第17話 シエスティーナ・ヴァン・ロードピア
(どうしてこうなったのかしら?)
ダンスホールにてシエスティーナ皇女と向かい合いながらメロディはそんなことを考えていた。女性にしては長身のシエスティーナがイケメンスマイルでこちらを見下ろす。
「そう緊張することはありませんよ。普段通り、あなたのダンスをしてください」
「は、はい」
シエスティーナからダンスを申し込まれて、平民のメロディにそれを断る手段などありはしなかった。ダンスホールにはメロディ達以外にも、レクトとベアトリス、マクスウェルとミリアリア、クリストファーとルーナのペアが、音楽が始まるのを待っている。
ベアトリス達はまだダンスをしていなかったし、レクトはレギンバース伯爵からセシリア以外の女性ともダンスをしてくるよう命じられていたのである意味ちょうどよかった。
……シエスティーナと踊るメロディが気になっていることもまた事実ではあるが。
マクスウェルとクリストファーは、ルシアナとアンネマリーからのミリアリアとルーナに対する気遣いである。ベアトリスだけ踊るのも何だかあれなので。
困惑した様子のセシリアを見つめながら、シエスティーナは内心でほくそ笑む。
(身分は平民。王立学園の生徒でもない。この神秘的な美貌には驚かされたが、パートナーが貴族とはいえその爵位が騎士爵であるならば、正直言って大したコネもないだろう。つまり……利用しやすいというわけだ)
大変不穏な思考であるが、シエスティーナは悪辣な考えを巡らせているわけではない。
(およそ接点が生まれなさそうな相手。彼女とのダンスなら片手間でやれるだろう。その間に王国の貴族達が私に向ける目をじっくり観察させてもらおうじゃないか)
皇女でありながら皇子のような格好をしている自分が異質であることを、シエスティーナはよく理解していた。だが対面する者が、貴族が、本人を前にそれに対する感情を露わにする可能性は低い。
(そもそもそんな貴族などに利用価値はないしね)
だが、シエスティーナが見ていない場所であればどうだろうか。シエスティーナがダンスをしている間なら、その隙を狙って感情を表す場面もあるのではないか。
自身の目的のために、王国内で自分の味方・敵になるであろう人物を少しでも早く炙り出したい彼女の情報収集の一手である。
そのうえで、セシリアはダンスの相手としては適任といえた。貴族よりも気を遣う必要のない平民で、王立学園生でもないので接点を気にしなくともよい。パートナーの身分も低いのでおそらく影響力もほぼないといえるだろう。
そんなセシリアが相手ならば、周囲を観察しながら片手間でダンスをしても大した問題にはなるまい。自分の技量ならば片手間であっても十分魅力的なダンスを踊れるのだから。
(平民の少女に皇女の相手をさせて申し訳ないが、利用させてもらうよ……私があいつに、シュレーディンに勝つためにね!)
◆◆◆
「おめでとうございます、皇女様がお生まれになりました」
十五年前の三月。大変な苦しみの末に出産を終えた皇帝の第三側妃アルベディーラは、産婆の言葉に金切り声を上げた。
「そんなはずがないわ! 私の子供は皇子のはずよ。ありえないわ!」
「い、いえ、確かに皇女様でございます……」
「誰か! この嘘つきの女を八つ裂きにしてやりなさい! 私の子供は皇子よ、皇子でなければならないのよ!」
第三側妃アルベディーラは、自分が産む子供がいずれ帝国の皇帝になるのだと信じてやまない野心の強い女性であった。既に正妃には第一皇子がおり、彼女が出産する前日にも第二皇子が生まれているという現実を無視すれば、の話であるが。
出産で体力が限界に近いにもかかわらず大声で叫ぶアルベディーラの前から産婆は姿を消した。もちろん産婆に責任などないので、退席させただけで八つ裂きになどなっていない。
「私の子は皇子よ、皇子じゃないとダメなの、皇帝になるのは私の子なのよ……」
アルベディーラの下に生まれたこと。
それがシエスティーナの不幸の始まりであった。
世継ぎとなる男児が正妃から二人生まれた時点で、皇帝は我が子に対する興味がほとんど失われていた。ましてや側妃が産んだ皇女の教育への関心などなく、シエスティーナの教育は完全にアルベディーラの自由であった。
そして、皇女という現実を受け入れられないアルベディーラはシエスティーナに皇子としての教育を施していく。
服装から仕草、喋り方に至るまで男性としての在り様を強制される日々。せめて自分が男だと信じ込むことができていれば楽だったかもしれないが、聡明なシエスティーナは物心つく頃には自分が女であることをしっかり理解していた。
それゆえに思い悩む日々となる。目をギラつかせてシエスティーナに男装を強要する母親にドレスを着たいなどと言えるはずもなく、それに付き従う者達に弱音を吐く勇気など持てず、現状を把握しながら改善を命令しない皇帝を頼ることなどできるはずもなく。
シエスティーナはこの状況を無理矢理にでも受け入れるしかなかったのである。
