第6話 宰相補佐から学園長へお願い

「今回の面談で何かございましたか」


「いや、違うんだ。その、だな……実は、セシリア嬢に尋ねたいことがあってだな」


「私に尋ねたいことですか? 何でしょう」


「……君はその、知っているだろうか…………セレ……ナ、という女性のことを」


(なぜ伯爵様が彼女のことを?)


 メロディは目をパチクリさせて驚いたが、すぐに気を取り直して質問に答えた。


「はい、存じております」


「――っ! 本当か!?」


 伯爵はテーブルに両手を突くと身を乗り出した。メロディは反射的に身を引いてしまう。


「は、はい。はルトルバーグ伯爵家のメイドですので」


「……セレーナ?」


「ええ、私が今お世話になっているルトルバーグ伯爵家にはセレーナというメイドがいて仲良くさせてもらっていますけど……」


「セレーナ……」


 クラウドは脱力してくソファーに腰を下ろした。まるで空気が抜けた風船のようである。意気消沈という言葉がぴったりな雰囲気だ。


「あの、大丈夫ですか、伯爵様」


「……ああ、すまない。大丈夫だ……さっきの質問は忘れてくれ。私の勘違いだったようだ」


「そ、そうですか……?」


「ところで、セシリア嬢は何か質問はあるかな」


「質問ですか? うーん……あ、セレディア様のお加減は如何ですか? 舞踏会ではご挨拶できずに早退されていたので少し心配で」


「ああ……どうやら舞踏会の翌朝から熱を出してしまったらしい」


「まあっ、大丈夫なんですか?」


「もう大分熱は引いたらしいが、今も大事を取って休ませている」


「ならよかったです。でも、まだお辛いようでしたらお見舞いは控えた方がよさそうですね」


「……気持ちだけ受け取っておこう」


 クラウドはそう告げるとそっと目を逸らした。

 メロディは少し不思議に思ったが、特に言及することなくレクトとともにルトルバーグ邸へ帰ることとなった。




「伯爵様、本日はありがとうございました」


「いや、私も有意義な時間を過ごさせてもらった。学園には編入の打診をしておくので、後日試験日の知らせが来るだろう。頑張ってくれたまえ」


「はい、微力を尽くします」


「……レクト、セシリア嬢をしっかり守るように」


「お任せください、閣下。では失礼します。行こう、セシリア」


「はい、レクトさん」


 二人はクラウドに一礼するとレギンバース邸を後にするのだった。

 帰りの道中、メロディは思う。


(それにしても、伯爵様の最後の質問は何だったのかしら? 『セレーナ』を知っているかだなんて。勘違いって仰っていたから別人のことだったのかな? 後でセレーナに聞いてみようっと)


 ……自分のことには圧倒的鈍感力を発揮する少女は、クラウドの質問の意図に全く気が付いていないようだ。


 そしていまだに実父の名前を思い出さない結構薄情な娘なのであった。


◆◆◆


 メロディが去った後、クラウドは執務机に突っ伏していた。


(セシリア嬢はセレナを知らない……ではなく、とはな)


 自嘲するように口元を歪ませるクラウド。

 初めてセシリアのフルネームを知った時、もしやと思ったのだ。


 セシリア・マクマーデン。愛するセレナと同じ家名の少女。


 もし彼女がセレナと関係のある人物であれば、きっとこの名前に反応してくれるのではないか。そんな希望が彼にはあった。

 セレディアという実の娘がいるにもかかわらず、ありもしない願望を捨てきれなかった。


 セシリア・マクマーデンこそが自分とセレナの間に生まれた娘なのではないかという夢を。

 セレディアに反応できず、セシリアに心揺さぶられた自分を肯定したくて現実逃避をしてしまったのだ。


(その結果、私は非情なる現実を突きつけられてしまったわけだ。愛する女性との間に生まれた実の娘を愛することができない非道な父親であるという現実を……)


 その非情さは、自分とセレナの関係を引き裂いた父親と比べてどれほどの差があるだろうか。突っ伏していた頭を上げて、クラウドは窓に映る空を見上げた。




 ……まさか歯切れの悪い言い方で質問したせいで『セレナ』が『セレーナ』と聞こえてしまったことに全く気が付いていないクラウドである。


 もっと踏み込んだ質問をしていれば何か変わっていたかもしれないのだが、臆病風に吹かれてしまったのか曖昧な質問でお茶を濁してしまった男の自業自得と言えなくもない。

 そう考えれば、確かにメロディが考えた通りレクトとクラウドは似た者主従と言えるだろう。




 それにしてもこの父娘、優秀な割に絶妙なところで勘が鈍い。

 もしもセレナがお空の上からこの光景を見ていたら呆れた顔でこう告げたのではないだろうか。


 ――この、似た者親子め!


