手からひったくるようにして取ると、くるくると回して品定めをする。それにエンキが得意顔で言う。
「ダグラス鋼製のナイフ。言っとくが、モノホンだぜ?」
「……らしいの。ついに子鼠もゴミ以外を拾うたか」
「それが担保」
「フン、確かに受け取った。……がこれでは足りんの」
「はあ? なんで? ダグラス鋼だぞ?」
「まず一つ。ダグラス鋼は通電すると強度、硬度、耐性が増す特殊金属じゃ。が。これは電気接続しておらん。これじゃただのちょっと固い鉄に過ぎん。そして二つ目、例の……八八事件でダグラス鋼なんぞありふれたもんになっとる」
八八事件、というのは約一年前の八月八日に一機のスカイ・ノアがアフリカ大陸の北方に墜落した事件だ。
「……二か月後、三倍で返す」
「いや、ダメじゃ。五倍で返せ」
「……四倍」
「譲らん。五倍じゃ」
「チッ、足元見やがって。分かった、五倍だ」
結局、スラバルに頭が上がらないのがエンキの現状だった。ムリはできない。要求されれば飲み込むしかない。
「で、返せる見込みはあるんじゃろうな?」
エンキは口角を上げる。
「そのナイフ、どうやって手に入れたと思う?」
「……盗みか?」
「ちげえよ。俺が殺しはしても盗みはしねえって知ってんだろ」
「まあ、そうじゃろうな」
それからエンキは自分の肩越しに後ろを指した。
「驚くなよ、スラバル。あの女……、スカイ・ノアの女だ」
「子鼠……、ワシは今二つのことに驚いとる。まず一つはお前の言葉。とてもじゃないが信じきれん。そして二つ目は……、お前の指した方に誰もいないことじゃ」
「はあ!?」
慌ててエンキが振り向くと、ただ太陽が地面を焼いていた。
「あの女ぁ! どこ行きやがったぁっ!」
叫びは、空しく木霊する。
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