第10話 編入試験開始
そして車内にはただ穏やかな時間が流れる。
(……なんだか前世のお父さんと二人で乗った観覧車を思い出すわ)
幼い頃父に連れられて乗った観覧車。
特に話すこともなく、静かに景色を眺めていた律子を優しく見守っていた父親。狭い車内だからだろうか、既視感のある雰囲気がこの場に生まれていた。
メロディの落ち着いた雰囲気が伝わったようで、クラウドもまた心が安らぐのを感じる。
そして彼女は気付いた。自分は思ったより緊張していたのだと。リラックスできたということはそれまでそうではなかったということなのだから。
(不思議ね。伯爵様は座っているだけなのに……元の髪色が私と同じだから親近感が湧くとか?)
……そこで父親の名前を思い出さないところがメロディである。おそらくもう一度手紙を読み返さない限り、思い出さないのではないだろうか。
そして馬車は王立学園に到着した。
「伯爵様、ありがとうございます」
「――? ああ。では、降りようか。セシリア嬢、手を」
先程のメロディとよく似た感じでキョトンと首を傾げつつ、クラウドは手を差し出した。
馬車が止まったのは王立学園の本校舎の正面玄関前のようだ。そこには学園長、副学園長、一年生の担任教師三名の計五名が待っていた。
「ようこそ、王立学園へ」
「出迎えに感謝を、アルドーラ学園長」
「セシリア・マクマーデンと申します。本日はよろしくお願いいたします」
学園長メイス・アルドーラと軽く挨拶を交わし、メロディ達は校舎の中に入った。
「本日の試験予定は、午前中に筆記試験、午後から魔法試験と面談を実施する。来たばかりで申し訳ないがあまりゆっくりもしていられない。すぐにでも試験に取り掛かっていただきたい」
「分かりました」
「結構。各試験は一年生の担任教師が案内してくれるので、それに従うように。レギンバース伯爵はどうされますか。試験は日暮れ近くまで掛かるでしょうし、先にお帰りいただいても」
「試験が終わるまで滞在させていただきたい」
「……分かりました。とりあえず学園長室に行きましょう。バウエンベール先生、お願いします」
「承知しました」
「セシリア嬢、健闘を祈っている」
「はい、伯爵様。微力を尽くします」
メロディはニコリと微笑み、学園長とクラウドを見送った。直後、三十代くらいの大柄な男性がメロディの前に立ちはだかる! ……ではなく、普通に前に立った。
「一年Aクラスの担任教師、レギュス・バウエンベールだ。午前の筆記試験を担当する」
続いて、深緑色の髪を後ろでまとめた痩身の女性がレギュスの隣にやってきた。
「一年Bクラスの担任教師、エルステラ・ネレイセンです。魔法試験を担当します」
最後に、茶色の髪を七三分けにした目つきの鋭い男性がメロディの前に立つ。
「一年Cクラスの担任教師、ヘラディオ・クリンハットです。学園長、副学園長とともに面談を担当します。レギンバース伯爵の推薦とはいえ甘い採点はしませんのでよく心に留め置くように」
「はい、よろしくお願いします」
三人の教師は試験のためか鋭い視線をメロディに向けていたが、彼女はそれに臆した様子もなく普段通りの態度で美しく一礼するのだった。
◆◆◆
「なーんでお前が来てんだよ」
「……別にいいだろう」
メロディと別れたメイスとクラウドは学園長室に来ていた。ちなみに、副学園長は二人にお茶を淹れた後は部屋を退室しているので二人きりである。
「私が推薦したのだから、責任を持って彼女をここへ連れてくるのは私の役目だ」
「んなわけあるか。そんなもん、いくらでも代理を立てられるわ……え? つまりお前、自分がやりたくて彼女と一緒にここまで来たわけ? しかも、試験が終わるまで待って?」
「……」
「何やってんだよ。仕事はどうした」
「……今日の分はもう終わらせてある」
「マジかよ……まさかお前、実の娘と同い年の少女に本気で懸想してるんじゃ」
「メイス、言っていいことと悪いことがある」
かつてない鋭い視線がメイスを貫いた。親の仇か外道でも見るような憤怒の眼光が迫る。
当然ながら、メイスはビクリと体を跳ねて顔色は真っ青に染まっていた。
「……わ、分かった。もうその話題はやめよう。んで、お前、日暮れまでどうするんだ?」
「ここで待たせてもらう」
「いや、お前は今日暇かもしれんが、俺は仕事だからな。お前の相手なんてしてられんぞ」
「構わない。ところで試験が日暮れまでかかるならセシリア嬢の昼食は」
「心配せんでもこっちで用意する。まさか一緒に昼食を取りたいとか言うつもりじゃないだろうな」
「むっ、それは……いや、やめておこう。試験中に集中を乱してはいけない」
(乱れてるのはお前の方だろ!)
