第30話 キャロルの事情
「今日は楽しかったです。ありがとうございました」
「私もさ。また機会があれば皆で行こう」
「ええ、ぜひ」
本日の遠乗りは恙なく終わった。
日が暮れ始め、メロディ達に見送られてシエスティーナ、クリストファー、アンネマリーの三人が王城の護衛とともに帰って行った。
「レクトすまない。私はお嬢様を部屋へお連れしてくるから」
「ああ、馬のことは任せてくれ」
ぐったりした様子のセレディアをセブレが送っていく。午後もシエスティーナとともに乗馬をした彼女だが、体力的にかなり堪えたようだ。
この場に残ったのはメロディとルシアナ、リュークとレクトの四人だけである。
「レクトさん、レリクオールをありがとうございました。伯爵様にも機会があればその旨お伝えください。レリクオール、今日はありがとう。とても楽しかったわ」
一日限りの相棒に礼を告げ、メロディはレリクオールの額をそっと撫でた。気持ちよさそうな嘶きが聞こえ、メロディとレクトは微笑ましそうに口元を緩めた。
「では、レリクオールは連れて帰るよ」
「はい、よろしくお願いします。今日はずっと一緒だったのに全然お話できませんでしたね」
「護衛だからな。何事もなくてよかった。閣下にも問題ないと報告でき……セシリア、少し顔色が悪くないか」
「え、そうですか?」
少し訝しそうにレクトに見下ろされ、メロディは思わず頬に手を触れた。あまり自覚がないのか不思議そうな表情だ。
「遠乗りで思ったより疲労が溜まっているのかもしれない。今日は早めに休んだ方がいい」
「え? セシリアさん、調子が悪いの?」
レクトの声が聞こえたのかルシアナまでやってきてメロディの顔色を窺った。
「うーん、確かにいつもより顔色が悪いかも? ……今日はもうそのまま帰ってしっかり休んだ方がいいと思うわ」
「え?」
それは言外に『今日のメイド業務はお休み』と言われるに等しかった。
「お嬢様、私は大丈夫ですから」
「ヘタレ騎士に先を越されたのは癪だけど、確かに少し顔色が悪いかもしれないわね。今朝も少し寝不足だって言ってたし、今日は早めに休んだ方がいいと思うわ」
「そ、そんなぁ……分かりました」
メロディの健康を気遣うルシアナは聞く耳持ちそうになかった。
メロディは仕方なく受け入れる。
「さあ、私達も帰りましょう、セシリアさん」
「はい。レクトさん、今日はありがとうございました」
レクトに軽く会釈するとメロディ達はそれぞれの寮へ帰っていった。
メロディの後ろ姿を見送りながらレクトは思う。
(大丈夫だろうか。何だかいつもより背中が小さく見えるような……)
少し心配になるレクトだった。
ルシアナと別れ、メロディは一人平民寮へ帰ってきた。
いつもならこの後メロディに戻ってルシアナの部屋へ転移するところだが、今日は休むよう指示されたのでそれもできない。
実際、一日中乗馬をしていたので体力的に疲労を感じている。メロディは早めにお風呂に入り、さっさとベッドに入って就寝するのだったが……。
……。
…………。
(…………なかなか眠れないなぁ)
最終的にメロディの意識が落ちたのは、結局真夜中を過ぎてしばらく過ぎてからであった。
◆◆◆
シャッシャッシャッとキャンバスの上を走る鉛筆の音が室内に響く。部屋の主である少女、キャロル・ミスイードは真剣な表情で被写体の下書きを描いていた。
九月二十一日。シエスティーナとの乗馬デートの翌日。
今日から王立学園二学期が二週目に入った。その夕刻、以前約束した絵のモデルになるというキャロルとの約束を守るため、メロディはキャロルの部屋でもうかれこれ一時間、椅子に座ってじっとしていた。
キャロルは集中しているのか特に会話はなく、静かな時間が流れていく。メロディはそんなキャロルの様子を眺めながら考える。
(キャロルさん、やっぱり絵を描くことが好きなのね。私が絵のモデルだなんてちょっと恥ずかしいけど、キャロルさんが美術の選択授業を受ける気になってくれるなら安いものだわ)
一時間、無言のまま続くあの集中力は、絵を描くことが好きだからこそだろう。好きこそものの上手なれとはまさにキャロルのような人物に相応しいとメロディは思った。
