第16話 第二皇女の誘い

「今いくつか同学年のグループを回って、シエスティーナ殿下を紹介しているところなの。私達と同じクラスに入られる予定だからここにいる何人かはクラスメイトになるわね」


「アンネマリー嬢、よろしければ彼女達を紹介していただけますか」


「ええ、まずは……」


 シエスティーナに乞われ、アンネマリーが目の前の少女達を紹介しようとした時だった。


「あ、だったら最初に彼女を紹介させてください! セレディア様!」


 ルシアナはグループの後方にいたセレディアを引っ張り出した。


「まだアンネマリー様やクリストファー様とも面識がないでしょうから先に紹介させてください。レギンバース伯爵家ご令嬢、セレディア様です」


「えっと、セレディア・レギンバースと申します。どうぞお見知りおきくださいませ」


 突然のことに驚きつつもセレディアはサッとカーテシーをして、寂しげな笑顔を見せた。

 その姿に、アンネマリーは思う。


(彼女がセレディア。レギンバース伯爵の娘。設定どおりなら彼女が魔王を倒す鍵となる聖女のはずだけど、名前やら登場の仕方やらゲーム設定と差異があるせいで確証を持てないわ。見た目も銀髪と瑠璃色の瞳は同じだし、確かにゲーム前半でのヒロインちゃんはあんな風に寂しげな笑顔を浮かべるスチルが多いのだけど……)


 乙女ゲーム『銀の聖女と五つの誓い』において、ヒロインのセシリアは母を亡くし、故郷を離れ半ば強制的に実父の伯爵家に迎え入れられることになる。馴染みのない場所へ放り込まれたヒロインの微笑みは、しばらくの間取り繕ったように寂しげなものが多いのだ。

 アンネマリーが考え込む間も、セレディアとの会話は続く。


「そうか、君が……」


「私のことをご存じなのですか?」


「名前だけはね。これでも王太子だから。同じクラスに新しく入るクラスメイトの名前は事前に入ってくるんだよ」


「私も殿下のクラスに……?」


「おや、ではセレディア嬢と私は本当に同期というわけだ。明日からよろしく頼むよ」


「は、はい、どうぞよしなに」


 イケメンスマイルを浮かべるシエスティーナに、セレディアは顔を真っ赤にしてそう返した。セレディアの挨拶が終わると、この場にいる者達が順番にシエスティーナに自己紹介をしていく。同学年でないマクスウェルやそもそも学園生でないレクト達もいるが、皇女を前に挨拶をしないなどありえない。


 大方身分順でシエスティーナと挨拶を交わしていく一同。平民であるメロディことセシリアは当然ながら最後となる。


 そう理解して集団の最後方で待っていた時だった。

 メロディの耳にノイズ混じりの異音が響いた。


(……インは……たしよ……!)


 その直後、メロディの視界が靄掛かったように真っ暗になった。


(えっ!?)


 一瞬で視界が塞がれたことに驚くメロディ。

 驚きすぎて声もでない。

 大きく目を見開き、反射的に瞬きをした直後、視界は元に戻っていた。


「え? 今のは……?」


 目の前では何事もなかったかのように、少女達がシエスティーナへ挨拶をしているところだった。どこにも先程の靄があった形跡も見られず、誰かが騒いだ様子もない。


(……気のせい、にしてははっきり暗かったような)


 まさか一瞬気を失ったりでもしたのだろうかと考えるが、体調に問題はないはず。結局何だったのか分からないまま、メロディが挨拶をする順番となった。


 しかし――。


「シエスティーナ様、よろしければロードピア帝国のお話を聞かせてくださいませ」


(えっ?)


 メロディが前に出ようとする直前に、セレディアが割って入った。まるでメロディことセシリアなどいないかのように。


「帝国のことかい? そうだね、あそこは雪の多い国で――」


 そしてシエスティーナもまた、セレディアの行動を咎めることなく会話を始めた。アンネマリーやクリストファーを始めとした周りの者達も特に反応を示さない。


 隣に立つレクトでさえ。


 唯一ルシアナだけはムッとした表情をしているが、シエスティーナがそのまま会話を始めてしまったのでどう対処していいか分からないようだ。


(私は平民だから挨拶はしなくてもいいってことなのかな? この場合、礼儀としてはどっちが正しいんだろう……?)


