第14話 学生寮のお隣さん

 メロディはトランクケースを開き、荷物を片付け始めた。


「思ったより時間が掛かっちゃったから急がなくちゃ」


 部屋に案内されるまでに、編入生ということもあってマリーサから寮の各施設の案内を受けたので意外と時間が経っていた。ルシアナ達はとっくに貴族寮に入っていることだろう。

 トランクケースから取り出した荷物を片付け、最後に学園の制服をクローゼットに片付けると呪文を唱える。


「『舞台女優テアトリーテ』解除」


 メロディの全身が白いシルエットに包まれ、そしてその姿はいつものメイド姿に戻った。


「開け奉仕の扉『通用口オヴンクエポータ』」


 続いて部屋の真ん中に簡素な扉が出現する。

 メロディは意気揚々とドアノブを回した。


「遅くなって申し訳ありません!」


「あ、いらっしゃい、メロディ」


 扉を潜った先にいたのは優雅にお茶をするルシアナの姿。メロディは上位貴族寮のルシアナの部屋に転移していた。


「すみません、思ったより時間が掛かってしまって。さあ、荷ほどきをお手伝いしますよ」


 メロディはウキウキした表情でそう言った。

 かなり楽しみな様子だ。

 今朝はセシリアとして編入準備をしなければならず、メイド業務をほとんどやらせてもらえなかったメロディである。登校するまでの短い時間ではあるが、メロディはその間だけでもメイド業務に勤しもうと急いでルシアナの下へ馳せ参じたのである。


 しかし――。


「あー、メロディ……落ち着いて聞いてほしいんだけど」


「お嬢様、どうかしました?」


 ルシアナはどこかバツが悪そうにメロディから視線を逸らした。メロディが不思議そうに首を傾げていると、マイカがやってきて衝撃の事実を伝える。


「お嬢様、お部屋の準備が終わりました~」


「え?」


「あ、メロディ先輩、来てたんですね」


 何気ないふうに告げたマイカの言葉に、メロディはポカンとしてしまう。

 今、なんて……?


「マ、マイカちゃん。荷ほどきは……」


「はい、終わりました!」


「も、もう終わってしまったの?」


「そうなんです。セレーナ先輩の短期集中講座でコツをしっかり教え込まれたおかげで、いつもより早く作業できました! 重い荷物はリュークが運んでくれましたし、ほら彼、魔法の使い方を思い出したじゃないですか。メロディ先輩には及ばないにしても魔法の補助があるだけで荷運びなんかもちゃちゃっと終わらせられましたよ」


 マイカは自慢げに胸を張った。

 実際、施設の案内を受けて多少時間を取られたとはいえ、メロディがやってくるまでに荷物の整理を終えているのはなかなか優秀といえるだろう。


 重い荷物をリュークが、女性用の細かい品々はマイカが担当し、上手く分担ができたらしい。二人揃えばメロディに匹敵、とまではいかないが、十分一人前に近い働きができるようだ。

 実際、マイカは荷ほどきとルシアナのお茶の準備を並行して行えている。セレーナの短期集中講座とは一体どんな内容だったのか気になるほどに、マイカは短期間で成長したようだ。



 それは大変嬉しいことである。嬉しいことのはずなのだが……。



「そんな。私は……間に合わなか……った……」


「メロディ!?」


「メロディ先輩!?」


 ルシアナとマイカの目の前で、メロディは膝から崩れ落ちた。その姿はまるで、大切な人の窮地に駆けつけたものの間に合わず、助けられずに絶望した主人公を思わせる雰囲気だった。

 実際には仕事を手伝いに行ったらもう終わっていたというだけの話なのだが……。


「マイカ、お前はどっちの部屋で寝泊まりするん……何やってるんだ?」


「メ、メロディ、私、メロディが淹れてくれたお茶が飲みたいな!」


「メロディ先輩、私まだ六十点のお茶しか出せないし、茶の入れ方を教えてほしいです!」


「……私にもまだ、できることがあるのね」


(いや本当に、何だこの状況は……?)


