第18話 天使のダンス

 音楽が鳴り始め、ワルツが始まった。

 最初の一歩を出そうとしてメロディは気付く。


(え? これって)


 気付けばメロディの足は既に動いていた。シエスティーナのリードに誘われる形で。それはまるで、先日ルトルバーグ伯爵領で踊ったシュウの時と同じように。


 きっと何も気付かなければ普段以上に上手に踊ることができて楽しい気分になるのだろう。もしくは、シエスティーナとはダンスの相性がいいと喜ぶところかもしれない。しかし、実力者ほどシエスティーナのリードの巧みさに驚かされ、彼女の望むままに踊らされているという事実に畏怖するのではないだろうか。アンネマリーが警戒したように。


 それもまたシエスティーナの、ひいてはシュレーディンの人心掌握術の一つであった。

 そしてメロディは、なぜルシアナがシエスティーナを見てイラっとしてしまったのかその理由がようやく分かった。


(シエスティーナ様の歩き方がシュウさんに似ていたからなのね)


 まさかの共通点に思わずクスリと笑ってしまう……そもそも顔の造形やらほとんどそっくりなのだが、目の前で見ても全く気が付かないあたりシュウの変わりようが分かるというものである。日焼けしてニヘラッと笑うだけなのだが、それだけでもうギャップが凄過ぎてシュレーディンには見えないのだ。


(それはともかく、シエスティーナ様のダンスがシュウさんと似ているのなら……)


 やりようはある。メロディは実力者とのダンスを楽しむことにした。


(さあ、シエスティーナ様、どちらがダンスの主導権を取るか勝負ですよ!)


 今ここに、新たなる天使のダンスが始まった。






 セシリアをリードしながらシエスティーナは会場の観衆へ目を向ける。片手間でリードをしても十分に絵になる光景に見惚れるものがちらほらと。逆に笑顔を浮かべながら嫌悪感を隠しきれていない者や、あからさまに男装をする皇女を馬鹿にしたような顔で眺めている者、はたまた興味がないのか全くこちらを見ようともしない者など、色んな人間の姿が視界に映った。


 内心でこの後声を掛けるべき者の人選を思考しながらダンスをしていると、シエスティーナは不思議な違和感に気が付く。


(……なんだ?)


 周囲へ視線を向けるが、異常なものを見たわけでもなさそうだ。では一体……?

 疑問に思いつつも次のターンをリードしようとした瞬間、その正体が判明する。


(え? これは……まさか、私のリードが!?)


 今、シエスティーナはセシリアをリードしようとしたが、違った。今、シエスティーナはセシリアをリードのだ。


 シエスティーナは先程から何が変だったのかようやく理解した。目の前の少女セシリアが、シエスティーナが取ろうとしているリードを理解したうえで先んじているのだ。その結果、シエスティーナのリードが後追いの形となり、ある意味機能を果たしていない。


(馬鹿な、そんなことが……)


 そのうえ、片手間で意識が逸れていた隙を狙ったのか、次にどんなリードをするのかをセシリアの意思で仕向けられているようにさえ感じられる。


(ありえない、こんな……)


 驚愕の中、セシリアと目が合う。彼女は悪戯が成功したような達成感のある表情でシエスティーナへ微笑みかけた。

 何も言わず、ただ笑みを浮かべたままダンスに興じるセシリア。それはまるで『やっと気が付きました?』とでも告げているかのようだ。


(……これは、君から私への挑戦状かな?)


 シエスティーナはアイスブルーの瞳を煌めかせながら、ニコリ、いや、ニヤリと笑った。

 シュレーディンへの競争心からも分かるように、シエスティーナは生来負けず嫌いだ。得意なダンスでイニシアティブを奪われた状況を許容することはできない。



 本来の目的をすっかり忘れて、シエスティーナはメロディとのダンス対決を始めた。



 ……ちなみに、二人が踊っているのはワルツである。フィギュアスケートや競技ダンスのような激しくもアクロバティックな動きなど全然ない、ワルツである点にご注意ください。



 本気を出したシエスティーナとセシリアのダンスは、あっという間に会場を魅了した。

 それはさながら『天使を追い求める騎士』といったところか。天へ帰ろうとする天使に、どうか帰ってくれるなと、あなたと離れ離れになりたくないのだと懇願する美麗な騎士の光景が観衆の脳裏に映し出される。



