第34話 私の可愛いセレスティ

「どうぞ、お嬢様」


「ありがとう、メロディ」


 メロディの部屋には勉強机しかなかったので、小ぶりな丸テーブルを出してルシアナ達はお茶を飲み始めた。ちなみに、ルシアナは勉強机の椅子に、マイカはベッドに腰掛けている。平民寮の部屋は狭いので、リュークとメロディは立ったままだ。病み上がりでよくやるものである。


 紅茶が一口喉を通ると、ルシアナの口から安らぐような息が零れ落ちた。


「ほぅ、やっぱりメロディの紅茶は最高ね」


「恐れ入ります」


「ようやく元に戻ってくれてよかったです」


「マイカ、ティーセットなんてよく持ち歩いていたわね」


「セレーナ先輩の短期集中講座の賜物ですね」


「いや、あの三日間でホントに何を教えたのよ、セレーナ」


「おい、いつになったら本題に入るんだ」


 メロディが復活したあたりからもうグッダグダである。

 さすがに軌道修正すべくリュークから横槍が入った。


「あ、ごめんね、リューク。それで、もうお分かりいただけたかと思いますが、メロディ先輩とメイドのお仕事は最早切っても切れない関係です。つまり何が言いたいかというとですね」


「……メロディに学園生活、無理じゃないかしら」


「まあ、そういうことになるんですよね」


「えええええっ!? どういうことですか!?」


 マイカの説明の途中でルシアナは理解したようだが、当の本人のメロディは納得できず驚いた。


「実際、学園生活を優先するとメイド業務に支障が出るので、回復したところで同じ事の繰り返しになると思うんですよね。正直、護衛のために生徒として潜り込んでもこれじゃあむしろ足手まといにしかならないと思うんです」


「ううっ!」


「マイカ、辛辣だな」


「私だって今回は凄く心配したんだもん。人には向き不向きがあると思うんだよね」


「マイカの言う通りね。私もメロディが倒れた時は凄く怖かった。今度こそ死んじゃったらどうしようって、本当に怖かったんだから」


「……お嬢様」


 やはり、ルトルバーグ領で一度死んだと思ったあの瞬間をルシアナは忘れることができないのだろう。ちょっとトラウマ級に引きずっているのかもしれない。

 だが、メロディだってルシアナを危険から守りたい気持ちは本物だ。反論くらいはある。


「皆にはご迷惑をおかけしたことをお詫びします。でも、お嬢様の安全のためにも私はセシリアとして頑張りたいと思っています。ですので、以前私が提案した生徒とメイドを両立させる二足の草鞋作戦について検討していただきたく思います!」


「却下よ」

「却下です」

「却下だな」


「えええええっ! なんでですか!?」


 三人からの一斉ダメ出し。メロディは悲痛な叫びを上げた。


「それ、結局体力的に限界を迎えて倒れちゃうパターンですよ」


「あと忙しすぎてどこかでボロが出そうね。セシリアの正体がメロディってバレるかも」


「そうなったら、メロディのメイドライフは――」


「そ、それはダメ!」


 一人二役というのはそう簡単な話ではない。今まではセシリアとしての時間が短かったおかげで大した問題にならなかったが、こまめに切り替える必要が出てくるといずれどこかでミスをするだろう。


 そしてその小さな綻びがメロディの正体に行き着き、魔法バレからのメイドライフ終了のお知らせとなる可能性は……そこまで低い確率ではないものと思われる。

 三人から指摘されたメロディもその可能性に思い至り、顔色を真っ青にしてしまった。


「――ぁっ」


「メロディ!」


 ふらり、とメロディは目眩を起こしたように体が揺れた。

 倒れそうになったところをすかさずリュークが支える。


「……ありがとう、リューク」


「治ったのは表面的な部分だけみたいだな」


「メロディ先輩も座ってください」


 マイカに促され、メロディはベッドに腰を下ろした。

 気分が落ち着いたのかメロディは冷静さを取り戻す。


「確かに、このままだとお嬢様を守るどころかご迷惑をお掛けするばかりですね」


「メロディ先輩、『分身』の先輩にセシリアを演じてもらうんじゃダメですか? これならメロディ先輩はメイドをしつつ、学園にもセシリアがいることにもなるからいい案だと思うんですけど」


