第22話 ヒューバート抱擁
「シュウさん、領地は穏やかで素敵なところですけど、王都も良いところですよ」
「メロディちゃん……」
「治安だって良いですし……あっ……良いです、し?」
「メロディちゃん! 今、なんで目を逸らしたの!?」
「いえ、本当に王都の治安は悪くないんですよ……ちょっと前に魔物の侵入事件があったことを思い出しただけで」
「死の香りがプンプンするよ!」
「だ、大丈夫ですよ。あれ以来魔物は現れていませんし、騎士団が見回って魔物がいないことは確認済みです。王都は安全です」
「……今なぜか俺の脳裏に、地面に勢いよく旗が刺さる光景が浮かんだんだけど、なんだろう?」
「なんとなく私も浮かんじゃいましたよ、メロディ先輩」
「旗? どうして?」
メイドジャンキーの辞書に『フラグ』という言葉は登録されていないようである。実際に何か事件が起きるかどうかは誰にも分からない。
「まあ、実際のところ王都の治安は大丈夫だろう。そろそろ学園舞踏祭の季節だし、王都の治安維持にはさらに力を入れるだろうからね」
「なんすか、学園舞踏祭って?」
「月末に開催される王立学園の行事です。夜の部は生徒のための舞踏会ですが、昼の部は各クラスの催しがあるんです。生徒の家族も招待されるので付き添いで使用人も同行できますよ」
「へぇ、ルシアナお嬢様のクラスは何をするんすか?」
「メイドカフェです」
「メイドカフェ?」
「メイドカフェ!?」
不思議そうに首を傾げるシュウとは対照的に、マイカは大きく目を見開いて驚きを露わにした。
「メイドカフェって、どういうことですかメロディ先輩!?」
「どういうことって言われても、お嬢様達がメイドに扮して給仕をするカフェよ」
「誰の発案なんですか!?」
「無記名投票だったから誰が発案者か分からないらしいけど」
「……そうですか」
「どうかした、マイカちゃん?」
「あ、いえ、何でもないです」
メロディはキョトンとした顔で首をコテリと傾げたが、マイカはそれどころではなかった。
(どういうこと? この世界でも存在するの? それとも……)
日本のオタク文化を象徴する一つといって差し支えないパワーワード『メイドカフェ』。
日本の学園祭の出し物としてならあり得なくもない選択肢だが、身分社会の中世ヨーロッパ風異世界にはあまりにも不似合いな言葉だ。
「ルシアナお嬢様がメイドの格好をして俺に給仕してくれるんすか? ……どうしよう、ちょっと興奮してきたっす」
「シュウ、俺の姪に手を出すというのなら、お前が感じた死の香りは俺が発していると思うことだ」
「や、やだなぁ、ヒューバート様。冗談っすよ、冗談! あははははは!」
「まったく。それにしても貴族令嬢にメイドの真似事をさせる店とは、随分思い切った催しを考えたものだね」
シュウとヒューバートのやり取りを見る限り、メイドカフェというものがこの世界では一般的でないことが理解できる。
となると、考えられる可能性は――。
(……私以外にも、転生者がいる?)
――当然、その答えに行き着く。
ただ、ここが日本で作られた乙女ゲームの世界であることを考えると、一般的ではないだけでメイドカフェがどこかに存在する可能性もないとも言い切れない。
(でも、転生者がいるとしたら誰が? 可能性が高いのは……悪役令嬢アンネマリー?)