 それはつまりセシリア、いや、メロディが優勢であることを示していた。



◆◆◆



「……美しいダンスですね」


 ダンスホールから少し離れたところで、セレディアがポツリと呟いた。一緒にいるのはダンスに出なかったアンネマリーとルシアナ、そしてパートナーのセブレの四人だ。


「ううう、本当は私がセシリアさんの相手をしたかったけど、確かに綺麗だわ」


 目の前の光景に目を輝かせつつも悔しそうにするルシアナ。うっかりハンカチを噛んで『キーッ!』とか言わないか心配な雰囲気である。

 アンネマリーもまた、初めて見る『天使のダンス』に魅了されていた。レクトと踊っていた時とは明らかに雰囲気が違う。あれが彼女の本気なのだと理解できる。



 その姿はまるで――。



「……あの場では、あの子が主役のよう」



 アンネマリーがまさに口にしようとした言葉を、セレディアが声に出した。


「セレディア様?」


 彼女の抑揚のない声に違和感がして、ルシアナはセレディアを呼び掛ける。彼女は無表情のままルシアナの方を向いた。


「……ルシアナ様は、マクスウェル様のパートナーなのですよね?」


「え? ええ、そうですが」


「どのような経緯でパートナーになったのですか」


「そ、それは……パートナーになってほしいと……頼まれたもので」


 当時のことを思い出したのか、ルシアナは俯きがちに顔を真っ赤にしてぼそぼそと答えた。彼女の前でセレディアがどんな顔をしているのかも知らずに。


「そうですか、頼まれて………………たしなのに」


「え?」


「セレディア様!?」


 セブレの声にダンスに見惚れていたアンネマリーも気が付く。ルシアナの前でセレディアがふらつき倒れそうになったのだ。


「まあ、大丈夫、セレディア様」


「は、はい。何だか急に疲れてしまったみたいで……」


 ついさっきまでそれほどでもなかったのに、今のセレディアは随分と顔色が悪い。


「申し訳ありませんが、今日はこのあたりで失礼いたします。セブレ様」


「ええ、お供いたします。必要であれば私に寄りかかってください」


「うふふ、そんな、はしたないわ。エスコートだけしていただければまだ大丈夫です」


 セブレの腕で体を支えてセレディアはゆっくりと立ち上がる。


「他の皆様にご挨拶できなくて申し訳ないのですが、これにて失礼いたします」


「ええ、お大事にね。セブレ様、セレディア様をしっかりお守りくださいませ」


「もちろんです」


「セレディア様、また学園で会いましょう」


 ルシアナの言葉にセレディアは笑顔を返した。そして一礼すると舞踏会を後にするのであった。

(何事も、なければいいのだけど……)


 アンネマリーは心配そうにセレディアの背中を見つめていた。

 音楽がやみ、ダンスが終わった。その直後、観衆から拍手喝采の嵐がシエスティーナ達へと降り注ぐ。正直、ファーストダンスの時よりも大きいのではないだろうか。


 ワルツを踊っていただけなのに、息を切らせながら周囲の状況を眺めるシエスティーナ。余程メロディとの主導権争いに集中していたのか額から汗が噴き出している。


(結局、最後までリードを取り返せなかったな。でも……)


 この気持ちは何だろうか。拍手などこれまで何度も受けてきたというのに、今自分へ向けられている拍手はいつもと違う印象を受ける。何が違うのだろうか……?


 今までその努力を認めてもらえた経験のないシエスティーナは、それが全力を出して頑張った者へ向けられた本当の賞賛であることに、まだ気付くことはできなかった。


「殿下、とても楽しいダンスでした。ありがとうございます」


「……ああ、こちらこそ。付き合ってくれてありがとう……でも、次は負けないよ」


「ふふふ、それはどうでしょう?」


 メロディはニコリと微笑む。シエスティーナの心臓が思わずドキリと高鳴った。


「さあ、ルシアナ様達の下へ戻りましょう」


「そ、そうだね」


 メロディをエスコートしながら、シエスティーナの胸の鼓動はずっと早鐘を打ち続けるのだった。


 それが何を意味しているのか、シエスティーナ自身にもまだ分からない。


「えっ、セレディア様は帰られたんですか」


「ええ、体調が悪くなったみたい」


「そうですか。仕方のないこととはいえお別れの挨拶ができなかったのは残念です」


 今回の舞踏会がセシリアとしての最後だと思っているメロディは、もう言葉を交わす機会はないと考え、きちんと挨拶できなかったことを残念に感じるのだった。



 とはいえ、舞踏会はその後も恙なく進行していく。


 レクトはレギンバース伯爵の命令もあって、この後ミリアリアやルーナ、アンネマリーともダンスをした。すると気が付けばルシアナのグループ以外の淑女の皆様が列を成して待っていたという。口元を引き攣らせながらも、伯爵から与えられたノルマ達成に勤しんだ。


 フリーになったメロディは、この後クリストファーやマクスウェルともダンスをして、それ以降はルシアナ達との歓談で時間を潰した。いくらかダンスを申し込もうとした勇気ある紳士がいたのだが、ルシアナという鉄壁のガードを崩すことは叶わなかった。


 ルシアナグループとの交流が一段落するとシエスティーナ一行は次の挨拶回りへ行ってしまった。

 去り際、シエスティーナから「次の舞踏会でもまた一緒に踊ってくれるかな」と問われたが、次の舞踏会に出るつもりのないメロディは眉を八の字に下げながら「機会がありましたら」と曖昧に答えるのだった。


 ちなみに、シエスティーナはこの後も数名の女性とダンスを踊るのだが、男性の中にシエスティーナにダンスを申し込む猛者が数名いたことを伝えておこう。


 残念ながらシエスティーナは男性パートしか踊れないのでお断りしたが、男装の麗人に魅了される男性も当然ながら存在するのである。それは、シエスティーナにとってちょっとした収穫であったようだ。




☆☆☆あとがき☆☆☆

最新小説第3巻は9月20日(水)発売予定。

発売まであと2週間!

地域によっては書店に並ばない可能性がある(泣)ので事前の予約がおすすめです。

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