第17話 学園舞踏祭実行委員会
それはあまりにも早い崩壊だった。
まだ王立学園に入学して半年しか経っていないというのに、早々に彼の経歴に瑕疵が付いてしまったのである。実際にはわずかな点差でしかなく、周囲の者達はそれほど気にしていないのだが、完璧であろうと己を律していたクリストファーにとっては、ガラス板に大きなひびが入ったような心持ちだった。
そんな心情の中、学園舞踏祭の準備が始まる。
一年生の彼は生徒会副会長として実行委員と協議を重ねることになるが、一年Aクラスの実行委員となったシュレーディンの辣腕は素晴らしく、クリストファーの心の中に生まれた劣等感は次第に大きくなっていく。
ゲームの魔王は彼にできた心の隙を突き、クリストファーを闇堕ちさせた。その状況にたまたま遭遇した主人公セシリアは、彼を救うため戦いに身を投じるのである。
「……ヒロインちゃん不在の状況であっても、メインストーリーは着実に進行している。あんたがゲームのクリストファーほど試験結果にもシエスティーナ様にも執着していないことは知ってるけど、そんなことがなくても最終的に闇堕ちイベントが発生する可能性はゼロじゃないのよ」
「そりゃあ、分かってるけど、そこまでいったら気にしたってどうしようもないだろ。俺達は幼い頃から魔王対策を考えてきた。俺の闇堕ち対策だってやってきたじゃん。一番はこれだな」
クリストファーは一枚の封筒を取り出した。
そして中身を取り出して冒頭を読み上げる。
「お兄様、お元気ですか。僕は元気です……可愛い弟からの手紙だぜ」
「正直、闇堕ち対策としては一番難易度が高いと思ってたのが成功しちゃったのにはびっくりよ」
ゲームにおけるクリストファーは王太子の重圧に耐えなければならなかった。なぜなら、彼以外にその役を担える者が存在しなかったからである。
だから、転生した二人は国王夫妻を焚きつけたのだ。
「父上、母上。ぼく、おとうとかいもうとがほしいなぁ」
「すてきね。いもうとだったらわたしがいっぱいかわいがってあげるわ」
というようなことを、前世の記憶を取り戻した直後から何度も繰り返しているうちに、気が付いたら王妃が第二子を妊娠していたのである。
第二王子アーノルド、七歳。まだ公務に携われる年齢ではないが、王国にとって継承権第二位の王子が誕生したことは数十年ぶりの慶事であった。
継承権を争うという意味では派閥問題になる可能性もあるが、たった一人の王太子という立場だったクリストファーにとっては、最悪の場合、次を任せられる存在がいることは、心の負担に大きな影響を与えることだろう。失敗しても取り返しがつくというだけでどれほど安心できることか。
「だから俺が闇堕ちする理由ってないんだよなぁ」
「ええ、分かってる。私達はやれることはやってきた……でも、やっぱり心配なんだもん」
この世界はヒロインがいない状況であるにもかかわらず、現場にいる誰かしらを代役に立ててイベントを消化しようとしている、とアンネマリーは考えている。
だからこそ不安なのだ。
現状、クリストファーが闇堕ちする要素はないに等しい。日本人、栗田秀樹の記憶を持つ彼はゲームのクリストファーほど王太子という立場を重荷に感じていないからだ。
大丈夫、何も問題ない。そう考える反面、世界の強制力が別方向から彼を闇堕ちさせようとするのではないかという不安を、アンネマリーは拭い切れなかった。
「……何か異変があればすぐに報告するのよ」
「ああ、分かってるよ」
クリストファーは楽観的に笑う。幼馴染の屈託のない笑顔に、この時だけは安堵の息を零すアンネマリーであった。
◆◆◆
明けて翌日、十月六日の放課後。
王立学園に用意された会議室では初めての学園舞踏祭実行委員会が開催された。
この場に集まったのは生徒会役員六名。各クラスから二名ずつ選出された実行委員十八名、そして、今年の学園舞踏祭を総監督する三年Aクラスの担任教師ラグナスだ。
口の字に並べられた机に生徒達が腰掛け、ラグナスは監督役として会議室の角に椅子を置いて生徒達の様子を見守る。
「学園舞踏祭実行委員会を開催する。議長は私、生徒会長アルバート・ランクドールが担当するのであしからず」
アルバート・ランクドール。オリヴィアの兄である。妹と同じ金色の髪と金色の瞳を持ち、大柄だが威圧的ではない、頼りがいのありそうな雰囲気の好青年である。
