第38話 さよならセシリア

 九月二十五日。

 王立学園の医務室に、男性使用人に抱えられたセシリアがルシアナとともに入室した。顔色は悪く、三日前に倒れて以降、あまり改善はしていないことが窺える。

 養護教諭に促され、セシリアをベッドに寝かせた。


「おはよう、マクマーデンさん。ご気分はいかが?」


「……おはようございます、先生。ここのところ、ずっとボーッとして……」


 セシリアはうっすらと目を開けて養護教諭を見た。

 しかし、それもつらいのか視点が定まらないようだ。


「そう。今から検査の準備を始めるからそこで少し休んでいてね」


「……ありがとう、ございます」


 セシリアは養護教諭に礼を告げると、ゆっくりと瞼を閉じるのだった。


(メロディ、演技派ね。素晴らしいわ!)


 神妙な顔つきでセシリアを見つめるルシアナは、心の中でメロディを褒め称えていた。

 検査の準備を待っていると、来客が現れた。レギンバース伯爵クラウドである。彼はセシリアが眠るベッドまで来ると、目を見開き愕然とした表情になった。


「……セシリア嬢」


「……んっ……あ、伯爵様?」


 演技派メロディは、クラウドの声に反応して意識を取り戻したように見せかけた。

 演技の方針は『薄幸の美少女』。クラウドに対しても健気な少女を演出します。


「……申し訳、ありません。私、せっかく……伯爵様が……」


「大丈夫だ。何も気にする必要はない。まずは検査をして様子をみよう」


 まるで風邪を引いた可愛い我が子に話しかけるようだ。クラウドは幼子をあやすように柔らかな笑みを浮かべ、セシリアが安心できるよう細心の注意を払った。


(ご、ごめんなさい、伯爵様。本当に、騙してごめんなさい!)


 演技を続けるものの、内心では冷や汗もののメロディである……ちなみに、メロディがクラウドに伝えていない最大の秘密は、もちろん彼女自身がクラウドの実の娘であることだが、残念ながらメロディ自身がその事実に気が付いていないのでどうしようもない。


「準備ができました。検査を開始します」


 検査魔法具は水晶玉のような形をしていた。水晶玉の中には無数に煌めく光の粒が漂っており、対象の魔力の流れを観測すると光の粒が動き出して状態を示す仕組みになっている。

 正しい魔力の流れなら光の粒は真円を描いて動き、そうでない場合は無軌道な奇跡を描くことになる。


 水晶玉から伸びる四本の管をセシリアの手足に固定し、とうとう検査が開始された。

 他者の魔力に鈍感なメロディだが、自身の体内を巡る魔力の制御には自信があった。何せ聖女の力に目覚めた直後から完全に制御してきているのだから。


 精密な感知技術で体内の魔力を完全に把握するメロディ。検査魔法具から検査用の魔力がメロディの体表に流れ出て、それを異物として捉えたメロディはより一層、検査魔法具の魔力の動きを正確に把握することができた。


 そこから分かったことは、この検査魔法具は対象の最も表層の魔力の乱れを計測することで深部魔力の動きを予測し、それを診断結果として表示しているらしい。


(つまり、体表の魔力を『魔力酔い』と診断できるように操作してやれば――)


「こ、これは……」


 養護教諭は目を見開き、検査魔法具とセシリアを何度も見返した。水晶玉の中の光の粒は一切の法則性を感じさせない酷い軌道を描いていた。


 つまり、これは……。


「残念ながら、セシリア・マクマーデンさんは『魔力酔い』と診断されました」


 俯き、沈黙するルシアナ達。そして、クラウドは苦しみに耐えるように歯を食いしばると、しばらくしてセシリアへ向けてこう告げた。


「……セシリア嬢、王立学園を一時休学したまえ。体調の回復を優先するように」


(申し訳ありません、伯爵様……)


 瞼を閉じて眠っていると思われるセシリアの頭を、クラウドはそっと撫でた。

 まるで愛しい我が子にするように。


 クラウドは立ち上がると「セシリア嬢のことを学園長に伝えてくる」とだけ言って、医務室を後にした。



 こうして、セシリア・マクマーデンの短い学園生活はあっけなく終わりを迎えたのである。







◆◆◆


 九月二十七日。

 本日は王立学園が休みの日。


 ルトルバーグ伯爵家の門前に一台の馬車が用意されていた。御者台に乗るのは紫髪の美青年リューク。馬車のそばで馬に跨がっている美青年は護衛騎士のレクト。馬車の中にはお世話係のメイドとしてマイカ、そして静養のために王都を出立する病人、セシリアがいた。


 今日、セシリアは『魔力酔い』の症状を抑えるためにルトルバーグ領へ静養の旅に出る。人員や馬車の手配、そして行き先までルシアナ達が事前に相談した通りに事を運ぶことができた。


 当初の予定通り、ルシアナは父ヒューズにクラウドの説得をお願いした。最初は渋っていたが、『レギンバース伯爵がセシリアに入れ込んでいる、懸想しているのでは』という噂が出始めているという進言にはかなりショックを受けていたそうだ。


 相当不本意だったようで、ヒューズの提案は大体受け入れられた形だ。そして、護衛に関してもルシアナの予想通りであった。ルトルバーグ家で用意できる護衛がいないことは把握されていたのでレギンバース伯爵家から立候補したレクトが参加している。


