第19話 襲い来る猟犬

 王都にあるレギンバース伯爵邸。体調を崩して舞踏会を早退したセレディアは、屋敷に帰りつくとセブレとも別れ、自室のベッドで休息を取っていた。


 侍女が寝息を立てる姿を確認し、暗い部屋で一人になる。それからしばらく規則正しい呼吸音が続いたが深夜に近づいた頃、それが止まる。


 セレディアはベッドから起き上がると床に降り立った。寝間着姿のまま辺りを見回し、窓のカーテンを開く。月明かりが差し込み、部屋の隅には影が生まれた。


 セレディアは部屋の角に出来た影に向かって歩き出す。このままではぶつかってしまう。だというのにセレディアの歩みは止まらない。


 彼女の頭が部屋の隅に激突する!

 という瞬間、セレディアの姿は煙のように消えてしまうのだった。



◆◆◆



 舞踏会は真夜中を迎えようとしていた。大人達の舞踏会はまだまだ続くが、成人したての少年少女はそろそろお暇する時間だ。


「それじゃあ、ルシアナ。また学園でね」


「ええ、よろしくね、ベアトリス」


「セシリアさんとはなかなか会えないのが寂しいですわ」


「そう言っていただけて嬉しいです。ありがとうございます、ミリアリア様」


「まあ、次もきっとどこかの誰かが理由をつけて誘うんじゃないかしら。だからまた会えるから大丈夫よ」


「ふふふ、ルーナ様ったら冗談がお上手ですね」


「……ねぇ、ルシアナ。セシリアさんってずっとあの調子なの?」


「ええ、ずっとあんな感じよ、ルーナ。おかげでとっても安心だわ」


「……ちょっとだけ『どこかの誰か』が可哀想に思えてくるわね」


 そんな会話の後、ベアトリス、ミリアリア、ルーナの三人は同じ馬車で帰って行った。ちなみに、彼女達のパートナー(ベアトリスの兄、ミリアリアの従兄、ルーナの父)とは帰り際に少し挨拶できた程度でほとんど話をすることはできなかった。


 舞踏会にパートナーとして来ておいて何をやっているのだろうか。おそらく後ほどきついお叱りが待っているものと思われる。


「ルシアナさん、セシリアさん」


「まぁ、アンネマリー様!」


 ベアトリス達を見送ったメロディ達の下にアンネマリーがやってきた。


「あら、お一人ですか?」


 ルシアナはアンネマリーの周りを見回したが、クリストファーとシエスティーナの姿が見当たらない。


「ええ、両殿下は大人の方々と歓談中だから私だけ抜け出してきたのよ。わたくし達はもう少し残るから見送りだけでもと思って。ベアトリスさん達は間に合わなかったようだけど」


「お気遣いいただきありがとうございます」


 メロディは礼を言った。その姿をアンネマリーはじっと見つめる。


「セシリアさん、どうかお気を付けてお帰りになってね」


「え? ええ、分かりました……?」


「レクティアス様、セシリア様をよくよくお守りくださいませ」


「は? はい、それはもちろんですが……」


 アンネマリーの発言に、メロディとレクトは揃って首を傾げる。そこに揶揄うような声音で割って入る人物がいた。


「ははは、アンネマリー嬢は心配性なのですね」


「マクスウェル様。ええ、わたくし心配なのですわ。春の舞踏会でも事件があったでしょう? 今夜は大丈夫かと不安なのです」


「まぁ、そうだったんですね。お気遣いいただきありがとうございます」


「わたくしが勝手にしていることですもの、気にしないでくださいな。幸い、わたくしの友人からの知らせでセレディア様は無事ご自宅へ帰られたそうです。よかったこと」


「……それはよかった。セレディア嬢は問題なく帰りついたのですね」


「ええ、少し安心しましたわ」


「体調を崩されたそうですし、何事もなくてよかったです」


 アンネマリーとマクスウェルの会話にホッと胸を撫で下ろすメロディ。少しばかり緊張した様子の二人には気付いていない。


「マクスウェル様も、ルシアナ様をしっかりお守りくださいませ」


「ええ、分かっていますよ」


 そして、馬車の用意が整うとメロディ達もまた王城を後にするのだった。


「ふぅ、それにしてもセレディア様に何事もなくてよかったですね」


「……そうね」


 帰りの馬車の中は少し静かだった。レクトは元々あまりしゃべる方ではないので、マクスウェルが沈黙を保っているせいかもしれない。気を利かせた、というわけでもないがメロディがセレディアのことを話題に上げたものの、ルシアナの反応はいまいちのようだ。


