第3話 レクトの制止と止まらないメロディ
「お待たせしました、レクトさん」
「……」
レクトが待つ応接室に入るなり彼に挨拶をしたメロディだったが、レクトはメロディを見つめるだけで返事がない。ぼんやりとした瞳で彼女を見つめるだけであった。
(……可憐だ)
顔の両サイドに小さな三つ編みを結わえたことで雰囲気が変わったメロディに見蕩れてしまっただけなのだが、鈍感なメロディはそんな事実に気が付かない。
「レクトさん?」
「――っ! い、いや、何でもない。さあ、座ってくれ」
「ええ、言われなくても遠慮なく座らせてもらうわ。我が家のソファーですもの」
「お嬢様、お客様に失礼ですよ」
「ふーんだ!」
ちょっと不機嫌そうに勢いよくソファーに腰掛けるルシアナ。
メロディが窘めるが、どうやらルシアナはレクトの反応に気が付いたようである。相変わらずレクトへの当たりが強い。
さすがは元『嫉妬の魔女』。お気に入りのメイドに近づく男は漏れなく敵認定である。
春の舞踏会から一貫した塩対応にレクトは苦笑するしかない。腕を組んでプイッと顔を背けるルシアナにメロディも嘆息を我慢できなかった。
「あの、すみません、レクトさん」
「いや、俺は気にしていないから」
「そんなことはいいから本題に入っていただけます? メロディを迎えに来たんじゃないの? 話って何よ」
「あ、そういえば出発前にお話があるそうですね。どういったご用件でしょう?」
「ああ、そうだな。それは……」
メロディの問い掛けにレクトは答えようとして、すぐに詰まってしまった。
何か言いにくいことなのだろうかとメロディは首を傾げ――。
……。
…………。
「――って、あなたまた五分も黙ってるつもりじゃないでしょうね?」
「あ、いや、すまない!」
口籠もること約二分。
つい先日、ルトルバーグ領を訪ねたときも本題に入るまで五分も待たされた記憶が蘇り、ルシアナはさらに不機嫌そうな顔でレクトを睨んだ。
咳払いをして一旦気持ちを切り替えると、表情を改めてメロディに尋ねた。
「メロディ……君は、本当に王立学園に編入をしてルシアナ嬢の護衛をするつもりか?」
「はい!」
「……メロディの主を守りたいという気持ちは素晴らしいと思う」
「ありがとうございます」
「だが、それはとても危険なことだ。メロディが優秀な魔法使いであることは承知しているが、護衛となるとまた話は違ってくる。メロディ、君は本当にルシアナ嬢の護衛ができるのか」
「そ、それは……」
レクトが向ける真剣な瞳に、メロディは言葉に詰まってしまう。
彼の指摘は尤もだからだ。今まで誰からも指摘されなかったことが不思議なほどに。
メロディがメイドとして、そして魔法使いとして規格外であるがゆえに、それを目の当たりにしてきたルトルバーグ伯爵家の面々は誰も疑念を抱かなかったのだろう。
「先日魔物に襲われたばかりだから君がルシアナ嬢から目を離したくない気持ちは俺も理解しているつもりだ。しかし、護衛の技術を持たない人間が下手な動きをすれば却ってルシアナ嬢を危険に晒す可能性もある。もちろんメロディ自身の身も危険になるかもしれないんだ」
「……」
真剣な表情のレクトに、メロディは何も言い返せなかった。
メロディの前世、瑞浪律子はある程度の護身術を習得していたが、さすがに護衛技術を学ぶ機会はなかった。天才とはいえ独学で取得するにはいくら何でもハードルが高いスキルだったのだ。心得だけでどうにかなればボディーガードはいらないのである。
「あんな事件があった後だ。俺から伯爵閣下へ上申して王立学園の護衛を増やしてもらえるよう掛け合ってみる。……セレディアお嬢様も通われるのだからきっと考慮してくださるはずだ」
学園が再開されるのは王都の安全が確認されてからになるが、それでも貴族子女が通う王立学園の安全性を考えれば護衛の増員は十分考えられる対応だ。そうすれば、セシリアなんて人間に化けてまでメロディが無理して編入する必要はない。
「ルシアナ嬢、君はメロディが傷つく危険を冒してまで護衛についてほしいと考えるか?」
「いいえ」
一切躊躇のない真剣な答えが返ってきた。清廉な貴族令嬢の風格が感じられる。
「私はメロディに傷ついてまで守ってほしいとは思っていないわ」
「お嬢様!?」
「フロード騎士爵の言う通りよ。私、メロディが同級生になることばかりに目が行って、彼の言うリスクについて全然考えていなかった。私を守ってメロディを失うなんて、絶対に嫌よ!」
ルシアナは涙目になって声を荒げた。そして記憶が蘇る。ほんの二週間ほど前、故郷の屋敷跡地で遭遇した謎の黒い狼の魔物の存在を。
あの時、メロディは守りの魔法を掛けたメイド服を身に纏っていたにもかかわらず、狼の咆哮が直撃した彼女は完全に意識を失い、間違いなく呼吸が止まっていたのだ。
最終的に復活したからよかったものの、あの時の感覚は今でも忘れられない。メロディを失ったと感じたあの時の怒りと悲しみと、喪失感は絶対に忘れられるわけがない……!
