エピローグ後編 君は誰だ

 ルトルバーグ伯爵領へ静養に向かったセシリアを見送った後、レギンバース伯爵クラウドは物憂げに馬車の椅子に腰掛けていた。


(ああ、なぜこんな気持ちになるのだろうか。どうしてこうも離れがたいのだ……)


 クラウドの脳裏にセシリアの笑顔がちらついて離れない。

 春の舞踏会に一度、そして夏の舞踏会と王立学園編入の面談など、ほんの少ししか会う機会のなかった少女が、クラウドの心を掴んで離さなかった。


 異性として見ているわけではない。それだけは断言できる。しかし、自身が彼女に執着していることは職場の一部で話題になり始めていたらしい。ルトルバーグ伯爵ヒューズに指摘されて、少し客観的に今の自分を確認できたことは幸いだったといえる。


(……いい年した男が娘と同じ年齢の少女に執着しているなど……我がことながら悍ましい)


 自分としては彼女に不埒な感情を抱いていないと断言できるが、それを他人に求めたところで理解してもらえるとは到底思えない。他人がそんなことを言ったとしてクラウド自身がそれを信じるかと言えば……まあ、ないだろう。


(それに客観的に見直すことができたからこそ、改めてもう一つの問題が浮き彫りになっていく)


 愛するセレナと自分の間に生まれた少女、セレディア。

 セレナは彼女にセレスティという名前を付けたが、クラウドが引き取り貴族令嬢として養育する以上、平民の時の名前は使わない方がよいだろうと、セレディアという名前を与えた。


(本当はセシリアと名付けるつもりだったが、あの娘と同名というわけにはいかないからな。出会った順番が悪かったとしか言えん)


 騎士セブレが発見し、伯爵家へ連れ帰ってからというもの客観的に見てかなり理不尽な扱いをしてきたのではないだろうか。


 突然父親と名乗る人物に呼ばれてきてみれば素っ気ない態度で扱われ、その後は貴族の慣習に従って教育が続く日々。父親は頻繁に会いに来ず、同じ屋敷にいても食事も一緒に取らない。


 繊細な娘であれば初日から泣き暮らしていてもおかしくない冷遇ぶりだ。食事といい暮らしをさせていれば幸せというわけではないのだ。肉親がすぐそばにいるのに愛がなさ過ぎる!


(そうしてしまった最たる理由が、娘を娘として愛する自信が持てなかったからなどと聞かされても、そう簡単に納得することもできないだろうな)


 愛する女性との間に生まれた娘。一目見ればきっと愛が溢れてくると思っていた。

 今でもセレナへの愛は湧き水のごとく生まれ続けている。だから、きっと娘にも同様の愛を、家族の情を交わすことができるだろうと考えていたというのに……。


(まさか何の感情も湧いてこないとは……改めて最低な父親だな、私は)


 その現実を受け入れられず娘セレディアを遠ざけていたわけだが、セシリアが王都から離れた今が心を入れ替える良い機会なのかもしれない。


「今夜はセレディアと夕食を取りたい。話を通しておいてくれ」


「畏まりました」


 執事に命じ、セレディアを夕食に誘う。ほどなくして相手からも了承を得た。


(まずはここからだ。家族の情を少しずつ育んでいこう)







 仕事をこなしているうちに夕刻となり、クラウドは食堂でセレディアと相対した。


「お誘いくださりありがとうございます、お父様」


「ああ……掛けなさい」


「はい」


 テーブルに対面で腰掛け、料理を待つ。


(……沈黙がつらい)


 セレディアはニコニコとこちらへ微笑みかけるだけで静かなものだ。


(やはりここは、父親として私から話題を提供せねばならんのだろうな)


「……時にセレディア。学園はどうだ。何か楽しめるものはあったか」


 クラウドが無難な質問を投げ掛けると、セレディアは少し切なそうな笑顔を浮かべて言った。


「先日、シエスティーナ様から馬の遠乗りにお誘いいただいて参加してきました。シエスティーナ様の後ろに乗せていただいたんですよ」


 嬉しそうに語るセレディアに、クラウドは少し後ろめたい気持ちになった。なぜなら、それについては既に知らされているからだ。


 セレディア、そしてセシリアが参加するということで護衛や馬の手配をするよう命じたのはクラウド自信なのだから。また、レクトにはセシリアの護衛をするよう命じ、帰ってきてから遠乗りがどんなものであったのか報告させたりもした。