そして同時に思うのだ。
(……いいなぁ)
好きなことに情熱を注げる環境が羨ましい。この一週間、自分で志願したこととはいえメイドのお仕事が全然できていないこの環境は精神的にかなりきついのだ。
(まさかこのお仕事がこんなに大変だなんて思いもしなかった……完全に想定外)
メロディの口から思わずため息が零れた。
「……一旦休憩。セシリア、集中力が切れてる」
「え? あ、はい。すみません」
キャロルに指摘され、そういえば雑念が生じていたとメロディは反省した。メロディが力を抜くと、キャロルも立ち上がり大きく背伸びをしてみせる。
「下書きは順調ですか?」
「絶不調」
「へぇ、そうなんで……え? 絶不調?」
あまりにサラッと言うものだからうっかり聞き流してしまうところだった。どうやら下書きは上手くいっていないらしい。
「何か問題が?」
「問題というか、見えてこないのよね……セシリアという人間が」
「どういう意味でしょう?」
メロディは立ち上がり、キャンバスを見せてもらう。そこには十分に美しく描かれた、椅子に腰掛ける少女の鉛筆画が描かれていた。
しかし……。
「まるで私がこの前描いた風景画みたいな雰囲気ですね」
つまり、この下書きからは描き手の感情が全く見えてこないという意味だ。そしてそれはキャロルも同意見だったらしい。頷いてキャンバスを睨んでいた。
「そうなのよ。まるで透明人間でも描いてるみたい。もしくは精巧に作られた人形をモデルにしているような……さっきからずっと見えてこないのよね、あなたという人物像が」
「見えない? 私はここにいますけど……」
「そうなんだけど、あなたを描いていると酷い違和感に襲われるのよ……まるで、セシリアなんて人間は最初からいなかったって錯覚しそうになる。こんなこと初めてだわ」
メロディはドキリと胸が震えた。それはあながち間違ってはいないからだ。セシリア・マクマーデンなどという人間は本来存在しない。架空の人物なのだ。
(キャロルさんの勘が凄過ぎる。優れた絵描きさんはその目で見ただけで対象の内面までのぞき見ることができる、なんて話をどこかで聞いた気がするけどキャロルさんはまさにそれね)
この鋭い感性だけでも素晴らしい才能と言えるだろう。メロディとしてはぜひともキャロルには美術の選択授業を受けて能力を伸ばしてほしいと考えるのだが……。
「キャロルさん、私が絵のモデルをすれば美術の授業を受けるか考えてもらえるんですよね?」
「え? ああ、うん、考えるよ」
「もしかして、考えるだけで授業を受講するつもりはなかったりします?」
うっ、とキャロルは口を噤んだ。どうやら図星だったらしい。頬をポリポリかきながらメロディからそっと視線を逸らした。
「どうして受講されないんですか。教室には何度も来られているのに。興味はあるのでしょう?」
メロディにはそれが不思議で仕方がなかった。もし選択授業に『メイド学』なんて物があればメロディなら即行で受講を申請しているところだ。キャロルはなぜ躊躇っているのだろうか。
メロディはキャロルを静かにじっと見つめた。そして彼女は根負けしたのか悩ましげに頭をかくと理由を話してくれたのだ。
「私の父は売れない画家だったの。まあ、ぶっちゃけ貧乏だったわね。幼い頃はそんなこと知らなくて、父から絵の描き方を教わったりして結構楽しい毎日を過ごしていたわ。でも、それは母の支えがあってこそ。我が家の生活費は母が働いて不足を補っていたのよ。でも無理が祟って病気になってしまったの。そして父は、家族のために画家ではいられなくなった」
キャロルの父親は売れない絵を描く仕事をやめて働き始めたそうだ。そのおかげもあって母親の病気も快癒し生活も楽になった。だがその結果、父親は画家の夢を諦めてしまう。
一歩間違えば家族を失っていたかもしれない。そう考えるともう筆を持つことができなくなってしまったのだとか。
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