第8話 編入試験のお知らせ

 クラウドと面談をして三日が経った九月六日の午後。

 メロディはレクトの屋敷を訪れていた。


「はい、粗茶でごめんね。でもメロディの指導のおかげで前よりは美味しくなってると思うわ」


「元々ポーラのお茶は美味しかったけど、お役に立てたなら嬉しいわ」


 応接室にお茶を運んできたのは、レクトの屋敷のオールワークスメイド、ポーラである。三つ編みおさげの茶色い髪を揺らしながら、メロディの前にティーカップを置いた。


「ありがとう、いただきます……うん、美味しい」


「よしてよ、照れちゃうわ」


 私服姿のメロディに褒められ、ポーラは後頭部を撫でながら嬉しそうに頬を染めた。

 本日、強制ホリデーなメロディである。屋敷には基本的にセレーナがいるし、見習いとはいえマイカとリュークもいるせい……ではなく、三人がいるおかげでメロディは定期的にお休みをもらえることになったのだ。不要だと訴えても休みを強制してくるホワイトな伯爵家である。


「ポーラはお仕事なのにごめんね」


「いいのよ。旦那様には許可をもらってるんだから。ゆっくりおしゃべりしましょう」


「ありがとう、ポーラ」


 休日を把握していたので、レクトには事前に訪問の許可を得ていた。具体的には、先日レギンバース伯爵を訪ねた帰りの馬車で確認していたのだ。


『俺もその日は休日なんだ。だから、その……よ、よかったらお、俺も一緒にお茶はどうか、と思うんだが……』


 と、なぜか何度も言葉を詰まらせながら尋ねられたことをよく覚えている。もちろんメロディは気にした様子もなく普通に承諾したのだが、相変わらず鈍過ぎる少女である。


「そういえばレクトさんは? 一緒にお茶をしようって話していたんだけど」


 メロディは周囲を見回す。応接室にはメロディとポーラの二人しかいない。


「ほぉ、旦那様にしては大胆。でも残念。外出中なのよねこれが」


「そうなの?」


「メロディが来る少し前に、レギンバース伯爵様から呼び出しがあって出掛けちゃったのよ。せっかく頑張ったのに、本当に間の悪い主人だこと」


「でも急な呼び出しだなんて何かあったのかしら。もしかして先日の魔物の件で何か進展でも」


「さあ、呼びに来た人はそんなに慌てた様子じゃなかったけど? そのうち帰ってくるだろうし、それまで二人でゆっくりおしゃべりでもしてましょうよ」


「……そうね。うちに来てもらっていた時はドレス作りが忙しくてゆっくり話す時間を取れなかったもの。今日は時間の許す限り話しましょう」


「「お化粧について!」」


 メイドの仕事を愛するメイドジャンキーなメロディと、他人を着飾ることが大好きで化粧に関してならメロディと同等以上の討論ができる少女、ポーラ。


 レクトの屋敷で熱いお化粧談義が今始まる!

 ……内容に目を瞑れば二人の少女の姦しい声が屋敷から漏れ出ているだけなのだが。


 それから一時間ほど経っただろうか。誰かが応接室の扉をノックした。お化粧談義を楽しんでいた二人の声が止まる。


「レクティアスだが、入ってもいいだろうか」


「あら、旦那様? いつの間にお帰りになったんですか。どうぞ」


「……玄関から呼んだんだがな」


 扉の向こうからため息が漏れ聞こえ、ドアノブがガチャリと音を立てる。扉が開くと少し疲れた表情のレクトが姿を現す。その手に大きな封筒を持って。

 メロディはソファーから立ち上がり、レクトに微笑みかけた。


「お帰りなさい、レクトさん」


「ああ、ただいま、メロディ」


(おや?)


 同じく立ち上がったポーラは、レクトの反応に少し驚く。これまでの彼であれば顔を赤くして口籠もったりしていたはずが、今日のレクトは素直に返事をし、少し微笑んでさえ見える。


(ふーん、本当にちょっとは頑張ってるみたい。どんな心境の変化があったのやら)


 レクトがほんの少しだけ成長したことに気付き、ポーラは内心でニヤリと笑った。


(ククク、まあ、どこまでやれるか分からないけど、ゆっくり見守ってさしあげますよ、旦那様)


「私はお茶を淹れ直してきますんで、旦那様は適当に座ってお待ちください」


「ああ」


 レクトはチラリとソファーを見た。ティーカップの位置で空いている席が分かる。二人掛けのソファーに向かい合って座っていたメロディとポーラ。当然、それぞれの隣が空いているわけで、レクトの視線は最初にメロディの隣をロックオンした。


