第32話 エンジェル・エマージェンシー

「ふわぁ……あ、失礼しました」


「ふふふ、構わないさ。可愛らしい欠伸だね」


 シエスティーナが可笑しそうに微笑むので、メロディは顔を赤くして恥ずかしがった。


 九月二十二日。

 本日の一限目は一年生全体の合同授業であった。授業内容はダンスである。


 十月末に開催予定の学園祭。正式名称『学園舞踏祭』は貴族も平民も全校生徒参加の学生のための舞踏会であり、身分にかかわらず全ての生徒が踊る可能性がある。

 そのため、特に舞踏会に参加する機会の少ない平民のためにこうして大人数でダンスをする授業が定期的に開かれるのだ。学園舞踏祭までもう何回か行われる予定である。


 だが、一年生全員でダンスの練習となると技能に個人差が出るため能力別に上級、中級、初級に分かれて練習をすることになった。


 もちろん舞踏会で『天使様』などと呼称されるメロディは上級チームで練習をする。そして、同じチーム内でパートナーを組んで練習してみようという話になった時、シエスティーナにペアを組んでほしいと頼まれ今に至るというわけだ。


「昨日は夜更かしでもしてしまったのかな」


「あ、いえ、その、最近ちょっと寝付きが悪くて。でも大丈夫ですから」


「……そう言われると少し顔色が悪いような?」


「そうですか? いつも通りだと思うんですが」


「まあ、つらいようだったら教えてくれるかな。無理はよくないよ」


「分かりました。ご配慮に感謝します」


 シエスティーナとメロディはニコリと笑い合う。

 メロディ達は同じ上級チームの生徒達からこっそりと注目を集めていた。何せこの二人は夏の舞踏会で素晴らしいダンスを披露したペアなのである。練習とはいえそれがもう一度見れるとなると、興味がないなどとは口にできなかった。


「はい、では各ペアは構えてください。音楽を流しますよ」


 ダンスの教師のかけ声で、メロディとシエスティーナは向かい合った。互いの手を取りワルツの構えをする。

 中級チームからも二人に視線を向ける者が何組もあった。

 しかし、初級チームからことさら熱い視線を向ける少女がいた。


 セレディアである。


(……なんであの子とシエスティーナ様が踊るのよ。私が攻略するはずなのに!)


 最近貴族の仲間入りを果たしたセレディアはダンスの経験がないため初級チームに分けられた。そのためシエスティーナと踊ることなどできるはずもなく二人を見つめることしかできない。


 セレディアは少し焦っていた。先日、シエスティーナとの乗馬に参加した折、セレディアはレアの記憶に従ってシエスティーナ(シュレーディン)を攻略するための言葉を彼女に伝えたはずだった。これで攻略に一歩近づいたと喜ぶセレディアだったが、現在に至るまでシエスティーナのセレディアへの対応にこれといった変化は見られない。


 どうにも攻略が進んだとは思えない状況であった。


 その原因とは……?


(決まっている! そんなの、私の目の前でシエスティーナ様といちゃついているあの女以外に誰がいるというの!?)


 乗馬デートの時もそうだがシエスティーナは最初、セレディアではなくセシリアを誘った。レアの記憶にはないが、唐突に始まった馬の競走の相手をしたのもセシリアだ。

 彼女がセレディアの攻略の障害になっていることは間違えようのない事実といえよう。


(あいつがいる限り、私の攻略は上手くいかない。あいつを、セシリアをどうにかしなくては!)


 セシリアを睨むセレディア。そして彼女はある決断に至る。


(……もういい。どう考えてもセシリアは私の邪魔になる。そう、排除しなければ)


 セレディアの体内でどす黒い魔王の魔力が蠢き始めた。

 もしもセレディアがセシリアを殺すような力を使えば、彼女の中で眠っているレアの精神がセレディアに止めどない涙というペナルティーを科すことだろう。それに、強い力を使えば肉体に大きな負担となりしばらく寝込むことになるかもしれない。


(それでも、セシリアを野放しにしておくことはできない!)


 セレディアは決めてしまった。今、この場でセシリアを闇に葬ってやろうと。代償を恐れなければ、強大な魔力を有するセレディアなら少女一人殺めるなどたやすいこと。

 狙うはダンスの音楽が鳴り始めるその時。ダンスが始まり、生まれる一瞬の隙を狙ってセシリアの命を奪ってみせる。


 セレディアの右手に黒い魔力が収束していく。


 ダンスの教師は音楽を奏でる魔法道具に手を翳した。


「では、ダンスレッスンを始めます。音楽スタ――」



(死ね、セシリア!)



