第6章

プロローグ

 その事件は学園舞踏祭の開催を控えたある日、王立学園で起こった。


 人気の無い学園の一角。

 伯爵令嬢セシリア・レギンバースと王太子クリストファー・フォン・テオラスの二人が対峙していた。


 すわ逢い引きかといえば、そんな雰囲気は見受けられない。

 むしろ緊迫した状況であった。


「クリストファー様! 正気に戻ってください!」


 セシリアは叫んだが、その悲痛な声は目の前の男、クリストファーに届かない。茨のような黒い紋様を全身に浮かべた男は、冷徹な視線でセシリアをいつらぬく。


 そして、腰から剣を抜くとその切っ先をセシリアへ向けた。


「――!?」


 息を呑んだセシリアは思わず一歩後退る。学園舞踏祭開催に向けて準備中、突然様子がおかしくなった彼を追い掛けてみれば、この唐突な事態だ。


 何が起きているのか分からない。しかし、全身に浮かぶ茨のような紋様が異常事態を告げている。そして、茨から迸る黒い魔力の存在をセシリアの瞳ははっきりと捉えていた。


(あれは、ルトルバーグさんに纏わり付いていた……)


 セシリアの胸がギュッと締め付けられた。


 ルシアナ・ルトルバーグ伯爵令嬢。

 謎の黒い力に操られ、役に立たないからと無残にその命を奪われた哀れな少女。友達になることさえ叶わなかった、もうこの世にいないクラスメート。


(まさかあれと同じ何かが、今度はクリストファー様に? ……させない)


 恐怖に支配されていた心に勇気の光が差し込む。


「……もうこれ以上」


 後退った足が一歩前へ出た。


「誰も、死なせない!」


(今度こそ助ける。クリストファー様を、取り戻してみせる! 黒い力になんて負けない!)


 心を失った冷徹な瞳と、決意の光を灯した熱情の瞳が向かい合う。


 クリストファーを救うため、セシリアのたった一人の戦いが今、始まる――。







「やった! セシリアちゃんの単独戦闘に持ち込めたよ、杏奈お姉ちゃん!」


 テレビ画面のテキストを読みながらコントローラーを持つ少女、栗田舞花が喜びを露わにした。


「よくやったわ、舞花ちゃん。クリストファールート完全攻略に一歩近づいたわね!」


 隣に腰を下ろす少女、朝倉杏奈も我が事のように笑みを浮かべる。


 二人がプレイしているのは乙女ゲーム『銀の聖女と五つの誓い』。今日は攻略対象者筆頭、王太子クリストファーを攻略するつもりのようだ。


「私、このイベントの時、いつも他のキャラクターが助っ人に来ちゃってたんだよね」



「私も初めてプレイした時はそうだったわ。だって他にもイケメンがいたらつい好感度上げたくなっちゃうんだもの」


「わかるー」


 画面上では、一対一で戦うセシリアとクリストファーの姿が映し出されているが、このイベントは攻略対象者との親密度によって状況が変動する設定になっていた。


「イベント発生時のクリストファーに他キャラクターの二倍以上の好感度がないと一対一の戦闘に持ち込めないとか、初見だと難しいよ」


「このイベントがなくてもクリストファーは攻略できるしね。条件を満たさないとクリストファーを除いた四人の中で一番好感度の高いキャラクターが助っ人として現れる設定だから、一対一の戦闘パターンがあるなんて攻略サイトを見るまで私も知らなかったわ」


「助っ人って実質マクスウェルかレクティアスでしょ?」


「この時点で登場回数の少ないビュークとシュレーディンは厳しいけど、狙ってやれば不可能ではないみたいよ? 少ない機会で好感度を上げつつ、他三人とは親しくならなければいいらしいわ」


