第21話 ヒューバート来訪

 とある馬車がルトルバーグ邸の前を通りかかった。

 乗車していた貴族の男はぼんやりと窓の向こうに映る景色を眺めている。


「……こんなところにあんな屋敷があったかな?」


 このあたりは普段あまり利用しない経路なので記憶違いをしているだけかと、男は深く考えることはなかった。そして何気なく正門のあたりに視線を移すと、ふわりふわりと風に流される木の葉が目に入る。何の偶然か、まるで定められたように木の葉が一カ所に集まっていく。


(今日は思ったより風が吹いているんだな)


 男は特に疑問に思うでもなく、そう結論づけた。走る馬車から正門が見えたのはほんの数秒で、馬車はあっという間にルトルバーグ邸の前を通り過ぎる。


 男の視線も窓から外れ、彼は退屈そうにため息をついた。

 早く目的地に着かないかなと考えて。


「……あの馬車じゃない。まだかなぁ」


 正門の前で、走る馬車を見送るメイドの少女が立っていたことに、男は最後まで気が付かなかった。


 なぜならその少女――メロディは『透明化トラスパレンザ』の魔法で姿を消しながら箒掛けをしていたから。


 本日、十月十一日。ヒューバート達が王都に到着する日だ。

 メロディは彼らを出迎えるため、姿を消して門の前で馬車の到着を待っていた。


「あっ、来た!」


 先程通り過ぎた馬車からしばらく待っていると、御者台に腰掛けるリュークとダイラルの姿が目に入った。馬車に並走するレクトの馬も見ることができる。


「よかった。予定通りに到着したみたい。早くに伝えなくちゃ。『分身アルテレーゴ』解除」


 メロディはニコリと微笑むと、光の粒となって正門から姿を消した。元々透明になっていたのでそれに気が付いた者は一人もいないのだが。








「あっ、馬車が着いたみたい」


 調理場で作業をしていた本体メロディがそう口にした。先程まで正門で掃除をしていたのは分身メロディだったようだ。


 メイド魔法『分身』。メロディの意識がある間しか使用できないという制限はあるものの、自身の分身を生み出すこの魔法はあまりにも便利な代物であった。


 本体と比べれば弱いとはいえ、一般レベルなら十分な魔法を行使できる分身を数十人生み出すことができ、リアルタイムではないが、役目を終えて消えた分身から記憶を回収することができる。


 実質的にはメロディの覚醒時間という制約はあるものの、一度生み出された分身に活動範囲の制限はなく、分身であるがゆえに生死を気にする必要もない。たとえ何かの原因で消滅することになっても記憶を回収できるので経緯を確認することもできる。


 危険な場所で情報収集をしたり、工作をしたりといった諜報活動にうってつけの魔法と言えるだろう……世界はメロディがメイドジャンキーであったことに感謝すべきではないだろうか?


 その気になれば王城の情報を丸裸にできそうな少女はだがしかし、お客様の到着を確認するための見張り程度にしか分身を活用しない平和なメイドであった。


 調理場の作業を一旦切り上げると、メロディはこの場にいたセレーナとポーラに告げる。


「私はヒューバート様のお出迎えに行ってくるから、セレーナは旦那様と奥様を、ポーラはルシアナお嬢様を呼んできてもらえる?」


「承知しました、お姉様」


「分かったわ」


 二人から了承を得ると、メロディは正面玄関へ向かった。外へ出ると、まだ馬車は正門に入ってきてはいないようだ。門は予め開けておいたので問題ない。

 身だしなみを整え直してサッと姿勢を正した頃、正門に馬の姿を捉えた。先程の記憶と同じ、御者台にリュークとダイラルを乗せた馬車が正門を潜って敷地に入ってきた。レクトの馬も並走している。


 メロディは美しい姿勢を保ちながら、馬車が玄関の前に到着するのを静かに待った。


「ようこそいらっしゃいませ、フロード騎士爵様」


「……他人行儀過ぎて気まずいんだが、メロディ」


「ふふふ、お客様をお出迎えする礼儀ですから」


 今回の旅では護衛として同行したが、メロディはこの中で唯一正式に爵位を所有しているレクトへ挨拶をした。普段は友人として接することが多い関係のせいか、苦笑を禁じ得ない。


