第29話 思い出のプラームル

『どうだったかな、初めて馬に乗った感想は』


 乙女ゲーム『銀の聖女と五つの誓い』において、乗馬デートイベントで攻略対象者シュレーディンがヒロインに告げるセリフだ。

 その言葉が攻略者代行と思われるシエスティーナの口から出たことで、セレディアは内心で喝采を上げた。


 レアの記憶と多少の違いはあるものの、やはり彼女から得た未来の記憶に間違いはないらしい。

 セレディアはここぞとばかりに儚げな笑顔を浮かべて答える。


「……はい。何だか不思議です。いつもより少し高いところから見ているだけなのに、別の世界を見ているみたいで……ずっと見ていたくなります」


 セレディアはシエスティーナに笑顔を見せると、ゆっくりと周囲を見回した。実際、馬上から見る牧場の景色は広々としていてとても清々しい。状況にもマッチしたセリフであった。


 これが男性のシュレーディンであれば、もしかするとゲームと同じく思わずドキリと胸を弾ませて『では、折角だからもう少し堪能させてやろう』などと言い返すのかもしれないが、生憎セレディアの前にいるのはイケメン美少女シエスティーナであった。


「そうか。楽しんでもらえて嬉しいよ。では、折角だからもう少し堪能させてあげよう」


「え? きゃあああっ!」


 シエスティーナはようやく落ち着いたはずの愛馬シェルタンテを操り、牧場の馬が自由に過ごす野原へ駆け出した。


「さあ、またしっかり捕まってくれ。少し速度を出すよ」


「はいいいいいいいいっ!」


「それではセシリア嬢、ルシアナ嬢、しばし失礼するよ」


「はい。行ってらっしゃいませ」


「セレディア様、楽しんでいらして!」


 手を振るメロディ達に見送られ、シエスティーナとセレディアの後ろ姿は小さくなっていった。


「ふふふ、さすがにシェルタンテは男の子ね。元気いっぱいだわ。レリクオールは女の子ですもの。私達はお淑やかに行きましょうね」


「ブルルルッ」


「あら、女の子だって少しくらいお転婆でも構わないと思うわよ。ねえ、レリクオール」


「ブルルルルッ!」


「まあ、レリクオール。どっちなの? もう、ルシアナ様ったら」


 メロディとルシアナはレリクールをゆっくり歩かせながら笑い合うのだった。


 そんなメロディ達の一連のやりとりを見ていたカップルが一組。クリストファーとアンネマリーである。馬上の二人は困惑した様子で今の光景について話し合う。


「なあ、あれ、どう思う?」


「悩むところだわ……乗馬デートに誘った相手はセシリアさん。だけど、今のセレディア様とのやりとり。あれは間違いなくヒロインちゃんとシュレーディンの乗馬デートのセリフよ」


「やっぱりシエスティーナはシュレーディンの代役ってことになるのかな」


「だったらイベントの行動を一貫してほしいわ。ちゃんと誘った相手とイベントを起こしてよ。これじゃあ、どっちがヒロイン扱いなのか分からないじゃない」


「結局、二人とも要注意のままってことだな。めんどくせえ」


 アンネマリー達は誰にも気付かれないようこっそりため息をつくのであった。


◆◆◆


「すまない、セレディア嬢。少々はしゃぎすぎたようだ」


「いいえ、私は大丈夫です、シエスティーナ様……うっぷ」


「ごめん、本当にごめん」


 馬達を自由に走らせる放牧場の一角に敷物をしいて、メロディ達は昼食を取ることになった。自由にシェルタンテを乗り回していたシエスティーナが帰ってくると、同乗していたセレディアは完全に馬酔い(?)していた。しばらくシエスティーナに寄りかかっていたが、どうにか回復できたようだ。


「ありがとうございました、シエスティーナ様。もう大丈夫です」


「いや、本当にすまなかったね」


「とりあえず皆さんお茶でも飲んで気分を変えましょう」


 アンネマリーがそう告げると、侍女と思われる数名の女性がメロディ達にお茶を配り始めた。本日の昼食は王城で用意される手はずになっており、どうやら護衛だけでなく世話をする使用人も今回の遠乗りに同行していたようだ。


(乗馬に夢中で全然気付かなかった。これが王城の侍女……!)