「そうなんだ。これが終わったら挑戦してみようかな。楽しみ! 頑張ろうね、杏奈お姉ちゃん」


「ええ、二人で全イベント達成よ、舞花ちゃん」


「……ゲームするのはいいんだけどさ、なんで俺の部屋でするかね?」


 テレビ画面の前でニシシと笑う二人の背中に、気怠そうな男の声がかけられる。


 舞花の兄で杏奈の幼馴染み、栗田秀樹だ。彼はさっきまで自室のベッドの上でダラリと漫画を読んでいたが、今は横向きに寝転がりながら二人へ半目を向けている。


「俺としてはせっかくの休日を一人でゆっくり過ごしたいんだけど?」


「しょうがないでしょ。お兄ちゃんの部屋のテレビの方が大きいんだから」


「だったらリビングでいいじゃん」


「リビングはお父さんがテレビ見てるでしょ。せっかくのお休みをゆっくり過ごしてるんだから邪魔しちゃ悪いよ」


「おーい、ついさっき同じセリフを言ったお兄様が目の前にいるんですけどぉ?」


「もう、ちょっとくらいいいじゃない。ホントに秀樹は心が狭いんだから。モテない男子の部屋に美少女が二人も来てあげてるんだから快く受け入れなさいよ」


「……美少女?」


 秀樹は心底不思議そうに部屋の中を見回した。杏奈の額にピキリと青筋が浮かぶ。彼女がゆらりと立ち上がると秀樹は跳ね起きて壁に後退った。


「ホントにあんたときたら毎度毎度デリカシーのないことを」


「いやいや、これはあれだ、純粋な疑問をだな」


「なお悪いわ!」


 そんな光景を眺めながら、舞花はクスリと微笑んだ。


(ふふふ、ホントに仲がいいんだから)


 舞花の傍らで言い合いを始める二人。だが、こんなものは単なるじゃれ合いに過ぎないと舞花は知っている。舞花が物心ついた頃には既にあんな感じで、高校生になった今でもこの関係は続いているのだ。何の心配もいらない。


 その時、舞花の手元が突然ブルルと震えた。ゲームのコントローラーだ。


「うひゃっ!?」


 慌ててテレビ画面に目を向けると、戦闘中のセシリアが大ダメージを受けてしまったらしい。


「杏奈お姉ちゃん、なんか負けそう!」


「いっけない! 一対一は戦闘の難易度が高いんだった。秀樹に構ってる場合じゃなかったわ」


 再び二人の視線がゲームに集中する。負けたらまたイベントをやり直しだ。正念場である。

 二人の背中を見つめながら秀樹はホッと息を吐くと、テレビを眺めながら疑問を口にした。


「なんで攻略対象者と戦ってるんだ?」


「そういうイベントなの!」


「ふーん」


「くう、助っ人がいないと決定打に欠けるよ~」


「ヒロインちゃんは支援タイプだから一対一の戦闘は難しいのよね。でも、ここを乗り越えて限定スチルをゲットしましょう。頑張って、舞花ちゃん」


「がんばれー、まいかー」


「お兄ちゃん、応援雑! きゃあっ! また大ダメージ!? 回復回復!」


 ヒロインが攻撃を受けるたびに舞花が持つコントローラーが大きく振動した。


「頑張って、私のヒロインちゃーん!」








「……がんばってぇ……わたしのひー………ふぇ?」


 唐突にゲーム画面が途切れてしまったかのように舞花の、いや、マイカの視界が切り替わった。右の手のひらにブルブルと振動が伝わってくる。ゲームのコントローラーかと思ったが違う。

 メロディから贈られた『魔法使いの卵ウォーヴァデルマーゴ』だ。眠っている間に握りしめていたらしい。


 マイカの心と定期的に同調し、いずれ彼女が魔法を使えるようになるためのパートナーが生まれる仕様らしいが、まだ卵が孵る兆候はない。今はただ、小さく震えて同調を示すのみである。


 マイカはゆっくりとベッドから起き上がり周囲を見回した。今となってはもう見慣れてしまったルトルバーグ家のマイカの部屋だ。


「……そっか、夢か……そうだよね」


 大好きな二人と一緒に過ごす夢を久しぶりに見た気がする。マイカは眉尻を下げて微笑んだ。

 こちらの世界に来てからというもの、大人になった記憶は霞がかったようにはっきりしないが、還暦まで生きたことは覚えている。


 それだけの長い時間をかけてもうとっくに心の整理をつけたつもりだったが、今は中学生の、二人を亡くした頃の記憶が鮮明なせいか、二人の夢を見れて嬉しい反面、酷く寂しい。


 握ったままの『魔法使いの卵』が再び小さく震えた。


「あっ、いけない。今何時!?」


 ようやく本格的に目が覚めてきたのか、今日の予定を思い出して慌て始めるマイカ。

 本日は十月二日。リューク、レクトを伴ってメロディの転移魔法でルトルバーグ領へ送ってもらう日だ。今日は授業がある日なのでメロディが屋敷に来るのはルシアナの登校を見送ってからになるが、それまでに支度を終えなくてはならない。さすがにゆっくりとはしていられなかった。


 慌てながらもテキパキと身支度を整えるマイカ。セレーナの教育の賜物である。十月に入り衣替えをしたので、長袖のメイド服に身を包む。


「よし、準備完了! いってきまーす!」


 日本にいた頃の夢を見たせいだろうか。まるで今から学校に登校するかのような挨拶をして、マイカは無人の部屋を出るのだった。



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