「おかえりなさい、リューク。いらっしゃいませ、ダイラルさん」


「ああ、ただいま」


「しばらく厄介になります」


 ダイラルは御者台から軽く飛び降りると、馬車の扉へ向かった。ダイラルが扉を開けると、待ってましたと言わんばかりに明るい金色の髪が姿を現す。


「じゃあ、俺が先に降りるっすね。あ、メロディちゃん、久しぶり!」


 出てきた金髪の男は使用人見習いのシュウであった。メロディとの久しぶりの再会が嬉しいのかニヘラッと笑うと礼儀もへったくれもない態度で馬車からピョンと飛び降り、流れるような軽やかな足さばきでメロディの下へ――。


「待たんか」


「ぐえっ!」


 ――行こうとしてダイラルに襟首を掴まれた。


「前に教えただろう。仕事をしないか」


「うう、メロディちゃんに再会できた喜びで忘れてたっす。さあ、レディ。俺の手を取るっす」


 軽い口調とは裏腹に、シュウは大変優雅な仕草で馬車の扉に向かって手を差し出した。さながらプリンセスをエスコートするナイトのようである。見た目だけは。


「きっしょ」


 馬車から出てきたマイカは不快そうにポツリと呟く。外見と内面のギャップが受け入れられなかったようだ。ゴミを見るような目でシュウを睨みつつも、彼にエスコートされて馬車を下りた。


「おかえりなさい、マイカちゃん」


「ただいまです、メロディ先輩」


「旅はどうだった?」


「リュークのおかげで毎日お風呂に入れたんで、思ったよりは快適でした」


「それはよかった。後で旅のお話を聞かせてね」


「はい! 私もメロディ先輩に相談したいことがあるんでちょうどいいです」


「相談? 分かったわ。後でお話ししましょう」


 二人はニコリと笑い合った。


「さあ、ヒューバート様も俺の手を取るっすよ」


「いや、俺は必要ないよ」


 自身をプリンセス扱いするような態度のシュウに苦笑しながら、ヒューバートは一人で馬車を降りた。


「お帰りなさいませ、ヒューバート様」


「ただいま、メロディ。……ただいまでいいのかな?」


「もちろんです。ご家族がお待ちなのですから、ここもヒューバート様のお家で間違いありませんもの」


「そうか……ただいま、メロディ」


 ニコリと微笑むメロディに、ヒューバートもまた笑顔を返した。


「あー! ヒューバート様だけずるいっす! メロディちゃん、俺もただいまっす!」


「ここはお前の家じゃないだろ」


 何がずるいのか不明だが文句を言うシュウをダイラルが窘める。しかし、シュウの勢いは止まらない。


「お仕えするヒューバート様の行くところ、即ち俺の家っす! だからただいまっすよ」


「ふふふ、お帰りなさい、シュウさん」


「ただいまっす! ああ、王都なんて来たくなかったっすけど、メロディちゃんに『お帰りなさい、旦那様』と言ってもらえるなら我慢できなくもないかも」


「旦那様とは言ってないですけどね」


 ジト目のマイカが鋭くツッコミを入れるが、自分の世界に浸っているシュウの耳には全く届いていないようだ。


「シュウさんは王都に来たくなかったんですか?」


「そうっす! 王都は死の香りがする超危険地帯! アンタッチャブルシティっす!」


「死の香り?」


「アンタッチャブル?」


 全く理解できないシュウの説明にメロディとマイカは揃って首を傾げた。


「何となくそんな感じがするから来たくなかったんすよ! 領地で土弄りをしていたかったっす」


 ルトルバーグ家の見習い使用人シュウ。

 その正体は第五攻略対象者、ロードピア帝国第二皇子シュレーディンである。


 同時に元日本人の転生者、弘前周一ひろさきしゅういちでもあるが、彼が引き継いでいる記憶はあまりにも断片的で、シュレーディンはそれを自身の前世とは認識できておらず、ある種の未来予知のようなものだと捉えていた。


 乙女ゲーム『銀の聖女と五つの誓い』において、シュレーディンは王国に侵攻する皇子という設定のせいか死亡ルートが多いキャラクターであった。

 そのため、ゲーム知識という名の予知を信じるなら、ゲームの舞台となる王都パルテシアは彼にとって死地も同然。


 シュウは王都に対して潜在的な恐怖を感じていた。

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