第16話 ホームルームのあとで

 メロディとルシアナが学園舞踏祭の準備を楽しみにしている頃、男子上位貴族寮の最上階では全く和やかでない雰囲気が醸し出されていた。


「メイドカフェって、何書いてんのよアホ―!」


「わ、悪かったって! 匿名って言われたらつい! つーかなんで採用されてんだよ!?」


「あんたがこれ見よがしに王子スマイルで後押ししたからでしょうがあああああ!」


「そうでしたすんませえええええええん!」


 王太子の寝室で美男美女の殺伐とした追いかけっこが行われていた。もちろんアンネマリーの魔法『静寂サイレンス』をかけてあるので周囲にばれる心配はない。


「ホントに信じられない。SNSじゃないのよ。筆跡でバレる可能性だってあったんだから」


「そこは大丈夫だ。バレないように筆跡は変えてあるからな」


「ドヤ顔で言ってんじゃないわよ! まったく、そういうところは姑息なんだから」


「そこは小賢しいだろ」


「バカ丸出しか! 自分で自分をディスってんじゃないわよ!」


「あ、あれ? 間違えた?」


「うう、なんで私、こいつより成績悪いのかしら……?」


 ベッドの前で膝を突き、アンネマリーはふて腐れるようにベッドに顔を埋めた。どうやら追いかけっこは終わりらしい。クリストファーはソファーに腰掛け、荒れた息を整える。


「ああもう、いくら魔法で音を消してるからって暴れ過ぎんなよ。お前が部屋にいるってバレたら俺達強制婚約待ったなしだぞ」


「分かってるわよ。でもね、さすがに今日のあれは私だって怒りたくなるわよ。マジでびっくりしたわよ。なんでメイドカフェなんて書いちゃうかな」


「……悪かった。文化祭っていったらメイドカフェかなって、つい考えちまったんだ。楽しいだろうなって」


「……まあ、分からないわけじゃないけどね」


 アンネマリーはため息をついた。彼女もまたクリストファーの気持ちを理解できないわけではないのだ。四月から、いや、前世の記憶を取り戻したあの日からずっと本当の意味で気が休まる日はないのだから。復活の兆しを見せる魔王、現れない聖女、ゲームと現実の齟齬。気にしだしたら切りがない。


(私は時々平民のアンナに変装して気晴らしをしたりするけど、王太子のクリスは私ほど気軽に王城を抜け出すなんてできないもんね)


 学園舞踏祭、日本の学校でいえば文化祭とか学園祭なんて呼ばれる行事は、学生が羽目を外せる思い出深いイベントだ。実際に書くなよ、とは思うもののメイドカフェをやってみたいと思った気持ちには多少共感できる部分があった。


「でも、なんでメイドカフェなのよ? 学園祭の出し物なら他にもあるでしょう。焼きそば屋とかたこ焼き屋とか。クレープ屋さんっていうのもいいわね」


「食いもんばっかじゃん……なあ、アンナ。焼きそば、たこやき、クレープと美少女メイド集団。お前だったらどっちがいい?」


「美少女メイド集団よ」


 アンネマリーはかつてないほどに凜々しい表情を浮かべて言い切った。端から見るだけならば、決意の想いを秘めた女帝の威厳を感じさせる姿である。


「だろ? だったら分かるよな」


「ええ、理解してしまったわ。選択肢はメイドカフェ一択しかなかったのね」


 そんなわけない。


 誰かそう言ってあげるべきなのだろうが、残念ながらこの部屋にツッコミは不在であった。クリストファーもアンネマリーも美少女は大好物なのである。


「正直、俺としてはネタのつもりだったんだぜ? まさか皆が興味を持つとは思わないじゃん」


「初めて耳にする言葉に興味を持たれてしまったみたいね。でも、それにあんたが開催の意義を捏造したりするからじゃない。まったくこういう時ばっかり悪知恵が働くんだから」


