第32話 プラマイゼロな男

(ああ、またあの夢だ……)


 暗闇の中、クリストファー改め栗田秀樹はそう思った。


 夢を見続けて今日で六日目。気が付けば彼の容姿はクリストファーから前世の栗田秀樹へと変化していた。もちろん理由は分からない。


(ぐうっ! ……いてえなぁ)


 初日の夢で右腕に巻き付いていた茨は、既に秀樹の全身に纏わり付いて身動きが取れなくなっていた。秀樹の全身では飽き足らず、茨はどんどん伸びて体積を増し、一体の怪物のような大きさに膨れ上がっている。秀樹は怪物の真ん中に、茨で拘束されたまま宙に浮いたような状態だ。


 幸い、夢の中だからか痛みはあるが流血などはない。とはいえ痛いことに変わりはない。身動き一つするだけで茨のとげが体に食い込み、自由に動くこともままならなかった。


 闇の中には例のテレビ画面のような光が浮かんでいて、その日のクリストファーの所業が映し出されるようになっていた。つまり、会議後にクリストファーを諭しに来たシエスティーナへの対応や、後を追ってきたマクスウェルへの冷たい態度などを見ることが

できるわけだ。


「マジで見たくねぇ……」

 この五日間で少しずつ、自分の意に反する行動を取るようになってきたと秀樹は感じている。まるで、夢の茨に自由を奪われるたびに、覚醒中の自分が別人になってしまったかのようだ。


 茨は徐々に大きくなり、やがて秀樹の全てを覆い隠してしまうだろう。


(そうなったら、もう終わりなのかもしれない……)


 その時、自分はどうなるのか……分からない。


 もう眠ってしまいたかった。夢の中でも眠ることができるなら、そうすればこの茨の痛みからも解放されるかもしれない。

 それに呼応するように茨が秀樹を隠そうとする。


(眠れば、楽になれるかな……?)


 秀樹が瞼を落とそうとした時だった。


「はああっ!?」


 突然、地震が発生した。


 激しい揺れに夢の中で失いかけていた秀樹の意識が戻ってくる。


「何だよ急に! おおっ?」


 唐突に秀樹を絡め取っていた茨の拘束が緩まり始めた。地震でバランスを崩しているのだろうか、茨が解けて地面に伏していく。秀樹の全身に巻き付いていた茨も緩み、抜け出すことができた。

 やがて地震が収まると秀樹はゆっくり立ち上がる。茨を踏まないよう気を付けてその場を離れると、足首に茨が巻き付いているのに気が付いた。


「なんだ、完全に自由になれたわけじゃないのか。それはそうと、何があったんだ」


 何かないかと周囲を見回した時、テレビ画面とは反対側に、白い何かがいた。


 暗闇の中にしっかりと見える白い影。秀樹自身はテレビ画面に映り込む姿で今の自分を把握したというのに、あの白い影は何なのだろうか。


 秀樹は茨の足枷を引きずりながら白い影の方へ歩き出した。


「あだっ!」


 だが、白い影までもう少しというところで何かに行く手を阻まれてしまう。


「何だよこれ?」


 自分と白い影の間に、ハニカム柄に白く光る壁のような物が形成されていた。


「バリアっぽい。これ以上行けないのか、くそっ。あの白いのは一体……」


 秀樹は目を凝らして白い影を見た。それは動物のように見える。


「動物にしてはでかいな。パッと見、丸まった猫、犬、いや、狼か? うーん、もしかすると狐の可能性もあるが……んん?」


 動物に目を凝らした秀樹はその真ん中あたりに別の何かがいることに気が付いた。形状から考えると人間のように見える。


「……あれ? あの子、どこかで見たような」


 白い狼の懐に人影が見えた。黒髪の少女だ。年齢は十代前半、中学生くらい。狼に体を預け静かに寝息を立てている。


 眠っている少女の双眸を視覚が捉え、記憶が呼び起こされていく。


「なんで……」


 その少女を栗田秀樹は知っていた。


「……舞花」


 パチクリ、と少女――舞花は目を開いた。

 あたりを見回し、秀樹を目が合う。舞花はパッと笑顔になって口を開いた。


『お兄ちゃんだ!』


「……あぁ」


 秀樹の頬を涙が伝う。

 転生してもう十五年。忘れかけていた妹の声が記憶の奥から戻ってきた。

 その瞬間、暗闇に大きな亀裂が走り、秀樹の視界を真っ白に染め上げる。


『気を付けて。闇の魔力は君の不安や絶望に刃を突き立て暗闇の奥底へ追い立てていく』


『絶望の闇を払うのは希望の光だけ。教えて、君の希望を』


(俺の希望は――)