(今となっては穴があったら入りたいほど酷い執着だな。娘ではなくセシリア嬢の近況を報告させたことが、今振り返ってみれば恐ろしい)


 レクトもよく付き合ってくれたものだと、口には出さないがクラウドはとても感謝していた。


「それで私、あまりに殿下が馬を揺らすものですから酔ってしまって」


「そうか」


 食事をしながら、楽しそうに話す娘に不器用ながらも相槌を打っていくクラウド。


(今はまだこれでいい。まだまだぎこちないが、これからも少しずつ慣らしていって愛情を育んでいけばいい。大丈夫だ、セレナ。俺はきっと上手くやってみせるよ)




 話の合間にワインを口に付けながら、クラウドはどうにか娘との会話をこなしていった。

 だが、そんな和気藹々とした家族の風景は――脆くも崩れ去ってしまう。




 それは、メインに肉料理が運ばれたタイミングだった。

 ワインを口に付ける。


(ふぅ、少し普段より飲み過ぎたか。少し会話に隙間が生まれると酒を飲んで気持ちを誤魔化してしまうな。次から気を付けなければ……おや?)


 肉料理にはさっぱりとした付け合わせが添えられていた。

 それは、プラームルであった。

 チェリーによく似た果実で、その酸味は思わず口をすぼめてしまうほど。


 クラウドの若かりし頃の思い出が蘇る。


『酸っぱい物は健康にいいんです』


 使用人食堂に遊びに行った時だった。休憩中だったセレナは食事の最後に決まってプラームルを口に含んでいた。健康にいいからと食べていたが、同時にこれが苦手だったことも覚えている。


『苦手でも健康にいいから食べるんです! あー、酸っぱい!』


 在りし日の思い出。まだ二人が恋仲になる前の何気ない雑談。

 クラウドはそれを思い出し、クスリと笑ってしまった。


「どうされたのですか、お父様?」


 セレディアが不思議そうにこちらを見ていた。


「いや、これがな」


 クラウドはフォークでプラームルを指した。

 セレディアはまだ不思議そうにそれを覗き込む。


「そなたの母がまだこの屋敷に務めていた頃、彼女は毎日のようにこのプラームルを食べていたことを思い出してな」


「……」


「彼女のことだからお前と暮らしていた頃も食べていたことだろうよ」


「え? えっと……ああ、はい! お母様はよくこれを食べていました」


「やはりそうか」


 クラウドは肉料理を一口頬張り、そして口直しにプラームルを口に入れた。強い酸味が口内に広がり、クラウドもまたセレナのように口をすぼめたくなるが食事の作法としてどうにか堪えた。


(ふぅ、やはり酸っぱい。こんなに酸っぱい物を毎日食べていたならちゃんと健康なまま私の下へ戻ってきてくれればよかったものを)


「ええ、ええ。お母様はよくこれを食べておりました――だからと仰って」


「ふふ、そう…………か……?」


 料理を口に運ぶ手が止まった。

 今、セレディアは何と言っただろうか?


(今、好物と言ったか? セレナが? 聞き間違いか? いや、セレディアは確かに好物と)


「お父様、お食事を止めてどうされました?」


「あ、いや……この肉を食べた後はプラームルを食べるのかと思うと少し憂鬱でな……私酸っぱい物は苦手だから」


「まあ、お父様酸っぱい物が苦手なのですね」


「ああ、お前の母はよくプラームルを食べていたのにな」


「ええ、それはもう。この酸っぱさは、好きでもなければ好んで食べられませんわ。んーっ!」


 セレディアからは明らかに『セレナは酸っぱい物好きでプラームルが好物だった』という話を聞くことができた。


(だが、私の知るセレナは『酸っぱい物は苦手だが健康にいいからよく食べている』という話だ。食べているうちに好きになった? それとも娘の教育の過程でそう語っただけ? それとも単にセレディアの覚え違い……ああ、そうだ。そうに違いない。きっと彼女はプラームルを好きとも嫌いとも伝えていなかったのだろう。セレディアはよくプラームルを食べるセレナの姿を見て勝手に好きだと勘違いしたに違いない)


