第1話 帰ってきたメロディの日常
小鳥のさえずりさえまだ聞こえない時間。
メロディの瞼がゆっくりと開く。目を覚ました彼女はベッドから起き上がりカーテンを開けた。
いつもと同じ起床時間。
季節のうえではもう秋となり、朝日が昇りきっていないため窓の向こうはまだ薄暗い。セシリアに扮していた二週間の間も同じ光景を眺めていた。あの頃は、ルシアナを守るために頑張ろうと考えていたにもかかわらず、日が経つにつれこの薄暗い景色を憂鬱に感じていたものだが、今日の目覚めは何とも心地よい。
これから昇る太陽の光が待ち遠しい。メロディは晴れやかな気持ちで窓の向こうの景色を見つめるのだった。
(ふふふ、今日から本格的にメイド復帰。頑張ろう!)
視界の奥で昇り始めた太陽を見つめながら、メロディはニコリと微笑んだ。
◆◆◆
本日、九月二十八日。
魔力酔いにかかった設定のセシリアが、レギンバース伯爵クラウドに見送られて王都を出立した翌日である。つまりは休み明け、ルシアナは普通に授業のある日だ。
「清き水よ今ここに『
魔法で生み出した水をたらいに入れて顔を洗うと、メロディはクローゼットからメイド服を取り出す。八月から使用している半袖のメイド服だ。
着替え終えたメロディは換気のため窓を開けた。まだ日が昇りきっていないせいか、メロディのむき出しになった両腕に少しばかり冷たい空気が絡みつく。メイド服には守りの魔法が掛かっているため寒くはないが、空気の変化には気が付くことができた。
「……もう夏服も終わりかな」
あと数日で十月に入る。昼間はまだ暖かいが、太陽の出ていない時間は季節の変化が顕著に表われ始めていた。そろそろ衣替えをしなければならないだろう。もちろん自分だけではなく、ルシアナのドレスにも手を付けなければなるまい。
「ふふふ」
楽しそうに微笑むメロディ。たった二週間、メイドのお仕事から離れていただけだというのに、メイドとして働けることがこんなに嬉しくて楽しいなんて。
離れてみて分かる、メイドという仕事の有り難みよ。
(説得してくれたお嬢様には感謝しなくちゃ)
きっと、ルシアナが体を張ってメロディを諭してくれなかったら、メロディは今でも体調不良を押してセシリアを演じ続けていたことだろう。
何せ、編入生セシリアとしてルシアナの護衛をすると提案したのはメロディ自身なのだから。
編入のためにレクトの兄であるライザック・フロード子爵に紹介してもらい、宰相補佐クラウド・レギンバース伯爵に後援してもらって王立学園編入にこぎ着けたというのに、編入して一週間余りでメイド成分不足が原因で体を壊してしまったなどと、冗談にもならない恥ずかしい話である。
メロディ自身、メイドの仕事が大好きな自覚はあったが、まさか気付かないないうちに体調に異変を来してしまうほどとは思いもしなかった。とはいえ、普通に考えれば「そんな馬鹿な」と、当の本人であるメロディでさえそう言いたくなるような理由で、自分から言い出した仕事を放り投げることなどできるはずがない。
あの時、ルシアナがバッサリ切り捨てるように説得してくれなかったら、今こうして仕事が楽しみな自分はいなかったことだろう。ルシアナには感謝してもしきれない。
(お嬢様、私、これまで以上にお嬢様にしっかりお仕えしますね! メイドとして!)