 全ての準備が整った頃、メロディは力を振り絞って別れの挨拶をするセシリアを演じた。馬車から顔を出し、無理をしているけれど精一杯の笑顔を作り、クラウドへ礼を告げる。


「伯爵様、お見送りに来てくださって、ありがとうございます」


「セシリア嬢、無理をしなくていい。さあ、馬車の中で寛ぎたまえ」


「……伯爵様、私、また体調が回復したら、ご挨拶に戻って……」


「それは嬉しいが、まずは静養に専念したまえ。その日が来ることをずっと待っているとも」


「はい。いずれまた……」


「ああ、また……」


 セシリアはぎこちないながらもニコリと笑った。クラウドは泣きそうな笑顔を浮かべ、そして馬車は走り出した。


「ご安心ください、閣下。領地には代官の弟がおります。しっかり面倒を見るよう手紙に認めておりますので」


「……ああ、よろしく頼む、ルトルバーグ殿」


 セシリアを乗せた馬車はすぐに見えなくなった。

 クラウドはじっとその光景を見つめていた。







◆◆◆


「メロディ先輩、再会の約束なんてしてよかったんですか?」


 セシリアを乗せた馬車の中で、マイカが首を傾げながら尋ねる。馬車の小窓にはカーテンが敷かれ、さっきまで息も絶え絶えだったセシリアは普通に腰掛けていた。


「うん。さすがにこれだけご迷惑を掛けた伯爵様にこのままお別れとはいかないもの。時折、調子が戻りましたと言ってご挨拶するくらいは設定的にも問題ないんじゃないかな」


「まあ、舞踏会には普通に参加していますしね、数日滞在とかなら問題なさそうです」


(仕方がない事とはいえ伯爵様には本当に申し訳ないことをしてしまったもの。何か償いができればいいんだけど……)


 ある程度馬車が進むと人気のない街道に到着した。馬車を路肩に止めてレクトとリュークが本当に誰にも見られていないかを確認し、お墨付きをもらったマイカと、メイド姿のメロディが馬車から降り立った。


「レクトさん、付き合ってくれてありがとうございます」


「俺は君がセシリアとして学生になると決めた時から最後まで付き合うと決めていたんだ。もちろんそれは学生を辞めることも含まれている。だから、気にしないでくれ」


 レクトは苦笑して答えた。


「すみません、ありがとうございます」


「ここから俺達とメロディは別行動でいいんだな」


 リュークが尋ねた。メロディは首肯する。


「ええ、私は屋敷に戻ってこれからお嬢様と一緒に王立学園へ行く予定よ。皆はこれから、本当にルトルバーグ領へ向かうのよね」


「ああ、俺は閣下からセシリアを守るよう仰せつかっているから、途中で帰ったら大変なことになってしまう」


「旦那様からヒューバート様宛ての手紙を預かっているし、そろそろヒューバート様が倒壊した屋敷の件で王都に来る予定らしいから、この馬車で迎えに行ってほしいそうだ」


「ということは、往復十日と予定の調整に三日か五日かかるとして、最大十五日の旅かしら」


「まあ、そんなところだろう」


「長いです!」


 旅の長さに文句を言ったのはマイカだった。


「でも、前の旅とそんなに変わらないわよ、マイカちゃん」


「一番の問題はメロディ先輩が同行しないことですよ! 生活水準が激下がりです! せめて前に使った魔法のログハウスくらいないと厳しいですって」


 王立学園が夏期休暇になり、故郷へ帰省する旅の間の宿泊施設として作った魔法のログハウス。確かにそれがないとテントか野宿がメインとなり時々宿屋になるかもしれない。


「でもあれは私じゃないと扱えないし……」


「それは分かっています。だから提案があります! メロディ先輩の魔法で五日後に私達をルトルバーグ領の手前に送ってください。その間私達はお屋敷でお仕事してますんで」


 マイカの提案にメロディは目をパチクリさせて驚いたものの、割と合理的な意見な気がして他の二人の意見も確かめた。


 二人ははっきりと口にしなかったものの、王都で寛いでからの移動ができるならそっちの方がいいだろうなぁ、なんて考えていることはバレバレで。

 結局、メロディ達は全員、ルトルバーグ伯爵邸へ馬車ごと帰ってきたのである。


「それじゃあ、悪いんだけどセレーナ、レクトさん達のことをよろしくね」


「お任せください、お姉様。ただ、私はルトルバーグ領に行ったことがないので、皆さんを送り届けるのはお願いします」


「ええ、分かったわ」


「メロディ、そろそろ行くわよー!」


「あ、はーい。畏まりました! それじゃあ、行ってくるね」


「はい、お姉様……」


 メロディはセレーナにニコリと微笑むとルシアナが乗る馬車へと駆けていった。セレーナは楽しげに走るメロディの背中を見つめながら――ふと、意識が途切れた。


 立ったまま一度瞳を閉じて、ゆっくりと瞼が上がる。瑠璃色の瞳が煌めき、メロディの背中を愛おしげに見つめる。

 やがて馬車に辿り着くと、メロディは一度こちらへ振り返り軽く手を振ってくれた。


「行ってきます、セレーナ!」


「行ってらっしゃい!」


 メロディの挨拶に、セレーナも同じく返す。メロディが馬車に乗り込むと、セレーナは走り出した馬車に向かって優しく手を振った。


「……行ってらっしゃい。私の可愛いセレスティ」


 馬車が見えなくなった頃、セレーナは振っていた手を下ろした。

 そしてそっと瞳を閉じる。


 瞼がピクリと揺れたかと思うと、セレーナは目を開けて――。


「あら? お姉様は?」


 なぜかメロディの姿が見えないことを不思議に思うのだった。

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