「……正直『分身』は心許ないのよね。一人あたりに分け与えられる魔力量は大したことないし、一定のダメージを受けたら弾けて消えてしまうから……」


「うーん、何かの拍子に変装が解けたうえに弾けて消えたりでもしたら魔法バレのリスクが爆上がりしそうですね」


「でも、いざという時はお嬢様の盾になることはできそうね。多少リスクはあるけどいないよりはいた方が役に立つかな。何か魔法バレ対策を別で考えて……」


「あのさあ、私、思ったんだけど……」


 メロディとマイカが真剣に検討を重ねる中、ルシアナはある考えに辿り着いていた。それは二人の検討を無に帰す、本当に根本的な話だった。


「お嬢様?」


「……いらなくない? 護衛」


「お嬢様っ!?」


 別ルートでの護衛方法を模索していたメロディとマイカの一方で、護衛対象であるルシアナはそもそもの護衛不要論を提唱した。これにはメロディも驚きを隠せない。


「メロディが私に張り付いて護衛するっていうのは、例の黒い魔力の魔物のせいよね? でも、あれ以来出てこないじゃない。騎士団が王都中を隈なく探しても他にはいなかったわけでしょ? いるかどうかもはっきりしない存在のためにメロディが神経をすり減らす必要はないと思うのよ」


「で、でも……」


「そりゃあ、私だってメロディと一緒に学園に通えるって思った時は凄く嬉しかったけど、想像以上にメロディの負担は大きかったし、メロディに無理させてまで学生をやってもらうのは何か違う気がするのよね」


「お嬢様……」


「それにこの一週間、セシリアさんとは毎日会えたけど、メロディとは全然会えなかったわ。マイカが十分部屋の管理をしてくれてはいたけど、メロディに会えないのはやっぱり寂しいわ」


「お嬢様!」


 今にも泣き出しそうな顔でメロディは両手で口元を押さえた。メイドとして主から求められることの何と嬉しいことか。

 メロディは感動していた。だが同時に、どうしても不安を拭えない。


「ありがとうございます、お嬢様。でも私、お嬢様に何かあったらと思うとどうしても心配で」


「……ということは、その心配とやらがなくなれば問題ない訳よね」


「え?」


(そうか。気にしなくちゃいけないのはそこだったんだわ。メロディの不安の原因は黒い魔力の魔物じゃない……私だったんだ)


 思い出されるのは春の舞踏会。王太子クリストファーを襲撃者から守る際、ルシアナはその凶刃に晒され、あろう事かメロディがドレスに掛けた守りの魔法が弾け飛んでしまった。幸い、ルシアナは衝撃で意識を失ったものの傷一つなく終わったが、守りの魔法を失ったあの後に追撃でもされていたら今頃ルシアナはどうなっていただろうか。


 きっとこの事件はメロディの中でずっと尾を引いていたのだ。自分の与り知らぬところで主が危険に晒されたという事実。守りの魔法も使い物にならなくなり、まかり間違えば主を失っていたかもしれないという恐怖。

 普段のメロディからは感じられないが、きっと心の中で重しとなっていたに違いない。


(私と一緒。ルトルバーグ領でメロディを失ったと思ったあの時の絶望感は多分一生忘れない。心優しいメロディが、春の舞踏会の件を本当の意味で忘れているはずがなかったんだわ)


 だったら――やるべき事はたったひとつ!


「ねえ、メロディ。ちょっと明日、メロディがいつも通っている森に連れて行ってくれない?」


「いつもの森にですか?」


「お、お嬢様、それって……」


 突然どうしたのだろうと首を傾げるメロディの隣で、いつもの森がどこのことかを理解しているマイカはルシアナの言葉に動揺してしまった。


 そして、ルシアナは不敵な笑みを浮かべる。


「……私に護衛が必要ないってこと、その森で証明してあげるわ」


(そう、メロディに教えてあげる。その不安はもう必要ないんだってことを。メロディのホームグラウンド、ヴァナルガンド大森林でね!)