 そう結論づけたはずなのに、クラウドの心は動揺を抑えることができなかった。気分を切り替えようとワイングラスに手を伸ばす。酒の力に頼ろうとしたのだろう。



 しかし、彼はそのワインを口に入れることはできなかった。



「プラームルといえば、お父様もご存知のセシリアさんという方なんですけど」


 クラウドはワイングラスを手に持ったまま止めた。


「セシリア嬢か。彼女がどうかしたのか」


「ええ。それが面白いのですけど……」


 セレディアは口元を隠して可笑しそうに笑いながらこう言った。


「セシリアさんの亡くなったお母様もプラームルをよく食されていたそうなんです。何でも、酸っぱい物が苦手なのに『酸っぱい物は健康にいいのよ』と仰ってよく食されていたんですって。苦手なのにわざわざ食べ続けるだなんて、面白いでしょう?」



 ――カシャンッ。



 気が付けば、クラウドはワイングラスを取りこぼしていた。

 ズボンにワインが掛かり、床に落ちるとグラスが割れてしまった。


「あら大変。お父様、大丈夫ですか? ……お父様?」


 セレディアがこちらを心配そうに見つめるが、クラウドの心はそれどころではなかった。頭痛でもするのか眉間を揉みほぐし、彼はゆっくりと立ち上がった。


「……すまない、セレディア。お前との久々の夕食に緊張して、どうやら少々飲み過ぎてしまったようだ。服も着替えたいし、すまないが今日はこれまでにしよう。残りの料理は好きに食べてくれ」


「え、ええ、分かりました。お大事になさってください、お父様」


「……」


 クラウドはもうセレディアの挨拶に返事をする余裕もなくなっていた。食堂を出た彼は着替えるために寝室へ――行かず、執務室に向かった。


 歩く、歩く、少しずつ歩く速度が増していく。

 最早それは歩いているのか走っているのか分からないほどに速く、クラウドの呼吸は乱れていった。しかしそれは、足早に歩いたせいだろうか。


 クライドは大粒の涙を流しながら執務室の扉を開いた。

 執務室に入るとまず彼は扉に鍵を掛けた。執務机の引き出しを開けて、小さな額縁に入った女性の肖像画を机の上に立てた。その間もクラウドの瞳からは涙が流れ続けている。


「なぜ、なぜなんだ……セレナ」


 消え入るような男の声が肖像画へ呼び掛ける。クラウドは両手で顔を覆った。指に力が入り、顔面を握りつぶそうとするかのように、何かに耐えるように。


「なぜだ、なぜ……セレディアではなく……セシリア嬢の母君が、君と同じことを言うのだ。私と君の娘は、セレディアだろう? なのに、なぜ……なぜ!」


 誰にも気取られぬよう、誰にも聞かれぬよう、声を押し殺すようにクラウドは泣いた。


 クラウドの脳裏にセシリアの顔が浮かぶ。

 髪の色も目の色も、自分ともセレナとも全く違うその姿……だというのに、なぜ? なぜ!?


(どうして彼女の中に……君が、いるんだ……セレナ)







 セシリア・マクマーデン。


 君は一体――誰なんだ?




☆☆☆あとがき☆☆☆

第5章おわり。

ここまでお付き合いいただきありがとうございます。

私自身、第5章の展開にはかなり悩みました。

あのままメロディが学園生活を継続する流れも勿論考えましたが、それでも私は最終的に今回の結末を選択しました。

今でもこれでよかったと思っています。

これに関しては第5巻のあとがきで少し書こうかなと思案中です。

え? 今書かないのかって?

……あとがき書くにもネタが欲しいので許してください。

気になる人は第5巻を買ってね♪


第5巻の発売日や予約開始日などは詳細が判明次第お知らせします。

書籍版はWEB版よりすこーし加筆されますので、よかったら手に取っていただけると嬉しいです。


それでは次回は第6章でお会いしましょう。

なるべく早く再開できるよう頑張ります!


普通にクラウドが可哀想なのでどこかで救済してあげたい……ごめんね、パパさん。

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