この世界におけるアンネマリー・ヴィクティリウムは、マイカが知る彼女とはあまりにもかけ離れた存在になっていた。
短気で我が儘な当て馬ライバルキャラ。それがゲームにおけるアンネマリーの役割だが、今の彼女はその美貌から『傾国の美姫』と、その優秀さから『完璧な淑女』とまで称されるハイスペックレディである。
(悪役令嬢に転生した主人公が未来の危機を回避するために努力するストーリーは最早テンプレ。ありえない話じゃない。でも、彼女がメイドカフェ? ……イメージに合わないなぁ)
マイカは一度だけ相対したアンネマリーの姿を思い出す。嫉妬の魔女事件を解決するため彼女に助力を請いに行った時、同席していたクリストファーを含めて二人は颯爽として本当に格好良かったのだ。
(まさにヒーローとヒロインって感じで、オタクな雰囲気はこれっぽっちも感じなかった。アンネマリー様がメイドカフェなんて書くとは思えない。うちのお兄ちゃんじゃあるまいし)
マイカはとても勘が良かったが、同時にとても勘が悪かった。
結局、マイカは自分の目で見たアンネマリーとメイドカフェのギャップを受け入れることができず、彼女が転生者である可能性は一旦保留することにした。
それに……。
(メロディ先輩はメイドカフェに疑問を持ってるふうじゃないんだよね。やっぱり転生者じゃないってことなのかな?)
単純に「どこの世界にも似たようなものはあるのね」程度に考えているだけなのだが、メイドのお仕事以外には大して興味のないメロディの気持ちをマイカが理解するのは困難なことだった。
メロディはメイドジャンキーである点を除いて、転生者を思わせる素振りを見せていない。メイド好きにしても、メイドのお仕事をすることが好きなのであって一般的なメイドオタクとは傾向が異なるため決定打とも言いがたい。
彼女が転生者でないのなら、アンネマリーの性格がゲームと異なっているからといってイコール転生者となるかというと、判断が難しいところだ。
この世界は確かに『銀の聖女と五つの誓い』と酷似するところが多く見られるが、それでもここは現実の世界。何もかもがゲーム通りに進んでいるわけではない。であれば、その過程で人間の性格なんていくらでも変わる可能性がある。
(でも、お嬢様のクラスに転生者がいる可能性はある。とりあえずそれだけは覚えておこう……私にできることなんて特にないけど)
マイカは『魔法使いの卵』をそっと握りながら、小さなため息をついた。
「お帰りなさい、叔父様」
「ただいま、ルシアナ」
玄関前での挨拶が終わると、メロディ達は玄関ホールに入った。ヒューバートの使用人であるシュウと護衛のダイラルは同行したが、リュークとマイカは馬車の荷物を片付けるため席を外している。ヒューバート達を出迎えたのはルシアナとポーラだった。
(セレーナ達はまだ来ていないみたい)
メロディはポーラにルシアナを、セレーナに伯爵夫妻を呼ぶようお願いしたが、夫妻はまだ到着していないらしい。玄関前で結構おしゃべりをしていたのでもうとっくに待たせていると思っていたが、何かあったのだろうか。
「ルシアナ、兄上達はいないのかい?」
「すぐ来ると思うけど……あ、来たわ」
「遅れてしまったね。すまない、ヒューバート」
「ああ、大丈夫だよ、兄う……え……」
ヒューズとマリアンナは玄関ホールに繋がる階段から下りてくるところだった。その最中にヒューズが声と掛けるとヒューバートも挨拶を返そうとするが、その言葉は途中で尻すぼみになってしまう。
ヒューバートはジッと、階段を下りてくる三人を見つめていた。
目を離すことができなかった。
やがて三人が玄関ホールに降り立つと、ヒューズは両手を広げてヒューバートを歓迎する。
「改めて、よく来てくれたヒューバート。ここのお前の家だ。やはりお帰りと言わせてくれ」
ハグを待つように両手を広げたヒューズに、ヒューバートは急ぎ足で歩み出た。その速い足取りに周囲は驚くが、ヒューズは笑顔を浮かべて受け止めるつもりのようだ。
「お帰り、ヒューバート……あれ?」
スカッという擬音がよく似合うだろう。愛する弟を抱きしめようとしたヒューズの腕は空っぽのまま自分自身を抱きしめた。
ヒューバートはヒューズを素通りし――。
「会いたかった、セレナ!」
「きゃあっ!」
――夫妻の後ろに控えていたセレーナを力一杯抱きしめるのだった。
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