少し照れたように顔を背けるクラウドの姿にメイスは驚きを隠しきれない。
(こいつ、今までこんなふやけた表情をする奴じゃなかったのに、急にどうした!? まるで――)
――親馬鹿みたいじゃないか。
思わず叫びそうになる心の声をどうにか堪えるメイス。
取り繕っているがクラウドは明らかに浮かれていた。実の娘の編入の時は鉄面皮のような顔で頼みに来たというのにこの落差は一体!?
(まさか、本当に第二の隠し子なのか? だが、セシリア嬢は娘って態度じゃなかったし……)
変なことに巻き込まれた。
何一つ答えが出ない中、メイスは面倒くさそうにそう思うのだった。
◆◆◆
王立学園編入試験の筆記試験は、学園で学ぶ共通科目のうちの四科目『現代文』『数学』『地理』『歴史』のテストが実施される。
各試験時間は四十分。十分間の休憩を挟んで連続で行われる。
試験範囲は原則的に編入学年度の全学習範囲だ。つまり、一年生の編入試験を受けるなら、夏に受けようと秋に受けようと一年生の間に受ける全授業範囲が試験範囲として扱われることになる。
学園で学ぶために、学園で学ぶ予定の学習範囲を試験されるとはこれ如何に。
もちろん学園側もこれで編入生に好成績を収めなければ編入させないなどとは考えていない。しかし、編入するからにはこれから受ける授業についてどの程度下地が出来ているのかを把握する必要がある。学園側はこれらの試験結果から編入希望者の学習意欲や態度を見極めていくのだ。
「それでは試験、始め」
一年Aクラスの担任教師、レギュス・バウエンベールの声で筆記試験が開始された。ちなみにここは彼が受け持つ一年Aクラスの教室である。
メロディは教室の真ん中の席を借り受け、まずは現代文の試験を始めた。
試験担当官であるレギュスは教壇の前に腰掛け、鋭い視線をメロディに向けている。
正直、普通の少年少女であればその視線に緊張して実力を発揮しづらいのではとさえ思えるが、メロディは気にした様子もなく試験用紙に向き合った。
問題文を読み、設問に答えていく。形式は典型的な日本のテストに近い。物語を読んで作者の考えや、登場人物の心情を尋ねる問題や、単語の意味を選択肢から選んだりする問題が中心だ。
(西洋風の世界観だし、もっと論文形式で出題されるかと思ったけど一問一答の問題が多いのね)
考える力よりも知識の有無を問われる形式のテストのようだ。
(これなら何とかなりそう)
試験を受けながら、メロディは内心でほくそ笑む。
論文形式だったとしても手抜かるつもりはないが、知識を埋めていく試験ならば得意分野である。メロディは淀みなくペンを走らせ続けた。
現代文の試験が始まって二十分くらい経過した頃、担当官のレギュスが静かに立ち上がった。試験を受けつつも視界の端でその様子を目にしていたメロディは、トイレだろうかと考える。
しかし、レギュスは無言のままメロディの下へと歩を進めた。
何か注意事項や訂正点でもあるのかと考えつつも指摘されるまでは気にするまいと試験を続ける。レギュスはメロディの背後に回ると数分、その場に立ったまま動かなかった。
(な、何の時間なの、これ……?)
試験中に余計な動きをするのもどうかと考えたメロディは、背後が気になりつつも試験に集中する。そして数分後、レギュスはメロディに声を掛けることなく教卓へ戻っていった。
「それでは試験、やめ」
レギュスの低い声で、現代文の終わりが告げられた。小さく息を吐きながら、メロディは頭を上げる。レギュスが近づき、メロディから試験用紙を回収していった。
「十分間の休憩とする。時間までに机に戻るように」
レギュスはメロディの試験用紙を封筒にしまうと、それを持って一旦教室を出て行った。
(とりあえず全部埋められたし、見直しをした限り間違いはないと思うけど……テストなんて前世以来だからやっぱり不安だなぁ)
全てきちんと解答したつもりでもうっかりミスをしてしまうのがテストというものである。全問正解とまではいかずとも良い点数になってくれればと願うメロディであった。
そして十分後、次なるは数学の試験が開始された。
「それでは試験、始め」
(数学は現代文よりは答えが明確だから安心だわ)
現代文以上に淀みなく解答していくメロディ。
正直なところ王立学園一年生の数学の学習範囲は日本でいうところの中学レベル相当であり、六歳の時点で『世界つまんない』とか考えていた天才の前世を持つメロディにとっては、赤子の手をひねるより簡単な問題であった。
一切滞ることなくペンを走らせ続けるメロディ。すると、レギュスは再びメロディの背後を陣取ってしばらく立ち続けた。そしてしばらくしたら教卓に戻っていく。
レギュスの行動に疑問を抱きつつも問題なく試験をこなしていき、四十分が経過して数学の試験は終了した。
続いて地理、そして歴史と試験をこなし、午前中の筆記試験は恙なく完了するのだった。
(結局、全テストで背後に回られたなぁ。本当に何だったんだろう?)
全ての試験を淀みなく答えつつも、メロディはレギュスの理解不能な行動に内心で首を傾げるのであった。
☆☆☆あとがき☆☆☆
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