「随分素っ気ない態度ですね、ルシアナ嬢」


 マクスウェルが会話に参加してきた。


「……すみません。ただ私、セレディア様のことがあまり好きになれなくて」


「え? どうしてですか?」


「……だってあの人、メ……セシリアさんに謝らなかったんですもの」


「「「謝らなかった?」」」


「シエスティーナ様に挨拶をする時、セシリアさんを無視して会話に割って入った時のことですよ。あの時は私、正直腹に据えかねていたんですけど、シエスティーナ様の手前どうしていいか分からなくて。オリヴィア様が注意してくださってどんなに胸がスッとしたことか」


「確かにそんなこともありましたね……セレディア嬢は謝っていない、のか?」


「そういえば、あの時のセレディア嬢はあたふたしているだけで結局セシリア嬢に謝罪はしていませんでした」


「レクトさんはすぐに謝ってくれましたね」


「いや、その、あの時は本当にすまなかったと思っている」


 レクトも会話に加わり、メロディに揶揄われて車内は少しだけ明るくなった。


「とにかく! あの後皆セシリアさんに謝罪したのよ。シエスティーナ様だって謝ったのよ。パートナーのセブレ様だって謝っていたのに、当の本人のセレディア様が謝らないってどうなの? だから私、あの方のことはあまり好きになれないのよ」


「きっとタイミングを逃しただけですよ」


「……そうだといいけど」


 あの後すぐにシエスティーナからダンスに誘われ、その間にセレディアは帰ってしまった。メロディは単に会話をする時間がなかったがゆえの行き違いだと考えている。


「初めての舞踏会で緊張されていたのだと思います。学園では同じクラスのようですし、お話されてみてはいかがですか? きっと仲良くなれますよ」


「うーん……」


 腕を組んで悩むルシアナを皆が見つめている時だった。



 ――ウオーン!



 どこからか動物の遠吠えが聞こえた。


「今のは、狼?」


「王都に狼はいないでしょう。犬じゃない?」


「どちらにせよ、すぐ近くという感じではなかったようだが」


「何となく前の方から聞こえたような気がしますけど……」


 メロディは馬車の窓を開いて前方を見やるが、特に何も見当たらない。


「うーん、やっぱり気のせいだったんでしょうか……え?」


 ついでとばかりに何気なく後方を向いた時だった。闇に包まれた道路の奥で、何かが動いたような気がしたのだ。


「どうしたの、セシリアさん?」


「いえ、今何か見えたような気がして」


「何?」


 マクスウェルが馬車の扉を開けて、後方を見た。突然の行動に御者が驚く。


「マクスウェル様、どうされたのですか!?」


「気にせず馬車を走らせ続けてくれ!」


 目を眇めて暗闇を凝視するが、暗すぎてよく見えない。


「あ、だったらちょっと待ってください」


(これくらいだったらお母さんも使ってたしいいよね)


「優しく照らせ『灯火ルーチェ』」


 メロディの指先に光が灯った。魔力を持つ者なら大体の者が使える明かりの魔法だ。魔法自重中の身ではあるが、今の彼女はセシリア・マクマーデンという別人であるし、この程度の魔法ならばあえて隠す必要もないだろうという判断だった。