 クリストファーは目を覚ました。

 数秒前、何かをしゃべっていた気がするが、自分の口が何と動いたのか、クリストファーは思い出すことができなかった。


 ベッドから起き上がる。

 窓はまだ薄暗いが朝日が昇り始めていることが分かった。ゆっくり見ていたいと思ったが、寝室の天井からガタリと音がして一気に目が覚めてしまう。


 天井の一部が外され、中から人が降り立った。


 アンネマリーである。


 動きやすい乗馬服のような格好で現れた彼女は眉根を寄せて緊張感漂う表情でクリストファーを見つめていた。


「……お願い。どうか怒らずに私と冷静に話を」


「アンナじゃねえか。朝っぱらからどうしたんだよ?」


 クリストファーが尋ねると、アンネマリーは目をパチクリさせてしばし無言となった。やがてこめかみを指でトントンと押さえると、疲れた表情でクリストファーに問い掛ける。


「あんた、元に戻ったの?」

「元に? ……おお、そういえば頭がスッキリしてる! なんでだ?」


「こっちが聞きたいわよ!」


「おい、声が大きいぞ。外に聞かれちまうぞ」


「もうとっくに『静寂サイレンス』を掛けてあるから問題ないわ。それより、今まで何があったのか説明してちょうだい!」


「ああ、もう、分かったよ。実は――」







 クリストファーはこれまでの経緯を説明した。ある日唐突にアンネマリーに嫌悪感を抱くようになってしまったこと、変な夢を毎晩見ること。


 そして――。


「舞花ちゃんが夢に出てきた?」


「いや、まあ、出てきただけで会話も何もなかったんだけどな」


「そして白い狼……」


「なあ、ゲームに白くてでかい狼って登場するのか?」


「……そんなの聞いたことないわ。巨大な狼といえば真っ黒な魔王くらいのものよ。でも、無関係とは思えないわね」


「正直、何もかも全然分かんねえ。白い狼も、あそこに舞花がいた意味も、夢の茨も……なあ、なんであそこに舞花がいたんだろうな。もしかして、あいつも俺達みたいに死ん」


「やめなさい!」


 怒気を籠めた声でアンネマリーはクリストファーを制した。


「私達は飛行機事故で死んじゃったけど、舞花ちゃんは関係ないのよ。白い狼が言っていたんでしょう? 闇の魔力はあんたの不安や絶望に刃を突き立てるって。確証のないことで不安がっていたらまた茨とやらに縛り上げられちゃうわよ」


「お、おう。すまん」


「分かればいいのよ……で、ああなっちゃった原因とかは分からないの?」


「うーん……」


 クリストファーは腕を組んで考えるが、それらしい理由は何も思いつかなかった。


「異変が起きたのは十三日の朝からでしょ。その前に何かいつもと違うこととかなかったわけ?」


「いつもと違うねえ……そういえば、前日にセレディアちゃんを小石から守って名誉の負傷ならしたけど、関係ないよなぁ」


「そういえば、セレディア様が自分のせいであんたが怪我したとか言ってたわね」


「おうよ。セレディアちゃんが柱に向かって投げた小石が跳ね返ってぶつけそうだったのを、颯爽と現れた俺が咄嗟にバッと小石を掴んで助けてやったんだ。それが何気に剛速球でさ、マジ痛くて怪我しちまったぜ」


「何やってんだか……でも、特に原因ではなさそうね」


「まあ、小石を受け止めて怪我しただけだからなぁ……もしや、あの傷口からばい菌みたいに負の魔力が侵入してきたとか。だから夢では右腕から茨に縛られたんだよ」


「……じゃあ、誰があんたにその負の魔力を与えたのよ」


「ずばり、セレディアだ! 実は彼女こそが魔王で、今も虎視眈々と俺達を狙っているのさ!」


「そんな!」


 クリストファーが出した結論にアンネマリーはショックを受けたように口元を手で押さえた。そして白けたような顔でため息をついた。


「「そんなわけないか」」


 クリストファーも言っただけのようで、二人の声は重なってしまう。


「結構よさげな設定だと思ったんだけどなぁ」


「ちょっとこじつけが過ぎるわよ。そもそも怪我の原因がセレディア様に飛んできた小石を受け止めたからでしょう。あんたが傍観したり、間に合わなかったら意味ないじゃない。怪我させるならもっと簡単な方法がいくらでもあるでしょ」


「だから、言ってみただけだって。ただ、ゲームやアニメだとありそうだなって思ったんだよ」


 クリストファーはとても勘が良かったが、同時にとても勘が悪い男だった。


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