第39話 こんにちはメロディ
「さて、しばらくマイカとリュークがいない日が続くから、しばらくは私とメロディの二人で頑張っていきましょうね」
「はい、お嬢様」
メロディは学生セシリアではなく、メイドのメロディとして再び王立学園の敷地に足を踏み入れた。これからは脇目も振らずメイドの業務に邁進する所存である。
久しぶりに管理する部屋の状況を確認している時だった。
来客を告げるベルが鳴った。
「お休みの日に誰かしら。サーシャかな。ルーナ様がお嬢様にご用事でも? はい、どちら様でございましょうか……あっ」
「えっと、ルシアナ様はいらっしゃいますか。私、同級生のキャロル・ミスイードって言うんですけど、今会ってもらうことってできますか?」
(どうしてキャロルさんがここに?)
来客は、同級生のキャロル・ミスイードだった。
彼女はセシリアとは寮で隣室、教室では席も隣と関係があったが、ルシアナとの接点はあまりなかった気がするのだが……お客が来た以上は詮索する必要もなし。
おもてなしの時間だ。
メロディはニコリと微笑むと恭しく一礼した。
「いらっしゃいませ。只今ルシアナ様にご都合を伺って参りますので少々お待ちください」
「あ、はい」
メロディはルシアナのいる寝室へ向かうのだった。
◆◆◆
ルシアナの下へ向かうメイドの少女の背中を見つめながら、キャロルは現在進行形で混乱していた。ちょっと予想外の事態に陥ってしまったからだ。
キャロルの目が、絵描きとして本質を捉える彼女の才能が、ひとつの答えを導き出していた。
「どういうこと……?」
だが、彼女の直感が導き出した答えをキャロル自身はすぐに消化することができなかった。
しばらく待っていると、メイドの少女が戻ってきた。
「お待たせしました。お嬢様がお会いになるそうです。ご案内致します、どうぞ」
応接室へ案内されるキャロル。その間、彼女はジッとメイドの背中を凝視していた。
「いらっしゃい、ミスイードさん」
「あの、今日は突然押しかけてすみませんでした」
応接室には既にルシアナがいて出迎えてくれた。クラスメートとはいえ貴族令嬢に出迎えられるのは少し緊張してしまう。
「いいえ、訪ねてくれて嬉しいわ」
ニコリと微笑むルシアナからは気品が感じられ、キャロルは一層萎縮してしまう。
(ああもう、何しに来たのよ私! ちゃんとしろ!)
どうにか今日の来訪の目的を果たそうとした時だった。
「どうぞ、紅茶でございます」
先程のメイドの少女が紅茶の入ったティーカップをキャロルの前に置いた。
「え? あ……」
「どうぞお飲みになって。彼女の淹れてくれるお茶はとても美味しいのよ」
「はぁ、じゃあ……うわ、美味しい」
「でしょう? メロディが淹れてくれるお茶は世界一美味しいのよ」
「……あなた、メロディっていうんだ」
「はい。ルシアナお嬢様のメイド、メロディ・ウェーブと申します。どうぞお見知りおきくださいませ、キャロル様」
メロディと名乗ったメイドは、それはもう美しい所作でキャロルへ一礼した。
「……綺麗」
見蕩れるようにキャロルが呟くと、ルシアナは嬉しそうにニッコリ笑う。
「えへへ、うちのメロディは可愛いでしょ。世界で一番可愛いメイドなんだから」
ルシアナはなぜか自慢げに胸を張った。キャロルは目の前の光景に思わず目を点にしてしまう。「お嬢様、お言葉が崩れていますよ」
「もういいの。メロディのことを褒められる人とはもっと砕けて話したいわ。いいでしょう、ミスイードさん……と呼ぶのも面倒ね。キャロルって呼んでいい?」
「……ルシアナ様ってそんな風にしゃべるんですね」
「あら、仲がいい人とはいつもこんな感じよ。今日からキャロルも一緒ね!」
「は、はぁ」
「お嬢様、いきなり過ぎます。キャロル様が付いてこれていませんよ」