 セレディアがセシリアに向けて腕を伸ばそうとしたその時だった。


「セシリア嬢!?」


「へ?」


 セレディアが何かをする前に突然、セシリアが膝から崩れ落ちた。

 シエスティーナが慌てて抱き寄せる。


「セシリア嬢! ダメだ、意識がない!」


「どうしたのセシリアさん!?」


「ルシアナさん、下がって! 呼吸と脈拍を確認します! クリストファー様、担架の用意を」


「分かった」


 一気に慌ただしくなるダンスホール。いきなり昏倒したセシリアをシエスティーナが支え、慌てたルシアナが駆け寄り、アンネマリーとクリストファーが救護に動き出した。

 そんな中、セレディアは呆然と状況を見つめるだけであった。


(……え? なんで? まだ私、何もしてないんだけど!?)


 セレディアはまだ何も仕掛けてはいなかった。だが、唐突にセシリアは倒れた。


(一体何が起こったというのだ!)


 慌てると心の声がつい元に戻ってしまうセレディアこと中の狼ティンダロス。

 訳も分からぬまま、セシリアは医務室へ運ばれていくのであった。


◆◆◆


「……んっ」


 重い瞼がゆっくりと持ち上がり、瞳に光が差し込む。

 それと同時に少しずつ意識が戻ってきた。


(えっと……何だっけ?)


 メロディが目を覚ました。

 まだ瞼が半分開いただけで、体の自由が利く気がしない。


(ここって、医務室……?)


 どうやら自分はベッドに寝かされているらしい。カーテンで仕切られたベッドは、地球の保健室を想起させる。まだはっきりと思考が働かない中ボーッとしているとカーテンがシャッと開いた。


「あ、セシリアさん起きた! 先生、セシリアさんが起きました!」


「ルトルバーグさん、病人の前で声が大きいわ。さて、気分はどうですか、マクマーデンさん」


「……えっと、何が」


「あなたはダンスの授業中に意識を失ったのですよ。覚えていますか?」


 医務室の先生に尋ねられ、メロディはようやく何があったのか思い出すことができた。


「そういえば、ダンスが始まる直前に急に目の前がグルグル回り出して……」


「そのまま倒れちゃったのよ。本当にびっくりしたわ」


「彼女はずっとあなたに付き添ってくれていたのよ。ちなみにもうお昼を過ぎて放課後ね」


「それは、お手数を……」


「マクマーデンさん、体は動かせるかしら、立てる?」


 先生に問われたメロディはベッドから起き上がろうとした。

 しかし、全く体が動かなかった。


「すみません、全然力が入らなくて」


「そう……倦怠感に貧血のような目眩。まさかマクマーデンさんもそうなの?」


「先生、セシリアさんの症状に何か心当たりが? 貧血じゃないんですか?」


「二人は『魔力酔い』という病気を知っているかしら」


「えっと確か……」


「……特定魔力波長過敏反応症」


「正式名称をよく知っていたわね、マクマーデンさん」


「それって、土地の魔力が体に合わなくて体調不良を起こす病気ですよね。まさかセシリアさんがその病気だっていうんですか!?」


「あくまで可能性の話よ。最近同じ症状で休学した生徒もいるから念のためマクマーデンさんも検査をした方がいいと思うわ。検査魔法具は王城管理だから使用申請を出しましょう」


 ルシアナは不安を隠しきれない表情でコクリと頷いた。


 医務室で休ませてもらったメロディだが、さすがにここで夜を明かすことはできないため、一旦平民寮の自室に戻ることとなった。

 それからまもなく、馬車を乗り付けたリュークが医務室に入ってきた。リュークはグッタリした様子のメロディを目にすると眉根を寄せ、そっと彼女を抱き上げる。


「行こう」


「うん。先生、ありがとうございました」


「検査魔法具の準備ができたら連絡するわ」


 そしてメロディはリュークの手で馬車に乗せられると平民寮へ向かうのであった。














◆◆◆


 一方その頃……。


「きゃあっ! どうしたのセレーナ!?」


 ルトルバーグ伯爵邸でマリアンナに紅茶を給仕していたセレーナが突然、胸を押さえて膝から崩れ落ちた。突然のことにマリアンナが悲鳴を上げてセレーナに駆け寄る。


「……お姉様?」


 セレーナは王立学園の方へ目をやった。

 彼女にメロディの危機を感知するような魔法的機能は備わっていない。しかし、この時の彼女は確かに何かを感じ取っていた。
















『ああ、行かなくては。私の可愛いセレスティ……』

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