 床に膝を突くメロディを慌てて慰める少女二人の図……リュークは本気で理解できなかった。


◆◆◆


「ごちそうさまでした。今日も美味しかったわ」


「ありがとうございます」


 ルシアナが満足そうにそう告げると、メロディはニコリと微笑んだ。

 荷ほどきを手伝えなかったメロディは、マイカにお茶の淹れ方を指導した後、昼食の準備に取り掛かった。二学期の初日の王立学園は午後からホームルームをする予定なので、先に昼食を終えてから登校するからだ。

 気を取り直し、昼食を作ったメロディはどうにか気持ちを落ち着かせることに成功していた。


「あ、私そろそろ行かないと。一旦失礼しますね、お嬢様」


「もう? 少し早くない?」


 今日のホームルームは午後二時からの予定だが、まだまだ十二時だ。登校するには少し早い。


「私は編入生なので直接教室には行かず、まず担任の先生のところに行かないといけないんです」


「そうなの? 一緒に登校しようと思ってたんだけどなぁ」


「ふふふ、それはまた今度お願いしますね」


「ええ、絶対よ」


 メロディは分かりましたと告げて、平民寮の自室へ帰っていった。


「演者に相応しき幻想を纏え『舞台女優』」


 再びセシリアに変身すると、メロディはクローゼットから学園の制服を取り出して着替えた。問題がないかをサッと確かめると、学園指定の鞄を持って寮の部屋を出る。

 扉を閉めて鍵を掛けたところで、隣の部屋の扉が開いた。


「ふわぁ……あ?」


「あ、こんにちは」


 眠そうに欠伸をしながら現れた少女は、肩まで伸びた波打つ深緑の髪を揺らしながらメロディに気が付いた。眠くて目の焦点が合わないのか金色の瞳を眇めてメロディを見つめる。


「……誰? 隣の部屋は無人だったはずだけど」


「今日から一年Aクラスに編入したセシリア・マクマーデンといいます」


「編入生? 隣の国のお姫様と伯爵家のご令嬢って聞いてたけど」


「えっと、私も急遽編入することになりまして」


「ふーん……ってことは編入試験を合格したのよね……優秀なのね。私はキャロル・ミスイード。あなたと同じ一年Aクラスよ」


「そうなんですね。キャロルさん、今日からよろしくお願いします」


「……まあ、機会があればね。じゃあ、私もう行くから」


「あ、ちょっと待ってください」


「何?」


 呼び止められて少し不機嫌になるキャロル。だが、それに気が付いたメロディは指摘しないわけにはいかなかった。


「キャロルさん、髪の毛に何か付いていますよ」


「髪? 何かって……あっ。嘘、絵の具が付いてるじゃない」


 キャロルの深緑の髪の一部に赤い塗料が付着していた。それなりに時間が経過しているようで、絵の具は髪に絡まり固まっていた。


「参ったわね。これ油絵の具だし、髪を洗おうにもこんな時間に浴場なんて開いてないし」


 キャロルは困ったように髪を弄った。実際、髪に付着した絵の具はすぐに落とさなければならない。特に油絵の具は空気に反応して固まる性質があるため、一度固まってしまうと落とすことは難しい。専用の薄め液などを使えば落とすことはできるだろうが、相当髪は傷むだろう。


(最悪髪を切るしかないけど、キャロルさんの髪は短いし、毛先じゃなくて真ん中あたりだから切ったら不格好になってしまうわ)


 メロディがどうしたものかと思っていると、キャロルは大変思い切りのいい少女だった。


「仕方ない。切るか」


「え? 切っちゃうんですか」


「たまにあるのよこういうことって。もうすぐ登校時間だし、間に合わないわ」


 キャロルが部屋へ戻ろうとするのでメロディは慌てて止めた。


「ちょ、ちょっと待ってください。えっと、私、ちょうどいい魔法があるので!」


「魔法?」


 訝しむキャロル。魔法バレを気にしなければいけないメロディにしてはかなり迂闊な申し出だが、さすがに絵の具のために髪をばっさり切るという選択は受け入れがたかった。


(範囲は絵の具の部分だけ、目立たないよう慎重に)


「どんな時も慌てず騒がず清潔に『緊急洗濯ラヴァンエマジェンザ


 絵の具が付着した狭い範囲を魔法のシャボン玉が包み込み、光となってはじけ飛ぶとキャロルの髪に付着していた赤色の絵の具は綺麗さっぱり姿を消してしまった。

 顔の横でパッと弾けたシャボンに驚くキャロルだったが、気を取り直して髪を手で梳くと絵の具の引っかかりがなくなっていることに気が付いた。


「……凄い。あなた、便利な魔法が使えるのね」


「えーと、まあ、少しだけ」


「謙遜しなくていいわよ。助かったわ、ありがとう」


「お役に立ててよかったです」


「それじゃあ、また教室でね」


 キャロルは何か用事があるのか、そのままメロディの前から姿を消した。


「……私も行かなくちゃ」


 メロディもまた王立学園へ向けて歩き出した。

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