 鈍感なメロディと違ってルシアナはとっくに気が付いていた。メロディが毎日のように通っている『近くの森』とやらが世界最大の魔障の地『ヴァナルガンド大森林』であることに。


 よく分からないが、メロディはルシアナのお願いを了承し、二人は明日ヴァナルガンド大森林へ向かうこととなった。









◆◆◆


 一応話しがまとまったので、ルシアナ達は貴族寮へ帰って行った。一人になったメロディはセシリアの姿に変装し直し、ベッドに入る。


「……今日はちゃんと眠れるかな」


 ここ最近、入眠するのにかなりの時間を必要としていた。マイカの説明によれば、メイドの仕事が出来ないストレスが原因らしい。不思議なことに自分の魔法によってある程度体調は回復したものの、ストレスが原因というのなら今日は結局ルシアナに一杯のお茶を出したくらいでもっとメイドの仕事をしたかったという欲求は確かにある。


(でも、明日はお嬢様と出掛けるんだし、ちゃんと眠っておきたい)


 そう思うのだが、それが逆に焦りに繋がっているのか、全く眠れる気がしなかった。


(また眠そうにしていたらお嬢様に心配掛けちゃう。どうしよう……)


 メロディがそんなふうに悩み始めた時だった。どこからともなくかすかな歌声がメロディの耳に届いた。その美しい声音は微睡みを誘うように優しくメロディを包み込んでいく。


(これは……子守歌? どこから聞こえるんだろう。外かな? こんな時間に歌?)


 声の主はそれほど遠いようには感じられなかった。カーテンを開ければ案外すぐそばで歌っている姿を目にすることができるかもしれない。

 しかし、メロディはベッドから起き上がる気になれなかった。子守歌が心地よくて、もう動きたくなかったのである。



 それにこの子守歌は――。



(知ってる歌だ。小さい頃はよく、歌って……もらって……)


 歌声に溶けるように不安も焦燥も消えていく。メロディの瞼がゆっくりと閉じていく。やがて室内には可愛らしい少女の寝息が聞こえるようになった。

 まだ真夜中に入る前の時間。きっと少女はゆっくり眠ることができるだろう。


 メロディが眠りにつくと、しばらくして子守歌の歌声が止まった。そして窓がゆっくりと開き、外から何者かが部屋の中に入ってくる。

 明かり一つない真っ暗な部屋の中では、現れた人物が何者なのか全く分からない。侵入者はメロディの方へ静かに歩み寄ると、彼女の枕元の近くにそっと腰掛けた。


 細い指が金色の髪をサラリと撫でる。

 メロディはそれに気付かず静かに寝息を立て――。


「んっ……」


 メロディの瞳がうっすらと開いた。目が覚めたのか、それとも眠っているのか、瞼を震わせながらボーッとしているメロディの目元に誰かの手のひらが重なった。


「本当に心配ばかり掛けるんだから……迷ってもいい、間違えてもいい、立ち止まって振り返っても、引き返したって構わない。それがあなたの選択なら。ただ、自分の気持ちにだけは嘘をつかないで。あなたが自分自身と交わした約束をどうか覚えていて。そうしたらきっと、大丈夫だから」


 きっとメロディは侵入者の言葉を思い出すことはないだろう。意識のほとんどが眠りの世界に浸っていたメロディには、それが誰の声なのか判別することはできなかった。ただ、その声は何一つとして不安になる必要がないものだと理解していた。


 目元がうっすら温かい。手のひらの温もりがメロディを安心させる。

 そしてまた、優しい声音の子守歌が紡がれた。



 ああ、これはきっと優しい夢……私の大好きな……。



「おやすみなさい……あさん」


「ええ、おやすみなさい。私の可愛いセレスティ」


 眠るメロディの口元がほんのり弧を描いた。夢の世界へ旅立った彼女は気付かない。額にそっと重ねられた唇の感触に。暗闇の中で愛しそうに微笑む侵入者の表情に。


 開け放たれた窓がパタリと締まる音が鳴った。

 小さな部屋の中は再び愛らしい寝息が聞こえるだけの空間に戻るのであった。

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