「こういうのは慣れよ、慣れ。これから改めてよろしくね、キャロル」
「えっと……分かり、ました?」
「そういえば、何か用事があってきたのよね? あ、メロディ。紅茶おかわり」
「あ、はい……えっと……」
今日のキャロルはとある目的があってルシアナを訪ねた。彼女ならキャロルの知りたい情報を持っているのではと思い至ったからだ。
だが、彼女の目的は今、どうしてよいのかよく分からない状態となっていて、キャロル自身、気持ちの整理がついていなかった。
そのせいで言葉に詰まってしまう。
どうしようと視線をさまよわせた時――。
キャロルにとって福音とも言うべき光景が広がっていた。
彼女の目に飛び込んできたのは、ワゴンに乗せたティーカップに艶めかしい黒髪のメイドがティーポットから紅茶を注いでいる情景。
言ってしまえばだたそれだけ。だが、キャロルはその風景に魅入られた。いつの間にか立ち上がり、思わず口元を両手で押さえる。
背筋をゾワゾワと冷たいものが駆け巡り、ゆっくりと目が見開かれていった。
ティーポットから最後の一滴が注がれ終わった時、紅茶の水面がポチャリと揺れて、波紋を生み出したその瞬間、この情景は完成したのだとキャロルは戦慄する。
何もかもが色彩に溢れていた。空気も音も、食器も紅茶の一滴でさえも、全てに感情が込められていた。その中核が何であるかなどキャロルが考える必要はなかった。
「そうか……だからずっと……色が、なかったのね」
「え? キャロル? どうしたの!?」
気が付けば足の力が抜けてソファーに体を預けていた。興奮したせいか呼吸が荒い。口元にあった両手は、今は胸を押さえている。普段よりも早鐘を打つ心臓のリズムが心地よい。
そしてキャロルは立ち上がった。
「えっと、キャロル? 大丈夫?」
「ああ、ダメ……描かなくちゃ、刻まなくちゃ。忘れないうちに、この溢れる色彩を!」
突然大きな声を上げたキャロルにルシアナ達は目を点にして驚いた。
「帰ります!」
「え!? 用事があったんじゃなかったの?」
「必要なくなったので。すみません、私、早く帰って描かないと!」
「全然分かんないんだけど!?」
ルシアナの混乱など無視するように、キャロルは部屋を出るべく歩き出した。メロディも状況についていけず、呆然とキャロルを見送っている。
だが、応接室を出る直前、キャロルは振り返ってメロディに告げた。
「メロディ、もう透明になんてなっちゃダメよ。その色、溢れんばかりの色彩を忘れないで」
「し、色彩?」
メロディは自身の姿を確認した。白と黒をベースにしたメイド服姿である。髪も目も黒いので色彩というよりはモノクロである……が、キャロルには何かが見えているのかもしれない。
それだけ言うとキャロルはルシアナの部屋を出て自室に帰るべく走り出した。
「もう、あの子ってば『魔力酔い』になって休学したんじゃなかったの!? ルシアナ様に状況を聞こうと思ったらあんな色鮮やかになって戻ってくるなんて! 素晴らしい! アメイジング!」
(ああ、でもでも! 今の私に伝えられる? 私の技術であの美しさを表現できる? あんなに活き活きして、人生の尊さを全身で表現していたあの子を、私に描けるの!?)
私には無理かもしれない。私の技量じゃ足りないかもしれない。
だけど、だけど――!
あの光景を――黒髪のメイドが金髪の少女に紅茶を淹れるあの一瞬を。
(私は、描きたい!)
自室に戻ったキャロルは机の上に置きっぱなしにしていた選択授業の申込用紙を手に取った。
彼女はそこに何かしら記すと慌ただしく部屋を出て行くのだった。
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