さらに辛かったのは、一日違いで生まれた兄の存在であった。
正妃の下に生まれた正真正銘の皇子だ。アルベディーラの劣等感を刺激する存在であり、否応なしにシエスティーナの競争相手でもあった。
シエスティーナはアルベディーラの子供とは思えないほど優秀な娘だった。アルベディーラが用意した指導内容を軽やかにクリアしていき、教師陣からも太鼓判を押される成長ぶりだ。アルベディーラもご満悦で、シエスティーナもホッと胸を撫で下ろしていたのだが、現実は非情である。
第二皇子シュレーディンの教育成果は、シエスティーナを凌駕していたのだ。勉強も運動もシエスティーナを上回る点数を叩き出していくシュレーディン。シエスティーナが血のにじむような努力の果てに得た結果を、シュレーディンは軽々と飛び越えていく。
アルベディーラの命令で皇子のような振る舞いをしていたせいか、周囲からシュレーディンと比較されるようになっていった。
皇子のように振る舞いながら同い年のシュレーディンに一歩及ばぬ力不足な皇女。十分に優秀であるにもかかわらず、男装をしているせいで周囲に認めてもらえない日々。
皇子らしく振る舞ってもシュレーディンに勝てないからと認めてくれない母アルベディーラ。いや、きっと、皇女として生まれた時点で、彼女はシエスティーナを一生認めるつもりなどないのかもしれない。
不満を口にできる相手がいない中、彼女が唯一表に出してよかったのは第二皇子シュレーディンに対する競争心だけだった。それだけは、母アルベディーラの前ではっきり出しても問題のない感情だった。
つまりはただの八つ当たり。それでも止められないシエスティーナの感情。
……シュレーディンが善人であればそんな気も失せたかもしれないが、残念ながら第二皇子シュレーディンは自分に劣るシエスティーナに鼻を鳴らして冷笑を浮かべるような人間だったので、シエスティーナの中での彼に対する競争心は大いに掻き立てられていった。
とはいえ、それでシュレーディンに勝てるかといえばそう簡単な話ではなく、もうすぐ十五歳となる頃になっても彼女が報われる日はまだ訪れていない。
そんな中、四月になったと思ったらとんでもない知らせが舞い込んできた。
「シュレーディンが行方不明?」
「はい、まだ極秘扱いですが帝城上層部はかなり混乱しているようです」
この頃になるとシエスティーナの周りには優秀な駒が揃うようになっていた。シュレーディンに勝つために人心掌握術を学び、情報網の構築を進めていたのだ。
「……理由は?」
「不明です。ですが、この前夜に秘密裏に御前会議が開かれていたようです。そこには第一、第二皇子も出席しておられたようですが……」
「ふっ、継承権はあっても皇女はお呼びでないと」
「……」
皮肉な笑みを浮かべるシエスティーナに諜報員は無言を返した。
皇帝の子供には男女を問わず継承権が与えられている。しかし、それはある種の形式に過ぎず、皇女に与えられた継承権が行使された例はまだ一度もない。皇女の継承権には順位がついていないのだ。本当にあってないような継承権である。
おそらく継承権を持つ全ての男性がいなくなって初めて効力を発揮するのではないだろうか。
「……会議の内容を探ってくれ。あと、シュレーディンの行方についても」
「御意」
それから数ヶ月。
かなり極秘扱いだったのかようやく御前会議の内容をシエスティーナは知ることができた。
「シュレーディンが留学生としてテオラス王国へ留学?」
「第二皇子ご自身が王国へ乗り込み、情報収集と内部の切り崩しによる王国への侵略計画だったようです」
「ふーん、あいつならそれができた可能性はあるね。これが成功すればシュレーディンの帝位継承はグッと近づくことになる……はずだったのに、なぜあいつは行方不明に?」
「残念ながら置手紙以外いまだ情報一つ見つからず……」
「……となると、シュレーディン自らの意思で出奔した? 計画が可決された直後に? 意味が分からない……が、これはチャンスかもしれない」
「チャンスですか」
「ああ、せっかく可決された計画がシュレーディンのせいで台無しになるのは可哀想じゃないか。だったら誰かが引き継いであげてもいいと思わないかい?」
諜報員に向けて如何にも温和そうな微笑を浮かべるシエスティーナ。
「本当は遺憾なことだが、あいつの代わりが務まる人物が私以外にいると思うかい?」
「……おられないでしょうね」
シエスティーナは慈悲深そうにニコリと微笑んだ。
シュレーディンに勝つために、彼が学んだことには全て手を付けていったシエスティーナは、本人が認めたくなくとも彼の下位互換的存在に成長していた。
その手腕を活かし、皇帝を説得してシエスティーナはどうにかギリギリ王国への留学の切符を手に入れたのである。
「お前がなぜこの好機を捨てたのか理解に苦しむが、捨てたのなら私が拾ってやろう。そして、私という存在を帝国に知らしめてやろうじゃないか」
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