第13話 セシリアの入寮
九月十四日の朝。
王都パルテシアの中心、王城に隣接された王立学園の門をたくさんの馬車が行き交っていた。
今日から王立学園の二学期が開始される。
ルトルバーグ伯爵家の馬車もまた、学園の門を潜り敷地内に入った。御者をしているのはリューク、そして車内にはルシアナ、マイカ、そしてセシリアに扮したメロディが腰を下ろしている。
マイカはメイド服だが、ルシアナとメロディは私服姿だ。午前中は寮の準備に当てられ、学園は午後から始まる予定なのでまだ制服に着替えてはいなかった。
「私が馬車に同乗してもよかったんでしょうか」
少し心配そうに口を開いたのはメロディである。本日の彼女はメイドのメロディではなく、編入生セシリア・マクマーデンとして学園にやってきたのでルシアナに同乗することに気後れしているらしい。
「私がいいって言うんだから問題ないでしょ」
「そうですよ。気にしすぎですよ、メロディ先輩」
「マイカ、さすがにもう学園内だから馬車の中とはいえ呼び方には気を付けた方がいいわ」
「あ、そうですね。すみません、セシリアせんぱ、じゃなくてセシリアさん!」
「大丈夫かしら、この子……?」
慌てて名前を言い直すマイカに、ルシアナは呆れと心配を含んだ視線を向けた。そもそも、雇われた当初からセレーナやメロディを先輩と呼ばないよう指導されているにもかかわらず、なかなか直らないマイカである。セレーナですら既に諦めムードなのだからどうしようもない。
メロディもそれはよく分かっているので、誤魔化すようにテヘッと笑うマイカに苦笑するしかないのであった。
「名前の方は追い追い直していきますんで心配しないでください。あと、お嬢様のお部屋の管理も私とリュークに任せてください、メロディ先輩!」
「……ダメかもしれないわね」
「なんでですか!?」
即行で名前を言い間違えるマイカにルシアナは不安を隠せなかった。ツッコミをするマイカが自身の間違いに気が付いていないのだから余計に心配になるというものだ。
だが、それよりもメロディは他の事が気になり、大きくため息をついてしまう。
「はぁ……あの、お嬢様。私、やっぱり……」
「ダメよ」
「はうぅ」
間髪入れないルシアナの拒絶に、メロディは変な声を出して項垂れる。
一体メロディは何をそんなに嘆いているのだろうか? それは八月三十一日、いや、既に真夜中を過ぎた九月一日の深夜のことである。
『私、これからは生徒とメイドの二足の草鞋で頑張ります!』
『『『却下で』』』
――と、そういう事である。
メロディは当初、セシリアとして王立学園に編入し、昼間はルシアナと同じ学舎で彼女の護衛をしつつ、起床から登校までの時間や放課後のルシアナが就寝するまでの時間は普通にメイド業務に励もうと考えていた。
しかし、それは伯爵一家によって冷たく一蹴されてしまう。ルシアナはメロディと一緒に学園に通える点については喜んでくれたが、メイドと学生の両立に関しては許してくれなかった。
メロディは説得しようと頑張った。ルシアナへの護衛の必要性について語り、もちろん学生寮でのお世話の重要性についても訴え、ついでに、どのみち朝から夜までメイドとして働くことは同じなのだから昼間に学生をしたからといってメイド業務を止められるのは間違っているとか何とか。
そんな訴えを聞かされた伯爵一家はもちろんメロディの願いを切って捨てた。
確かに勤務時間という意味では同じかもしれないが、手慣れたメイド業務に勤しむことと、不慣れな学生・護衛生活を送りながらその上メイド業務まで加わるというのは、誰がどう考えたってブラック以外の何物でもなく、雇用主としては受け入れられない提案であった。
それでも、メイド業務ゼロは耐えられないと、朝はダメだが放課後に少しだけならメイドをしてもよいという許しを得ることができたのは、メロディにとってささやかな救いだったことだろう。
「まぁ、気持ちは分か……らないけど、学園に編入することはメロディ自身が言い出したことだからね、諦めてちょうだい。放課後は少しだけ仕事してもいいから」
「はい……」
「任せてください、メロディ先輩。私、これでもセレーナ先輩から『学生寮向け短期集中講座』を無理矢理やらされてレベルアップしたんですから! 紅茶の淹れ方も六十点を貰ったんですよ」
「舞踏会前は四十二点だったのにね」
「メチャクチャ頑張りました! ……正確に言えば頑張らされましたから! ホントに……」
マイカは遠い目をした。ルシアナはそっと目を逸らす。
「……本当に、姉妹揃って」
「雇われた当初の研修はもっと緩かったんですけどね……」