身支度を完全に終えたメロディは、窓を閉めると意気揚々と部屋を後にした。
◆◆◆
「お嬢様、おはようございます」
「うーん……あといつかぁ」
「そこはせめて『あと五分』くらいにしてください」
まだ眠そうなルシアナをどうにか起き上がらせて、メロディは目覚めの紅茶を差し出した。まだきちんと瞼さえ開いていない状態だが、最早習慣になっているのか目をつむったままルシアナは優雅な仕草で紅茶をひとくち飲んだ。
温かい紅茶がルシアナの喉を滑り落ちると、彼女の口から恍惚とした息が零れ出る。
「ほぅ。起き抜けにメロディの紅茶を飲むと、朝が来たって実感するわね」
「目が覚めましたか、お嬢様」
「うん。おはよう、メロディ」
直前までの寝ぼけ眼などなかったかのように、ルシアナはふわりと微笑んだ。
ここ最近はマイカの紅茶で目を覚ましていたが、やはりメロディが淹れる紅茶は別格だと、ルシアナはそう思うのだった。
サッと寝間着から部屋着に着替えさせ、メロディはルシアナに朝食を用意した。食べ終えると身支度を整え、制服に着替えさせる。
「朝食前に部屋着に着替えさせられるのが一手間無駄な気がするのよね」
制服を着付けてもらいながらルシアナがぼやいた。朝食を食べるくらい、寝間着姿で十分ではないかとルシアナは思うのだが、そうもいかないらしい。メロディだけでなく、セレーナから指導を受けたマイカもまたそういうものだと言って許してはくれなかったのだ。
「そう仰いますけど、ご実家ではどうだったんですか?」
「いや、まあ、着替えさせられてたけど……」
「そうでしょうね。貴族令嬢が寝間着姿を人前に晒していいわけがありませんもの。この寮だって今は私とお嬢様だけですけど、昨日まではリュークがいたんですから」
使用人とはいえ男性の前で寝間着姿を晒すなどあってはならないことだ。メイドとして、絶対に許容できない問題である。
「分かってはいるんだけど、面倒くさいんだもん」
「……お嬢様にも必要かもしれませんね」
着替えながら不機嫌そうに呟くルシアナに対し、メロディは独り言のようにそう言った。ルシアナは耳ざとくメロディの言葉を拾う。
「必要って?」
「貴族令嬢向け短期集中こ――」
「着替え完了!」
聞いてはならない言葉が聞こえそうになり、ルシアナは何も聞こえていないような態度を見せた。幸い、メロディが言い切る前に制服の着替えが終わったので、慌てて鞄を手にしてメロディの下を離れようとする。
「あ、お嬢様!」
ルシアナは机の上に置かれていた鞄を持つと呼び止める声を背に、メロディ直伝の華麗なステップを駆使して玄関へ向かった。
あまりの自然で速い足運びに一瞬ポカンと呆けてしまうが、メロディはすぐに我に返ると慌てた様子でルシアナの後を追った。
「お嬢様!」
玄関には、普段よりも二割増しでキラキラ輝いて見える優雅なルシアナの姿があった。意識的に佇まいに気を付けていることが分かる。一見するといいとこのお嬢様のようだ。
「おほほ、それでは行って参りますね、メロディ。わたくし、勉強を頑張ってきますわ」
「お嬢様、『わたくし』なんて言葉遣い、いつも使っていませんでしたよね!? どうしました!?」
「うふふ、ほら、わたくしもその気になれば貴族令嬢らしく振る舞えますのよ。だから……短期集中講座なんて必要ないんだからね! 行ってきまーす!」
「せめて最後まで取り繕ってください! 行ってらっしゃいませ!」
メロディが追いつく前にルシアナは玄関の扉を潜ると、笑顔で手を振って寮の部屋を出てしまうのであった。
玄関扉がパタリと閉まり、メロディが到着して扉を開けると既にルシアナの姿はなかった。
「もう、お嬢様ったら……」
走ったためか少し呼吸を乱して人気の無くなった廊下を見つめながら、メロディは思わず口元を綻ばせる。
慌ただしい朝の遣り取りが、日常に帰ってきたことを表わしているようで内心の喜びを抑えることができなかったようだ。
(……おかえりなさい、私)
今回のセシリアの編入は多くの人に迷惑を掛けた。編入に手を貸してくれたクラウドだけではなく、主であるルシアナ、マイカ達同僚、そして学園の教師やクラスメート……数えだしたら切りが無い。
だからこそ、メロディは想う。
(メイドに戻った以上、その仕事をしっかり頑張らないと!)
謎の編入生セシリア・マクマーデンの役から降りると決めた以上、メイドのメロディ・ウェーブとしては今まで以上に力を尽くそう。
玄関扉を閉めて、寮の部屋をクルリと見渡す。そして大きく頷いた。
「メロディ・ウェーブ、行きます!」
こうして、メロディは日常への帰還を果たす気合いの入った一歩を踏み出した。
☆☆☆あとがき☆☆☆
5月15日(水)よりオールワークスメイド小説5巻が発売です!
というか明日ですね!
いつも結局買ってるわという方にはぜひとも発売初週にドカンとご購入いただけると嬉しいです。書店にない場合はネット通販でよろしくお願いします。
第6章は今日から毎日更新でやっていく予定ですが、実はまだ最後まで書き終えていないので自転車操業的更新?になります。
どうか更新が途絶えないことを祈ってくださいませ。頑張ります。
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