メロディがあまりにも何事もなかったように普段通りに過ごしていたので、レクトに指摘されるまでこの懸念に気付かなかったことをルシアナは酷く後悔した。
「あんな思いはもう嫌よ。絶対に嫌なんだからね!」
「お嬢様……」
スカートをギュッと握りしめて、瞳に涙を溜めるルシアナ。その雫は今にも零れ落ちそうだ。
(一体何があったんだ……?)
想定以上に過剰な反応を見せたルシアナに、レクトはやや困惑した。
(まさか、俺の知らない所でルシアナ嬢があんなに取り乱すくらい、危険な目に既に遭遇してしまっているというのか)
伯爵領での戦闘について知らされていないレクトは戸惑うばかりだが、せっかくルシアナが賛同してくれそうなこの機会を逃すわけにはいかなかった。
今にも泣きだしそうなルシアナを宥めるメロディに向かって、レクトは口を開く。
「というわけでメロディ、王立学園の編入の件を考え直さないか」
「レクトさん……いいえ、私の考えは変わりません」
「――っ! どうして……」
涙目のルシアナの背にそっと手を回していたメロディは、レクトの言葉に逡巡するものの編入の決意を諦めることはなかった。
「ダメよ、メロディ!」
「落ち着いてください、お嬢様。レクトさん、これを見てください」
どこから取り出したのか、メロディは手の平に乗った小さな黒い玉をレクトの前に差し出した。
「これは?」
「先日の魔物、ハイダーウルフは自身の魔力の他に、別の黒い魔力を纏っていたんです」
「黒い魔力?」
「はい。この魔力が宿った魔物はなぜか通常の魔力攻撃では倒すことができなくなるみたいです」
「まさか、そんなことが? ……まて。メロディはなぜそんなことを知っているんだ」
「……ルトルバーグ領に滞在中、あれとよく似た魔物と戦ったからです。お嬢様、あの狼にも普通の攻撃は通らなかったんですよね?」
「う、うん。私とリュークが攻撃したけど、全然ダメージにならなかったわ」
「ルトルバーグ領でもそんな魔物が? まさか、これからこういう魔物が王国中で発見されるようになるとでもいうのか」
「いや、それは分からないけど……」
詳しい状況を見ていないレクトからすれば、メロディ達の話に危機感を抱かざるを得ない。王都とルトルバーグ領、遠く離れた地で似たような魔物が現れたとなると一時的なことではない可能性が出てくる。
「それで、その魔物はどうなったんだ。倒せたのか」
「あれは倒したってことでいいのかしら?」
「あれは『還った』んですよ、お嬢様」
「そうか」
(相手は『逃げ帰った』のか。つまり、メロディがいても倒しきれなかったということか。ルシアナ嬢が涙目になるわけだ。おそらくかなり危険な状況だったのだろう。ルトルバーグ領の倒壊した屋敷は魔物の被害によるものだったのか。やはりあの魔物は危険な存在だな)
まさか人間をパクリと一飲みできそうなほど巨大な狼の魔物と死闘を繰り広げたとは考え付かないレクトである。そして屋敷の倒壊は完全に無関係であった。
「そんな魔物が現れて、ルトルバーグ領は大丈夫なのか。護衛は確か一人しかいなかったはずだが」
「それは大丈夫です。あの魔物が襲ってくることはありませんので」
「そうか」
(魔物に逃げられたものの致命傷は与えたということか。一応は安心だな)
微妙に噛み合っていない会話が続くが、それを指摘する者はこの場にはいなかった。
「とりあえず話は分かったが、それでその黒い玉は何なんだ」
「これは先日のハイダーウルフが纏っていた黒い魔力を集めた結晶です」
「魔力の結晶?」
テーブルに置かれた小さな黒い玉をレクトは凝視した。
☆☆☆あとがき☆☆☆
小説4巻&コミック4巻 1月15日(月)発売です。
大好評?予約受付中。よろしくお願いします。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます