第31話 色彩を失った少女

 キャロルの説明は続く。


 今では普通に生活するには十分な貯蓄があるのだから、休みの日などは絵を描いたって何の問題もないはずなのだが、父親はすっかり絵を描かなくなってしまったそうだ。


「最初から画家を専業しようなんて考えたのが失敗だったのよ。ちゃんと働いて、絵は趣味の範疇に留めておけば今でも描いていたかもしれない。母は時々父が描いた絵を見つめては懐かしそうにしているわ。本当はまた描いてほしいって思っているんでしょうね」


 キャロルは少し寂しそうに苦笑した。

 それはきっと彼女もまた母親と同じ気持ちだからだろう。


「まあ、そういうわけで、私は父から学んだってわけ。反面教師って奴? 絵を描くことは好きよ。だけど、趣味以上に深く学ぶつもりはないの。うっかり欲が出て『やっぱり専業の画家になる!』なんて思い立ったら大変だもの。だって私はあの人の娘だからね」


 反面教師などと言っているが、キャロルが父親を慕っていることは間違いないようだ。


「だからこの前、王城に勤めるって話をしていたんですね」


「ああ、抜き打ち試験の直しの時ね。王城勤務に絞る必要はないんだけどお給金はいいって聞くからさ。今のところ一応の目標ではあるんだけど、如何せん私の成績ではちょっとねぇ」


 悔しそうにため息を漏らすキャロル。

 本人としては真面目に勉強しているようだが、思ったような成績には至っていない。抜き打ち試験のクラス順位も三十三人中二十七位だった。


「だから選択授業では王城勤めに役立ちそうなものを選ぶつもり。今更だけどごめん、騙すような形になっちゃったわね」


「それは、いいんです。私もあくまで美術の先生に頼まれただけですから。少しもったいないとは思いますけど、どの授業を選ぶかはキャロルさんの自由です」


「……ありがとう、セシリア」


 眉尻を下げて礼を告げるキャロルにメロディはニコリと微笑んだ。キャロルにはしっかりした理由があって美術の授業を受けないと決めたのだ。メロディがとやかく言う問題ではない。


(教室の前をうろついてしまうあたり、まだ未練がありそうだけど無理に指摘するのは違うよね)


 メロディはキャロルの意思を尊重することに決めた。


「セシリアは選択授業どうするつもりなの?」


「私ですか? 一応『応用魔法学』は正式に受講するつもりです。他は今のところルシアナ様の仮受講に同行させていただいていますね」


「あなた達ってホントに仲が良いのね」


 少し呆れたふうに呟くキャロルに、メロディは苦笑を返す。

 そもそもメロディはルシアナを護衛するために学園に編入してきたのだ。別々の選択授業を受けていては意味がないのである。


 実はルシアナから「メロディが受けたい授業を受ければいい」と言われているが、自身の目的を考えればルシアナと同じ選択授業を受けるべきだとメロディは考えている。

 幸い、『応用魔法学』はルシアナも正式受講するつもりなので問題はないようだが。


「『応用魔法学』か。セシリアって魔法も使えるのね」


「はい。先生方が言うにはとても優秀だそうです」


「ホントに完璧超人過ぎるわ、セシリア」


「ただ、魔法に関しては独学だったので一般的な基準が分からなくて。『応用魔法学』でその辺りの線引きをしっかり学びたいと思っているんです」


「それで? 一回は受けたんでしょう。何か学べた?」


 キャロルが訪ねると、メロディは少し遠い目をして答えた。


「……複数属性の同時発動が高難易度魔法であることを知ることができました」


「……できるんだ」


「……はい」


「そっか。できちゃうんだ」


「「……」」


 室内にしばし沈黙が流れる。

 ちょっと気まずい雰囲気だったが、キャロルの笑い声が場の空気をカラッと変えてくれた。


「ぷぷ、くくく、ふはははは、あはははははははっ! もう、セシリア、あんた何でも出来過ぎ! そこまで行くと逆にウケるんですけど! あははははははははは!」


「わ、笑わないでくださいよ、キャロルさん!」


「無理無理! これが笑わずにいられますかって!」


 我慢できなかったのかしばらくキャロルの笑い声が続く。メロディが顔を真っ赤にして止めようとするが全く効果はなかった。そして、ようやく落ち着いたのかキャロルは笑い終えて瞳の端の涙を拭った。相当ツボにハマってしまったらしい。