「というわけで、行ってきて!」


 メロディは指先に灯した魔法の光をはるか後方へ放り投げた。光の玉が放物線を描いて暗闇へ飛んでいく。


 そして、闇が晴れた先には――。


「「「「「ガオオオオオオオオン!」」」」」


 突然現れた光に驚いたのか、五体の黒い狼の魔物が叫び声を上げながら馬車に向かって全速力で駆けてくる光景が二人の視界に映った。


「「魔物!?」」


 後方を見ていたメロディとマクスウェルの声が重なる。その言葉にルシアナとレクトも驚いたが、何よりも御者の驚きっぷりが一番であった。


「ま、まままま、魔物ですか!? ど、どどどどどど、ど、どうすれば!」


「とにかく馬車を止めるな! 追いつかれたら終わりだ!」


「はひいいいいいいいいい!」


 幸い、と言ってよいのか、真夜中の貴族区画は静寂に包まれており、道路にはこの馬車と狼の姿しかない。マクスウェルは一旦扉を閉めると、自身が座っていた座席の背もたれの奥に手を入れてゴソゴソと物色し始めた。そして、取り出した手には剣が握られている。


「……マクスウェル殿、剣はもう一本ありませんか?」


「申し訳ない。これ一本しかありません」


「承知しました。では、素手で相手をするしかなさそうですね」


 コキコキと片手で指を鳴らすレクト。騎士である彼は剣が達者なだけでなく無手での戦闘にも優れているらしい。


「戦うんですか、レクトさん」


「ああ、おそらくあれはハイダーウルフ。ヴァナルガンド大森林に生息しているはずの夜の狩人がなぜここに……」


「……大森林を出てきたということでしょう」


 憤るように疑問を口にしたレクトに、マクスウェルが非情な回答を告げた。


「大森林には監視兵がいるはずだし、出てきたにしても平民区画で騒ぎになるはずです。だというのになぜいきなりこんな、貴族区画のど真ん中に現れるんだ!」


「気持ちは分かりますが、今はあれの対処を優先しましょう」


「……失礼しました。本来騎士である私が皆さんを守らねばならないのですが、率直に言って私一人でハイダーウルフ五体を相手にするのは不可能です。剣を手にされているということは、戦力として考えてもよろしいですか」


「ええ、そのつもりです」


「あっ! 狼の足が速くなりました!」


「「「!?」」」


 レクト達が話している間、ハイダーウルフを監視していたメロディは突然速度を上げたことで声を張り上げた。

 五体のうち三体は馬車の後方を陣取り、残り二体が両脇へ駆け寄ってくる。そして窓のあたりまで近づくと、一体がメロディに向かって牙をむいた。


「来ないで! 『灯火』!」


 開いた窓目掛けて飛び出した狼の眼前で『灯火』の光を炸裂させた。それはさながら小さな閃光弾のようなもので、視界を奪われた狼は「キャイン!」と鳴いて地面に転がると後方の闇に消えてしまう。


「ナイス、メ、じゃなくてセシリアさん!」


「一時的に視界を封じただけですからすぐに復帰するはずです! マクスウェル様、反対側は!?」


「まずい! 抜けられた!」


「ええっ!?」


 馬車の扉側を走っていた狼は、扉から離れた距離から馬車を追い抜き正面に回り込んだ。距離があったせいでマクスウェルもレクトも対応が遅れる。


「ぎゃああああああああ!」


「御者さんが!」


 この狼は最初から御者を狙うつもりだったらしい。御者を殺して馬車を止めさせようとしていた。馬を飛び越え、狼の牙が御者を襲う。


(間に合わない!)


「アオーン!」


「我が背を押すは疾風の御手『女神の息吹レスピデーア』」


 馬車の左側から強烈な風が吹き荒れた。


「ギャイイイイイイインッ!?」


 メロディがそれを目にしたのはほんの一瞬。


 馬車の横合いから弾丸のように飛び込んできたリュークが、御者に襲い掛かろうとした狼の脇腹に剣を突き刺している光景だった。

 ……ついでに、なぜかリュークの背中にしがみつくグレイルの姿も。



 そして、リュークは風の勢いのまま狼とともに馬車の前を通り過ぎていくのであった。

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