「ではまず、自己紹介から始めようか」
生徒会役員、実行委員の順番で挨拶を交わし終えると、アルバートは早速本題に入った。
「まず、実行委員長を決めよう。生徒会と実行委員で役割が異なるからね。そちら側のトップも決めておかないと」
言い終えるとアルバートの視線は三年Aクラスの実行委員へ向けられた。彼とはクラスメートであり、彼が実行委員長になってくれれば連携を取りやすいと考えている。
アルバートが指名すべく口を開こうとした時、発言を求めて挙手した者が現れた。
「……何でしょう、シエスティーナ殿下」
「確認したいことがあるのですが、よろしいでしょうか」
シエスティーナはニコリと微笑んだ。アルバートも同様の笑みを浮かべる。
「構いませんよ」
「実行委員長の選出には決まった規則や手順があるのでしょうか」
「……いいえ、特にありませんが、慣例として」
「では私、シエスティーナ・ヴァン・ロードピアは実行委員長に立候補します」
周囲がギョッと驚きを露わにした。王立学園の慣習として、毎年実行委員長は生徒会長が指名するのが習わしだった。その説明をしようとしたところをシエスティーナは遮って実行委員長に立候補したのである。
「……シエスティーナ殿下、実行委員長は生徒会長からの指名が慣習でして」
「おや? つい先程、特にないと仰ったではありませんか」
上品な微笑のまま首を傾げる姿は、不思議とそれだけで美しい。人を魅了する方法をよく理解しているようだ。アルバートの瞳に真剣な光が宿る。
(どうやら実行委員長選出の慣習を知った上での行動のようだ。さて、どうしたものかな?)
「学園舞踏祭を盛り上げたいと思われる殿下の意気込みには感服しますが、さすがに舞踏祭を未経験の殿下に実行委員長をお任せすることはできません」
アルバートはニコリと微笑みながら、きっぱりと彼女の主張を断った。
たった今発言したことも理由だが、これまでの慣習を崩したくないという思いもある。そして何より、ロードピア帝国の皇女に学園舞踏祭の陣頭指揮を執らせることへの抵抗感が大きかった。
(学園行事に積極的に参加することで親交を深めようとしている、と捉えることもできるが、生徒会に近づくことで何か狙いがあると考えることもできる……はてさて、彼女の目的は何だろうね?)
王家に次ぐ公爵家の一員であるアルバートの脳裏にいくつもの考えが巡るが、シエスティーナの思惑を現時点で看破するにはあまりにも情報不足であった。
だから、妥協案を提示して様子を見るのがよいだろう。
「シエスティーナ殿下、実行委員長をお任せすることはできませんが、よかったら副実行委員長になってみませんか。もし来年も実行委員会に参加なさるなら、よい経験になると思いますよ」
アルバートが問うとシエスティーナは少し思案顔になり、周囲へ視線を巡らせた。
「どうやら、少しでも早く皆さんと仲良くなりたいという気持ちが逸りすぎたようです。皆さんが受け入れてくださるなら生徒会長の打診を受け入れたいと思うのですが、いかがでしょう」
「異議のある者は挙手を」
アルバートがそう告げるが、手を上げる者は現れなかった。
「では、副実行委員長はシエスティーナ殿下に。実行委員長は三年Aクラス、レオン・シュゼルバードに頼みたいのだが、やってくれるかな」
「ええ、お任せください」
眼鏡を掛けた知的な雰囲気の三年生、レオン・シュゼルバード伯爵令息はコクリと頷いた。
「よろしくお願いします、シュゼルバード先輩」
「レオンで結構ですよ、シエスティーナ殿下」
「分かりました、レオン先輩」
(予め大きな要求を告げて断らせることで、真の要求を通しやすくするという交渉の初歩ともいえる手段だが……留学したばかりだというのに最初からかなり積極的に動くのですね)
レオンの視線がチラリとクリストファーへ向けられる。
それはアルバートも同じだった。
(動揺した様子はない。予想の範囲内ということだろうか。さて、帝国皇女の動きに対し、我らが王太子殿下はどう動かれるのか……まったく、私が生徒会長の代で面倒事が起こらねばよいが)
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