「あー、面白かった。こんなに笑ったのはいつぶりかしら」


「もう酷いです、キャロルさん。私だって色々苦労してるんですよ」


「ごめんごめん。でもセシリアが私とはほとんど逆のことで悩んでるのが可笑しくって。そんなに何でもできたら引く手数多じゃない。将来の就職先でうんと悩みそうだわ」


「そんなことありません。私の将来の夢はもうしっかりきっかり決まっているので」


「へぇ……それって何なの?」


「秘密です!」


 メロディは少し拗ねるようにキャロルから顔を背けた。そんな子供っぽい姿に心が癒やされる。どんなに凄い成績を叩き出そうが、目の前の少女はやはりどこにでもいる普通の女の子なのだと実感できるから。


(……その割に、セシリアには色がないのよね。これだけ多才なのに。謎だわ)


 不思議な子だと、キャロルは目を細めた。この透明な少女の色を絶対に見つけてやるのだという気持ち――創作意欲が湧き上がってくる。


「さて、それじゃあモデルを再開してもらっていいかな、セシリア」


 どうやら休憩時間は終わりらしい。キャロルの気持ちが切り替わったことを察したメロディは、拗ねていた態度を改めて彼女に向き直った。


「はい。今夜はキャロルさんのために時間を空けてあるのでいくらでもどうぞ」

(お嬢様にモデルの件を伝えたら今日は来なくていいって言われたのよね……)


 それはメロディに対する優しさなのだろうが、メロディの本音としてはメイドのお仕事がしたいところなので、本当はモデルが終わったら働きたかった。


(……ああ、メイドをやりたいなぁ)


「セシリア、集中して」


「あ、はい、ごめんなさい」


(いけない。気持ちを切り替えなくちゃ)


 メロディはこの後、二時間ほどモデルを務めた。


「うーん、やっぱり何か違う気がするなぁ。何がダメなんだろう?」


「お役に立てなくてすみません」


 あれから何度も下書きをしてみたが、キャロルは納得のいく物が描けなかった。彼女曰く、透明人間のような絵にしかならないのだとか。


(これって、私のせいだよね多分。でも、セシリア状態の私って透明人間なの……? どういう表現なんだろう。ちょっと不思議)


「今日はありがとね。おやすみ、セシリア」


「おやすみなさい、キャロルさん」


 メロディが去り、一人になったキャロルはキャンバスに描かれたメロディの絵を見つめた。


(納得はできないけど、おそらく何度描いても同じ絵になりそう。つまり、これが今のセシリアってこと……なんだけど、この違和感は何なのかしら)


 セシリア・マクマーデン。天使のように神秘的な美しさを持つ少女。容姿が優れているだけでなく、勉強もできてダンスも上手いらしい。

 心優しい性格でキャロルが見た限り裏表はなさそう。


 絵心に多少難はあるものの持っている技術は素晴らしいの一言。さっき雑談をしたところ乗馬も普通にできるのだとか……キャロルは思う。これはどこの完璧超人だろうか。


(モデルとしては破格のスペック。だというのに、私は彼女に満足できない。その理由は……おそらく、今の彼女が色彩を失っているから)


 透明人間を描いているよう。


 そう評した自分の感覚はきっと間違っていない。本当は、セシリアはもっと魅力的な少女だと思う。今の彼女は何かが欠落している。

 だから、いくら描いても納得できないのだろう。


(セシリアは一体、何が足りてないんだろう。透明と感じるってことは、彼女の全てが失われてしまったも同然ということ。もしかすると今のセシリアは空っぽなのかもいれない)


 キャロルは思わず生唾を呑んだ。

 セシリアは魅力的な少女だ。しかし、キャロルの見立てでは魅力がごっそり抜け落ちているという。では一体、本来のセシリアはどれほどに光り輝く少女なのだろうか。


(見てみたいような怖いような……でもやっぱり、見てみたいし描いてみたい)


 いつか色彩を取り戻したセシリアを描いてみたい。キャロルはそう思うのだった。







「……メイドのお仕事、したいなぁ」


 隣の部屋でメロディがポツリと呟いた声は当然ながらキャロルの耳に届きはしなかった。そしてまた、真夜中を過ぎてしばらく経つまでメロディはなかなか寝付けないのであった。


 メロディは、今日も夕食を食べていないことに全く気が付いていなかった……。

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