「そこはずる賢いと行ってくれたまえ」


「だから自分で自分をディするんじゃないわよ!」


「あれ? また間違えた?」


「もう! ホントになんで私こいつに試験で負けてるのよ! 神様って理不尽だわ!」


「前世よりしっかり勉強してるつもりだけど、マジこの体優秀だわ」


「……で、優秀なはずのクリストファーは予定通り中間試験で負けちゃったわけね?」


「あれなぁ。ゲーム世界の強制力、恐るべしって感じだよな」


 クリストファーは少し困ったように笑いながら頭をかいた。


「もうちょっと真面目に考えなさいよ! 前にちゃんと教えたでしょう。中間試験でクリストファーが一位の座から転落するイベントは――」


「クリストファーの闇堕ちイベントの第一段階って話だろ。分かってるって」


「分かってるならもう少し真面目に考えてよね」


 乙女ゲーム『銀の聖女と五つの誓い』は『攻略対象者闇堕ちイベント』が存在している。


 このゲームではメインストーリーが進むうちに、ラスボスである魔王が現れるまでに何人かの中ボスと呼ばれるキャラクターが敵として登場する設定だ。


 ルシアナ・ルトルバーグはゲームにおける第一の中ボス『嫉妬の魔女』であるが、現実ではクラスメートのルーナ・インヴィデアがその役を担った経緯がある。


 そしてこのゲームには『攻略対象者闇堕ちイベント』と呼ばれるストーリーが存在している。つまり、セシリアへの嫉妬心をつけ込まれて嫉妬の魔女となったルシアナのように、五人の攻略対象者もまた精神的な弱点を突かれた結果、中ボス化してしまう展開が用意されているのだ。


 五人の中で最初に中ボス化するのが、クリストファーなのである。


 きっかけは一年生二学期の中間試験で、第五攻略対象はシュレーディンに学年一位の座を奪われてしまったところから闇堕ちイベントが始まる。


 五人の攻略対象者はそれぞれが心のうちに悩みを抱えており、ゲームではセシリアが彼らの心に寄り添うかたちで問題を解決し、好感度を稼いでいく流れとなっている。

 魔王はその悩みの隙を突いて、攻略対象者を支配下に置こうと画策するのである。


「クリストファーが抱える悩みは――」


「王太子って立場に対する重圧だろ。耳にたこができるくらい聞いたって」


 ゲームのクリストファーは成人したての十五歳という若さで王太子の立場を得た。なぜそれほど早く立太子することになったかといえば、彼が優秀であったことも確かに理由の一つだが、一番は王家の直系血族が国王の他にはクリストファーしかいなかったせいだろう。


 ここ数代、王家は後継者が一人しか生まれていない状態が続いている。現国王も先代国王も、先々代国王も皆一人っ子だった。誰もが王妃と仲睦まじく、側室を拒否した結果である。恋愛的な意味では誠実で素敵な話だが、政治的に考えると後継者が一人しかいない状態は酷く危うい。


 そのため、現国王も含め立太子する時期はとても早かった。確固とした立場で公務に関わらなければならないためだ。他に後継者候補がいない以上、王太子という確かな肩書きがあった方が周囲も受け入れやすい。婚約者も幼い頃から決められ、運がよかったのか現国王の代までは見事に王太子を支えてくれる存在となっていた。


 そう、現国王の代までは……。


 アンネマリー・ヴィクティリウム侯爵令嬢。

 乙女ゲーム『銀の聖女と五つの誓い』におけるヒロインのライバルにして悪役令嬢。その性格は短気で我が儘、学業への熱意は薄く、美形を見れば婚約者がいる身でありながらうっとり眺めてしまうような少女。


 そんな人物がクリストファーを支えてくれる存在になるはずがなかったのである。


 立太子した以上、王立学園での成績や生徒会活動に瑕疵があってはならず、当然、王太子が公務で失敗など許されるはずもなく、たった十五歳の少年の精神は常に緊張の糸が張り詰めていた。そして、それを周囲に悟らせない演技力が長年の王子生活の中で培われ、彼の重圧を理解できる者はほとんどいなかった。幼馴染のマクスウェルでさえ、正確に把握できていなかったことだろう。


 現国王も同じ状況だったが、彼には支えとなってくれる婚約者がいた。彼女の前でだけはホッと息をつくことができる。立太子するまでの間に良好な関係を築いたことで、現国王は王太子という重圧を婚約者と分かち合うことができた。


 では、クリストファーは?


 自分のことしか考えていないアンネマリーと重荷を分かち合うことなど、できるはずがなかったのだ。


 自分でも気が付かないうちに彼の心に澱が溜まっていく。

 優秀な王太子を演じ続ける疲労、支えにならないどころか尻拭いさえ必要な婚約者、そして入学式から時折発生する不可解な事件。クリストファーの前には難題が積み上がっていき、とうとう留学生シュレーディンによって彼の牙城が一つ崩されてしまうのだ。


 学年一位の座を、二学期の中間試験であっさりと奪われてしまったのである。

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