 メロディがキラキラした瞳で侍女を見つめる。

 それはもう羨望のまなざし。


 慣れない野外であっても嫋やかに、それでいてそつなく給仕を熟す姿の何と美しいことか。最近、メイドの仕事が減る一方だったのでメロディとしては大変眼福な光景であった。

 と同時に羨ましくもある。


(私も給仕の輪に加わりたかったな……)


 正直、乗馬をするよりも余程そちらに交ざりたかった、なんてよくない考えねとメロディは一人で勝手に反省していた。


 昼食はやはり野外を想定してかサンドイッチなどが中心であった。おかずもフォークで刺して食べられる物が中心で、葉野菜はなくにんじんのような一口サイズにカットされた野菜が並べられた。


 あら美味しい、などとまずは食事の感想が交わされる。


「たまにはこうやって地面に座りながら手づかみでする食事も面白いですね」


 シエスティーナが楽しそうにサンドイッチを頬張った。


「酸っぱっ!」


「どうしました、ルシアナ様?」


「むー! チェリーかと思って食べたらもの凄く酸っぱかったの。何これ」


「チェリー……ああ、これはプラームルですね。チェリーによく似ているんですが別物です。もの凄く酸っぱいんですよね、これ」


 プラームルと呼ばれる果実は野菜と一緒に並べられていた。

 見た目はチェリーによく似ている。


「時々口直し用に入っているんですよね、プラームル。わたくしは苦手ですけれど」


「この酸っぱさなら苦手で当然です」


 口をすぼめて文句を言うルシアナ。梅干しを食べた時のような顔をしている。メロディは思わず笑ってしまった。


「ああ、セシリアさん。笑わなくたっていいじゃない!」


「あ、いえ、ちょっと思い出してしまった。私の亡くなった母もプラームルは苦手だったんです」


「亡くなったお母様が?」


「はい。でも母は『酸っぱい物は健康にいいのよ』と言って今のルシアナ様みたいにつらそうに口をすぼめながらよく食べていたんです。思い出したら可笑しくって。ふふふ」


「……嫌いなら食べなければいいのに。変わった方ですね」


 心底不思議そうにセレディアは首を傾げたが、メロディも同じ意見だったので笑顔で首肯した。


(こうやって友人にお母さんの話ができるのって何だか素敵ね)


 ある程度当たり障りのない話題を終えると、やはり先程の競争の話に移った。


「突然競争をしようなどと言うので驚きましたよ、シエスティーナ殿下」


「審判をしていただきありがとうございます、クリストファー殿下。セシリア嬢にはずっと負けっぱなしだったのでつい得意分野で挑んでみたくなり……皆さんにはご迷惑をおかけした」


「負けっぱなし、ですか……?」


 何のことだろう、とメロディは首を傾げるがシエスティーナは苦笑いでこちらを見つめる。


「舞踏会のダンスもそうだが、先日の抜き打ち試験でも君に完敗だった。あれでも私は一位を目指していたんだがね。まさか満点を取られるとは」


「確かに、セシリアさんがいなかったらクリストファー様と同点ではありますが一位でしたものね。私もまさか満点を取る方が現れるとは思いもしませんでした」


 アンネマリーの言葉に皆がウンウンと頷く。

 メロディは困ったように周囲を見回した。


「あれは、たまたまというか」


「謙遜は必要ないよ。現実として私は君に二度も負けた。ダンスも試験も完敗さ。とはいえ私は負けず嫌いでね、ダンスも勉強もいずれはリベンジするつもりだが、それまでに一回くらいは何か別のことで君と勝負をしてみたいと思っていたのさ」


「それが今日の乗馬だったんですか?」


「ああ。だが私は愛馬、君は今日出会ったばかりの馬というハンデ付きでありながら結果は辛勝だ。先程も言ったが、君の優秀さには恐れ入るよ。世間は広いね、本当に」


 シエスティーナは参ったと言いたげに首を左右に振っていたが、内心ではやはり悔しかった。


(本当は舞踏会でも学園でも優秀さを見せつけて存在感をアピールするつもりだったんだが、まさかそのどちらも目の前の、それも平民の少女に上回られてしまうとはね)


 王国を内側から切り崩す帝国の侵攻作戦は、最も警戒すべきシエスティーナが囮となって注目を集め、その隙に情報戦を行うというものだった。だが、始まったばかりとはいえ今のところこの作戦は思ったほどの成果を上げていない。


 中途半端な二学期からの留学生としてやってきてみれば、自分以外にも二名の編入生が現れ、クラスの成績では一位を取れず、せっかく帝国からやってきた男装の皇女というインパクトも、王都を魔物が襲撃したという刺激的な事件のせいで、当初予想していたよりもシエスティーナの王国内での存在感は薄いと言わざるを得なかった。


(まあ、まだ留学して一週間なのだからまだまだ挽回の機会はあるだろうけど……負けっぱなしはやっぱり悔しいからね)


 辛勝とはいえセシリアに勝てたという事実は精神的に嬉しいものがあった。


(何をしても勝てない相手……どうしても嫌みったらしいシュレーディンを思い出してしまう。そうなったら私は彼女のことを嫌いになってしまうかもしれない。できればそうはなりたくない)


 セシリアは心優しい少女だ。シュレーディンとは違う。そう思っても、何をやっても勝てない相手ともなれば、幼い頃からの嫌な記憶と結びついてしまう。

 別人だと分かっていても感情はそう簡単に制御できるものではない。


 そうならなくてよかったと、笑顔のセシリアを見つめながらシエスティーナは思うのだった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る