 クラウドの思いが報われる日は……まだ遠い。


◆◆◆


 その日の夜。王立学園学園長、メイス・アルドーラ伯爵の下にとある客人が訪れた。


「……あのなぁ、学園が休校になったからって俺は別に暇でも何でもないんだからな。むしろ各種予定の調整で結構忙しいの。俺のこの顔見たら分かるだろう? 見てみろよ、この目の隈をさ。それをお前、いきなり執務室に突撃してきたと思ったら少女の編入試験をしてほしいって!? 頭沸いてんのかお前は!」


 メイス・アルドーラ伯爵。三十三歳。

 中肉中背、どこにでもいそうな茶色の短髪に、これまたどこにでもいそうな茶色の瞳を持つ、あまり特徴らしい特徴を感じない男である。唯一の特徴といえば生まれながらのくせ毛だろうか。それも悪目立ちしたくないという理由で髪を短くしているのであまり目立っていないのだが。


 そんな彼が怒鳴っている相手は、一目見たら忘れない珍しい銀髪、瞳の色こそ茶色だがその鋭い眼光は心に焼き付き、文官でありながらしっかり鍛えられた長身の体躯を持つ偉丈夫であった。

 長い腕と足を組んで椅子に腰掛ける姿のなんと凛々しいことか。


 言わずと知れたクラウド・レギンバース伯爵である。彼は無言でアルドーラ伯爵メイスと対面していた。


「大体、お前の娘の編入手続きだって大変だったんだぞ。どこでこさえてきたか知らんが、急すぎるわ! それでようやく落ち着くかと思ったら次は別の少女の編入試験をしてくれだって!? 今度はどこでこさえてきたんだよ! 同い年の娘なんて二股か最低だなお前!」


「……セシリア嬢は娘では、ない」


「なーに心の底から傷ついてますみたいな顔してんだよ。娘に認めてもらえなかったのか。二股パパは大っ嫌いってか、ご愁傷様!」


「……本当にセシリア嬢は娘ではない。単純に優秀だから学園で学ばせたいだけだ」


「……ああもう!」


 何かバツが悪いことでもあるのか、クラウドはメイスからそっと目を逸らした。メイスは面倒臭そうに頭をかくと、隈の浮かんだ瞳をクラウドへ向ける。


「同期のよしみで手伝ってやるがこれが最後だからな。何度も言うが学園長って忙しいの、暇じゃないの。きちんと二学期開始までに手続きできるようにしといてやるからお前、ちゃんとこの借りは覚えておけよ」


 やはり三十三歳の若さで学園長を任されるだけのことはあるのだろう。クラウドの急な要請にも対応できる能力を持っているようだ。クラウドはそれをよく理解しているようで、鷹揚に頷く。


「分かった。お礼によく効く栄養剤を進呈しよう」


「それで借りを返したつもりじゃないだろうな、クラウドさんよっ! それは必要経費! ちゃんと後でしっかり請求させてもらうからな」


「ああ、了解した……メイス、ありがとう」


 普段厳つい顔のクラウドが、ふわりと笑みを浮かべて礼を告げた。


「……はいはい、任されましたよ。やっぱお前のそれ、ズリーよな」


「ん?」


「何でもねーよ! それにしてもこんな急に編入させたいなんて、その娘はそんなに優秀なのか?」


「……ああ。試験をしたらきっとお前達は大いに驚くことだろうよ」


「ふーん」


 履歴書を読んだだけのメイスは気付いていない。その少女が舞踏会で『天使』と呼ばれた謎の美少女であることを。


 編入試験の結果が今から待ち遠しい。クラウドは少しばかり得意げに微笑むのであった。


(……俺に面倒ごと押し付けといて何だあの顔は。くっそー、お前もちょっとは働け!)


 どうやらクラウドの微笑はメイスの癪に障ったらしかった。




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