 何だか突然除け者にされたような気がして、メロディは疎外感を覚える。

 その時だった。パチンッ! と、勢いよく扇子を畳む音が周囲に響いた。


「まあ、なんて礼儀知らずな娘なのでしょう」


 全員がハッとして声の方へ振り向いた。真っ赤なドレスに身を包んだ令嬢が、ヒールをカツカツと鳴らしながらこちらへ歩み寄ってくる。


「オリヴィア様……」


 アンネマリーは呆然とした感じで声に出した。オリヴィア・ランクドール公爵令嬢である。オリヴィアはシエスティーナの前まで来ると優雅にカーテシーをしてみせる。


「先程ぶりでございます、シエスティーナ皇女殿下」


「ええ、先程挨拶させていただきましたね、オリヴィア嬢。こちらには何か御用で?」


「いいえ、私は父に用事があってそちらへ向かう途中でしたの。ですが、その途上で随分と無作法な娘を見てしまったのでつい口が出てしまったのですわ」


 そう言うと、オリヴィアはセレディアへ鋭い視線を向けた。


「あなた、そちらの方がまだシエスティーナ様への挨拶をしていないというのに、それを遮って話をしだすなんて、一体これまでどういう教育を受けていらしたのかしら?」


「え? え?」


 セレディアは困惑した様子でオリヴィアとメロディの方を見やった。酷く動揺しているようで、言葉がなかなか出てこない。


「お、お嬢様、大丈夫ですか」


 セブレもセレディアの様子にオロオロするばかりで対処に困っているようだ。


(オリヴィア様……確かお嬢様のクラスメイトで、ランクドール公爵令嬢よね)


 自分にも関係がある以上、このまま放置するわけにはいかない。メロディはオリヴィアの方を向いた。


「お気遣いいただきありがとうございます。ですが、私は平民の身ですので」


「そうですか。となれば、あなたの隣にいる方がパートナーで、貴族なのでしょう。だというのに、自分のパートナーが蔑ろにされて何も行動しないとは。恥ずかしくないのかしら」


 オリヴィアの言葉に、レクトはようやく正気を取り戻したかのようにハッと目を見開いた。罪悪感を溜めた表情でメロディの方を向くと「すまない」と謝罪する。

 その様子を見たオリヴィアは扇子を口元へ広げて鼻を鳴らした。そして、アンネマリー達の方へ向き直る。


「アンネマリー様とクリストファー様がいながら何ですかこの体たらくは。礼儀を失する者がいればその場で改めさせないでどうします。後々本人が困ることになるのですよ」


「それは……そうですね。ええ、オリヴィア様の仰る通りですわ」


「私も、もう全員が挨拶を終えていると思い込んでいた。忠言に感謝するよ」


「……いいえ、私も少々言い過ぎたようですわ。場を白けさせてしまったようで申し訳ありません。では皆様、失礼しますわ」


 オリヴィアは軽くカーテシーをすると、そのまま人混みの奥へと姿を消してしまった。


「えーと、言われてみればまだセシリアさんの挨拶が終わってなかったような……」


 オリヴィアが去った後もしばし呆然とする一同。ようやくベアトリスが口を開いた。


「そういえばそうでしたわ。緊張していたせいでしょうか、私も失念していました。申し訳ありません、セシリアさん」


 続いてミリアリアもメロディに向けて謝罪の言葉を告げた。


「あの、私は大丈夫ですので、あまりお気になさらないでください!」


 皆が口々にセシリアへ謝罪するので、むしろメロディの方が慌ててしまう。


「私も君に気付かず申し訳ない。改めて君の名前を教えてくれるかな?」


 シエスティーナが前に出て、メロディの名前を尋ねた。


「いえ、でも私は平民の身ですし、皇女様にご挨拶できるような身分では……」


「この舞踏会に参加しているのだから、挨拶を交わすぐらいは構わないと思うよ」


 眉を八の字にして微笑むシエスティーナの態度に、メロディは意を決することにした。


「では改めまして。本日はレクティアス・フロード騎士爵のパートナーとして参りました。セシリア・マクマーデンと申します。私は王立学園に通う身ではございませんので殿下にお会いする機会はもうないかもしれませんが、お見知りおきいただければ幸いです」


 礼儀作法の指導を受けたことがある者なら誰もがホゥとため息をつきたくなるような優雅なカーテシーが、シエスティーナの前で披露された。

 礼儀作法だけで他人を魅了できる人間がどこにいるだろうか? スッと立ち上がり、シエスティーナへ向ける笑顔もまた至上。まさに天使のような微笑みであった。


 皇女へ挨拶をするからと気合が入ったのか、メイドオーラ増し増しの神秘的な雰囲気を醸し出している。虚を突かれたような顔でメロディを見つめるシエスティーナ。傍らのアンネマリーなどその神秘的な可憐さに瞳が蕩けてしまいそうだ。


(ああ、これが春の舞踏会で皆が見たっていう『天使様』。本当に天使のような可愛さだわ)


(すげー可愛いなあの子。神秘的過ぎて穢しちゃいけないアンタッチャブルな雰囲気すらあるわ。平民なのに俺でさえ手を出しちゃいけない高貴さすら感じる)


 クリストファーもまた天使なセシリアの姿に魅了されていた。


(……そうか。彼女が会場でちらほら噂になっていた『天使様』か。確かに、この美しさと雰囲気は天使を思わせる……ふーん、使かな?)


 いち早く正気を取り戻したシエスティーナはほんの少し目を細めると何事もなかったようにイケメンスマイルを浮かべてこう告げた。


「セシリア嬢、もしよろしければ次のダンスで私と踊っていただけませんか」


「……え?」


(((((ええええええええええええええええええええっ!?)))))


 シエスティーナの言葉に、天使に魅了されていた全員が正気を取り戻すのだった……いやこれ、戻ったと言えるのだろうか。

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