マイカの教育は割とゆっくりと無理なく進められていたのだが、メロディの編入が決まったことで状況が一変した。何せ、メロディがメイド業務をできないということは、マイカが中心になってルシアナの部屋を管理しなければならない事を意味するからだ。
その役目をセレーナが代わったところで今度は伯爵邸の管理を誰に任せるかという話になり、結局のところマイカには早急な教育が必要になったのである。
そして実施されたのだ。
九月十一日から十三日の三日間に『学生寮向け短期集中講座』が。
一学期にメロディが記した業務日誌を参考にカリキュラムが組まれ、セレーナが付き切りで淑やかに熱血指導を行った。その間、メロディは久しぶりに全ての業務を独り占めできて素敵な三日間だったと後に語っているが、短期集中講座を終えたマイカは真っ白になって燃え尽きていたとかいないとか……。
まあ、翌朝、つまり本日馬車の中で普通にしているのだから、一応何とかなったのだろう。
というわけで、セレーナによって強制的にメイド見習いとしてランクアップしたおかげで、メロディ的には悲しいことに、彼女がしゃしゃり出なくてもルシアナの部屋の管理はどうにかなる算段がついてしまったのである。
「ううう、同僚の成長を喜ばしいと思う反面、私の仕事を奪ったマイカちゃんがこんなに憎いなんて……ああ、一体どうしたら」
「えええっ!? 私あんなに頑張らされたのにメロディ先輩に恨まれるとか理不尽過ぎません!?」
併走する馬車の音でかき消されているからいいものの、ルトルバーグ家の馬車からは少女達の姦しい声が零れていた。
「……マイカ、うるさいな」
御者台に座るリュークの呟きは、もちろん誰の耳にも届きはしなかった。
学生寮が近くなった頃、メロディ達が乗る馬車が一旦路肩に止められた。併走していた馬車が通り抜けていく中、メロディが馬車を降りる。ルシアナの馬車はこのまま上位貴族寮へ向かうので、メロディはここから歩いて平民寮へ向かわなければならない。
馬車を降りたからにはもうメロディではなく、セシリア・マクマーデンである。メロディはセシリアとして貴族令嬢ルシアナ・ルトルバーグに接し、一礼した。
「ここまで送ってくださりありがとうございます、ルシアナ様」
「午後のホームルームで会いましょう。セシリアさん」
挨拶を交わすとルシアナの馬車は走り出した。馬車が遠くなるとメロディもまた平民寮に向けて歩き出す。お手製(大森林で遭遇した猪の魔物の革製)のトランクケースを両手で持って。
◆◆◆
「ふぅ、とりあえず問題なく入寮できた」
寮監に案内されて入った部屋のベッドに腰掛け、メロディは肩を揺らしながら息を吐いた。
初めて入った女子平民寮は意外と静かだった。寮監に聞けば、大体の生徒が昨日までに入寮を済ませていたらしい。
「だから、今日入寮の受付をしたのってあなたが最初なのよね」
と、寮監の女性から聞かされたのだ。寮監の名前はマリーサといい、王都の法服男爵家の奥方らしい。子供達が全員学園を卒業し、手が空くようになったため平民寮の寮監の求人に応募したのだとか。
ここは平民寮であるが寮監同士の集まりもあり、貴族寮の寮監は当然ながら貴族出身者が担当していることもあって平民寮の寮監も貴族出身者が選ばれているそうだ。
マリーサは夫に先立たれ、既に長男が爵位を継いだため自分は平民寮で暮らしているんだとか。
なんて話を聞きながら一階の部屋に案内されて今に至る。
平民寮の部屋はルシアナの部屋と比べれば簡素としか言い様がないが、学生寮としては十分な設備が整っていた。ベッドとサイドチェスト、勉強机とクローゼットが用意されており、小さいが調理場とトイレまで設置されている。さすがにお風呂は大浴場を利用するらしいが、そもそも入浴施設が用意されていることが破格ともいえる。
元々遠方から訪れた平民用に学生寮はあったが、お風呂は設置されていなかった。学生達はわざわざ王都の公衆浴場へ赴き、定期的に身だしなみを整えていたのである。
貴族が通う王立学園で身綺麗にできなければ何があるか分かったものではないからだ。そもそも一般的な平民の家庭に風呂などそうそうあるものではないため、慣れない者はなかなか手間取ったことだろう。
平民寮に大浴場が設置されたのは、現代日本の衛生観念を持つアンネマリーとクリストファーが嘆願した結果なのだが、もちろんそれをメロディが知る術はないのであった。
☆☆☆あとがき☆☆☆
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