 彼は歩き出し、そして腰を下ろす……ポーラの隣に。斜めに向かい合ったメロディとレクト。メロディも腰掛けニコリと微笑むと、レクトは頬を染めてそっと視線を逸らすのであった。


 ポーラは思わずジト目を向けてしまう。


(……成長したといってもこんなものよね。まあ、半歩前に進んだだけでもよしとしてやるか)


 主に対して超上から目線なオールワークスメイドがここにいた。ポーラが応接室を出ると、レクトはメロディへ顔を向ける。


「今日は出迎えられずすまなかった。急な呼び出しがあったものでな」


「お仕事ですから仕方ありません。私もお嬢様から呼び出しがあったら『通用口(オヴンクエポータ)』ですぐに帰るでしょうし」


「そ、そうか、すぐに帰ってしまうか……」


「それにしてもお休みの日に急な呼び出しだなんて、何かあったんですか? あ、もちろん差し支えるようでしたら聞きませんが」


「……いいや、むしろ聞いてもらわないと困るかな」


 レクトは手にしていた大きな封筒をメロディへ差し出す。


「これは君宛ての書類だからな」


「私宛て?」


 レクトから封筒を受け取ると、メロディは中から書類を取り出して内容を確認した。


「……これ、王立学園の編入試験の日程通知ですか?」


「ああ。どうやら閣下宛てに届いたらしい。学園に打診をしたのが閣下だからだろう。俺はそれを君に届けるよう仰せつかったというわけだ」


「それじゃあ、このために呼び出しが? お手間を取らせてしまってすみません」


「気にしないでくれ。それより、試験日程を確認した方がいいと思うぞ」


「はい。えっと、編入試験の日取りは……え? 明後日?」


 通知書には編入試験を九月八日に実施すると記されていた。

 想像以上に早い日程にメロディは驚いてしまう。


(伯爵様と面談をしたのが三日で、伯爵様が学園に打診をしたのが早くて四日。そして今日六日に通知が来て、明後日の八日には試験実施……これ、相当無理して準備をしたんじゃ)


 実際には面談当日の夜に打診しているので、メロディが考えている以上に伯爵は性急に動いている。


「あの、レクトさん。編入試験ってこんなに簡単に受けられるものなんでしょうか?」


「普通は無理だな。確か、閣下と学園長は学生時代の同期で親しい仲らしいから、その伝手で少し無理をしてもらったのかもしれない」


「……ですよね」


(当然合格するつもりだけど、これだけ頑張って準備をしてもらっておいて試験に落ちるなんて失態は絶対に犯せない!)


 メロディはバッと立ち上がる。


「レクトさん、急で申し訳ないんですが私、今日はお暇します」


「仕方ない。試験の準備をするんだろう」


「はい。お嬢様にお願いして教科書の読み直しをさせていただこうと思います」


 レクトは苦笑した。もう少し一緒にいたかったがこればかりは仕方が無い。彼も立ち上がると、紅茶を淹れ直したポーラが戻ってきた。


「お待たせ。あれ? 二人とも立ってどうしたの?」


「ごめんね、ポーラ。私、今日はもう帰らなくちゃ」


「ええ、もう少しいいじゃない。どうかした? 旦那様が紳士にあるまじき暴挙に出たの?」


「暴挙?」


「おい、ポーラ。普通に主に対する暴言だぞそれは」


「はい、ちょっと言い過ぎました。申し訳ありません。それで、もう帰っちゃうの? せっかくお茶を淹れ直したんだけど」


「ごめんね、学園の編入試験が明後日らしいの。帰って準備をしないと」


「明後日? 随分と急なのね。うーん、残念だけど仕方ないか。またお話しましょうね」


「ええ、今日はとっても楽しかったわ」


「すぐに馬車を準備しよう」


「そんな、悪いです」


「魔物の件もある。送らせてくれないか」


「いえ、こんな情勢ですから今日はこれで来たんです。開け、奉仕の扉『通用口』」


 応接室に簡素な扉が姿を現した。


「少しお行儀が悪いんですけど、これで直接私の部屋に帰りますね」


「改めて見ると、メロディの魔法って凄いわねぇ」


「……分かった。そちらの方が馬車より安全だから反対のしようもないな」


 感心したように扉を眺めるポーラの隣で、レクトは眉尻を下げて少し残念そうに微笑んだ。


「今日はありがとうございました。それでは」


 メロディが扉を開けると、ルトルバーグ邸の自室に繋がった。扉を潜るとメロディは振り返り、手を振りながらレクト達に別れを告げる。

 扉は姿を消して、メロディは自室に一人となった。そして封筒を手にして部屋を後にする。


「お嬢様、教科書を貸してくださーい!」


 まだ使用人部屋の通路だというのに、慌てているのかメロディは声を張り上げるのだった。




☆☆☆あとがき☆☆

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